10.自覚と受容
圭は本気で郊外に家を建てる気らしく、すみれにどんな家がいいかしきりに聞くようになった。更に自分の不在時に何かあっても大丈夫なように、腕輪式の撃退と防御の魔法を込めたアーティファクトを用意すると言ってそのデザインの図案も彼女にいくつも見せた。
「ちょっと待って、この小さな腕輪に撃退と防御の魔法を込めるの?」
「はい、半径5m以内なら敵はその場で失神しますし、飛翔物なんかが飛んできても半径5m以内なら蒸発します。」
「え、そんなエグイのどこで作るの、それでいくらするの。」
「国の研究室ですけど?」
「待て!国家権力の乱用!」
「すみれさんに何かあったら生きてけないので死にますっていったら、偉い人たちが作ってくれるって言いました。」
「国の偉い人たちを脅迫すんな!」
「でも、本当にすみれさんがいないと僕死ぬので。」
「いや、それはそうだけど‥‥。」
◇◇◇
そんな日曜日のある日二人はリビングのソファに腰掛けていた。すみれがテレビのリモコンをいじって最新の映画を選択する。その日の映画はすみれには珍しく恋愛ものだった。
「意外ですね。いつもは見ないのに。」
上映前、圭がぽつりと言った。
「今日はね、主演の俳優さん好きなの。」
すみれはスクリーンを見つめたまま肩をすくめる。
「なるほど。」
「でも、内容はあんまり期待してない。」
「そうなんですか。」
「たぶんベタな恋愛。」
実際、その予想は半分当たっていた。主人公は巨大企業の若き社長で金も名誉もある。けれど孤独だった。人を信じることも、愛することも分からない。そんな男が、町の小さな花屋で働く女性と出会う。最初はすれ違ってばかり。価値観も正反対、それでも少しずつ距離が縮まっていく。
「……。」
圭は黙って映画を見ている。前までは「どうしてこうなるんですか?」と矢継ぎ早に話しかけてきていたのに成長したなとすみれは感心していた。
『俺には、愛が何なのか分からない。』
映画の中盤主人公がぽつりと呟く。その言葉に、ヒロインは笑って答える。
『難しく考えすぎ、愛ってね。寒い日に抱き締め合って温かいねって笑えることだよ。』
すみれはベタだが良い台詞だと思った。隣を見ると圭は真剣な顔でその台詞を聞いていた。物語は終盤に差し掛かる。二人は価値観の違いを埋められずに、別れを選ぶ事になる。主人公は仕事をヒロインは故郷を、そしてお互いを想って離れる。
「え、もう終わり?」
すみれが思わず呟く。しかしエンドロール直前、主人公が走る。息を切らし、バスに乗ろうとする彼女を追い掛け、そして、何も言わず抱き締めた。
『……あぁ温かいな。』
その一言だけだった。それを聞いた彼女は泣きながら嬉しそうに笑う。
『うん。温かいね。』
画面が白くフェードアウトして音楽が流れ始めた。
「……はぁ、こういうのでいいんだよ。ベタだけど良い話だった。」
「すみれさん。」
すみれが背伸びをすると圭が静かに彼女の名前を呼んだ。
「ん?どうした?」
すみれが尋ねたその瞬間、圭が彼女を抱き締めた。強く、しかし苦しくないように、壊れ物を扱うように。
「ちょっ……!」
すみれは反射的に圭の肩を押そうとして止まった。
(嫌じゃ、ない‥‥。)
「どうしたの?急に。」
耳元で小さく囁いても圭は返事をしない。すみれが反応に困っていると、彼はゆっくりと息を吐いて少しだけ腕に力を込めてぽつりと呟いた。
「……温かいです。」
「……え?」
「温かいです。」
少し嬉しそうに笑いながら、映画の台詞を呟かれてすみれは頭が真っ白になった。
「ちょ、ちょっと待って。それ映画の?」
「……はい。」
「真似?」
「真似ではありません。」
「じゃあ何?」
圭は少しだけ答えを探すように考え込んだ。
「映画を観て、あの人は抱き締めて温かいって言いました。」
「うん。」
「僕も抱き締めたら分かるかと思って。」
「……何が?」
圭は首を傾げ「よく分かりません、でも温かったです。」とだけ言った。一言も『好き』も『愛してる』も言わない。ただ嬉しそうに笑って「温かい」とだけ言う。その顔を見たすみれの胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
(――ああ、だめだ。もう、だめだ。)
すみれは映画のヒロインみたいに泣いたりしない。しかし目の前の人の言葉を覚えたばかりの大きな獣が、 たった今、自分なりに『愛』を理解しようとしていることだけは痛いほど伝わってしまった。
「……ずるい。反則。」
「え?」
圭は意味が分からないという顔で、小さく首を傾げる。
「そうですか?」
「そうだよ。」
すみれは困ったように、照れ隠しみたいに笑った。笑いながらそっと圭の背中へ腕を回した。
映画のヒロインが言っていた言葉の意味が少しだけ分かる気がした。




