第4回 王脩、盧邦を訪う
王脩と黄文の二人は、朝餉を済まし、早々に出かける準備を整えた。
玄関口には、旅達がいた。旅達が言う。
「兄さん・・・。ええっと、淑治殿か。練達殿と連れ立っているということは、早速ここで、いい出会いがあったのかな?」
「旅達殿、とお呼びしてよろしいのでしょうか。あなた様がおっしゃる通りで、同郷の練達殿とお会いすることが出来ました。これから、盧邦先生の下に伺おうと思っています。」
「もちろん、旅達、と呼んでくれて構わない。それから、盧邦先生は名士ではないが、士分の中では、最上位の方と言っても差し支えないであろう。ただ、その分、人気があって、入塾するのも順番待ちとのようだぞ。何か、伝手でもあるのかい?」
「ええ。一応、この様な書状を張奉という方から頂いております。盧邦先生とは、友人関係とのことで。」
旅達は、書状の中身を読んだ。そして、言う。
「淑治殿。あんたは運がいいな。張奉殿も名士ではないが、この界隈にも名が通る士分の方だ。その上、盧邦先生と友人関係となれば、恐らく入塾は許されるであろうな。更に・・・。」
「更に?」
「張奉殿は、きっと淑治殿から受けた恩を忘れず、何倍にもして返してくれるであろうよ。」
「・・・。確かに、路銀としては多いと思われる金子の提供を受けましたが、そちらは既にお断りさせて頂きました。」
「ははは。張奉殿が返してくれる恩は、金なんかで測れるものじゃないよ。おっと、長く引き留めてしまったかな。さあ、盧邦先生の所に行っておいで。」
旅達は、そそくさと別の場所の掃除を始めた。
盧邦の教場の場所は黄文が知っているとのことで、話をしながら二人で歩く。淑治が言う。
「練達殿。旅達殿は士分や、名士の方々の事も詳しいようですね。」
「そうだな。旅の達人、と言うことで、情報収集などもぬかりなく行っているのであろう。」
「なるほど。しかし、盧邦先生は、そんなに人気があるのですね。」
「ああ。私も一度、盧邦先生の教場を訪ったが、これ以上、入塾させる予定はない、と先生に会うこともできずに帰ってきたものさ。」
「そうですか・・・。張奉殿の書状が力を発揮してくれればいいのですが・・・。」
「まあ、それは淑治の持ち合わせている運次第、と言うことかな。」
「そうですね。それくらいの考えで今はいるように致します。」
話して歩いているうちに、盧邦の教場が見えてきた。
淑治が思っている以上に、広い敷地であり、そこに入りきれないくらいの入塾の申し込みがあるのかと思うと、いささか緊張が高まってきた。その緊張を感じたのか、黄文が言った。
「さっきも言ったが、普通なら断られるのだ。気楽に行こう。あそこの、門番の方にまずはこの書状を見せてみよう。」
王脩は、黄文に言われるまま、門番のいるところまで歩いた。門番が先に言ってきた。
「入塾希望者かい?かなり多くの者が待機している状態だから、早々に学びたいと思うなら他を当たった方が早いと思うぞ。」
淑治は門番に拝礼していう。
「私は、王淑治と申します。北海郡竟陵県の出身でございます。是非、盧邦先生にお会いしたく、この様な書状を持参致しました。」
そう言って、王脩は書状を懐から取り出して、門番に渡した。
門番は書状を確認した。そして言う。
「なるほど。盧邦先生の友人の紹介状というわけか。こういったものを持ってくる者はたまにいるが、偽の書状などではないだろうな?」
黄文が言う。
「いくら何でも失礼ではないか。」
門番が言う。
「おお、あんたの顔は覚えている。数日前、入塾を断念したのではないか?」
「仰せの通り。そこで、今後の進路を考えているときに、この淑治に出会った。何か運命めいたものを感じたので、こうして一緒にやってきた。」
「そうかい。わかった。信じることにしよう。まあ、先生は既に講義に入られており、少し待ってもらうことになるが、それでもいいかい?」
王脩が言う。
「お気遣いありがとうございます。もちろん、結構でございます。」
門番が大きな声で言う。
「おーい!誰かいないかい?先生への客人だ!」
すると、中から家人と思われる女性が現れた。
門番は、その女性に言づけると、王脩と黄文はついてくる様に言われ、中に入って行った。
客間と思われる部屋に通された。
「ここで講義が終わるまでしばらく待ちください。講義は長引くこともよくあるので、結構、長い時間お待たせしてしまう可能性もありますが・・・。」
王脩は言う。
「わかりました。先生がいらっしゃるまで、ここで待たせて頂きます。」
女性は一礼して立ち去った。
王脩と黄文はおとなしく待っていると、何やら言い争っているような話し声が聞こえてくる。耳を澄ますと、どうやら学問について議論を交わしている様であった。黄文が言う。
「中々、活気のある教場なのだな。」
「そうですね。私の父の教場は、かなり静かで、この様な議論を交わすことなどありませんでした。」
「ほう、御父上も塾を開いているのか?」
「はい。片田舎の小さな教場でございますが。私も少しばかり、手伝いをしておりました。」
「何と言う奇遇であろうか。私の父も教場を持ち、私も少し手伝いをしていた。」
「そうですか。練達殿とは、何かと重なる部分が多いですね。」
「ああ。驚くほどにな。」
そうこうしているうちに、一人の男が現れた。かなり大柄で立派な体躯の持ち主である。
二人は立ち上がり、拝礼をした。
男も拝礼を返し、言った。
「大変お待たせした。私がこの教場を預かる盧邦と申す。張奉殿の書状をお持ちなのはどちらかな。」
王脩が一歩前に出て言う。
「お初にお目にかかります。北海郡竟陵県の出で、王淑治と申します。私が、張奉殿より書状を頂いた者です。」
「なるほど。して、隣の方は?」
今度は黄文が一歩前に出る。
「同じく、北海郡の劇県の出で、黄練達と申します。淑治とは偶然出会ったばかりですが、お互いにこの出会いに運命を感じ、本日は図々しくも同行させて頂いた次第でございます。」
「なるほど。そういう出会いを感じることは、人生の中でもそう多くあることではない。大切にするといい。」
黄文は拝礼した。盧邦が言う。
「それでは、淑治殿。張奉殿の書状を見せて頂いてよろしいか。」
王脩は頷き、書状を盧邦に手渡した。
盧邦は、丁寧に一言一句噛み締めるかのように、ゆっくりとじっくりと書状の中身を確認した。そして言う。
「淑治殿、この度は我が友人である張奉とその家族の世話をしてくれたとのこと、友人として礼を言います。」
盧邦は王脩に頭を下げた。王脩が言う。
「いえ。困っている人がいれば助ける。人として当然のことを致したまでです。」
「それが、案外できるようで出来ないこと。二人は遊学でこちらに来たようだが、学ぶ師や場所はもう見つけられているのかな?」
王脩が言う。
「いえ、私はまだ宛城についたばかりで、特に決まっておりません。」
黄文が言う。
「私は、先日、こちらに入塾の申し込みをしたのですが、順番待ちの状態だと聞き、どうすべきか考えている最中でございます。」
盧邦が言う。
「なるほど。まず、淑治殿は、我が友人の恩人として、差し支えなければ、我が塾に入って頂きたい。そして、練達殿はもし、今でもここで学びたいとお考えであれば、一つ提案があるが、聞いてもらえるか?」
黄文が言う。
「もちろんです。お聞かせください。」
「淑治殿を弟子に加えることに、異論が出ることはありますまい。我が友人の命の恩人ですから。しかし、練達殿はそうではない。そこで、我が家の家人として働きながら、講義の時間は勉学に勤しむ、ということでどうであろうか。」
「先生からお教えいただけるとなれば、私としては何の異論もございません。ご提案、ありがたく思います。」
すると、ここで淑治が言った。
「先生。さすれば、私も練達殿と同じく、家人として講義を受けたく思います。弟子入りを待っている方々に先んじるのは、私の義に反しますので。」
盧邦が言う。
「さすがは、張奉殿がこの様な書状を渡しただけある。わかった。二人とも、ここの家人として働きながら学んでもらう、と言うことで異論はないかな。住まいや食事も、他の家人同様として、こちらで暮らしてもらおうと思うが。」
「先生のお言葉、ありがたくお受けいたします。早速、本日より、こちらでお世話になりたいと思いますが、よろしいでしょうか。」
盧邦は笑いながら答える。
「もちろん、問題ない。今は宿を取られているのかな?そちらを引き払った後、またこちらに来てくれればよい。」
王脩と黄文は拝礼し、宿に戻ることにした。
その途中、黄文が言う。
「淑治。何も、お前まで家人になることは無かったのではないか?」
「そうですね。しかし、私は練達殿と同じ形で学びたいと思ったのと、恩を売って入塾待ちの方々に先んじるということが、どうしてもできませんでした。」
「そうか・・・。私としては、淑治と時間を共にできることは何よりの事だが。何とも、義理堅き漢よ。」
「過分なお褒め、恐れ入ります。さあ、急いで宿を引き払い、先生のもとに参りましょう。」
二人は駆け足で宿まで戻った。
宿に着くと旅達がいた。そして言う。
「二人とも、その顔だといい方向に進展したみたいだな。」
黄文が言う。
「旅達殿、本当にお世話になった。あなたのおかげで淑治と出会い、念願の盧邦先生のもとで家人をやりながらではあるが、学ぶことが許された。」
「ほう、それは吉報。この宿が二人を結び付けたことを嬉しく思うよ。」
王脩が言う。
「旅達殿。私は一晩だけでしたが、練達殿との出会いには運命を感じました。しばらくは、ともに同じ道を歩んでいきたいと考えています。」
「そうだな。俺は色々な世界の人間を知っているつもりだが、あんたら二人はきっとうまくいく、という予感がする。俺の予感は大抵当たるから、信じてくれていいぜ。」
こうして、王脩と黄文は旅達に挨拶を済ませ、宿を引き払い、盧邦の教場に向かったのである。




