第30話 若いもんの鍛錬
第30話 若いもんの鍛錬
そして、鍛錬である。
鍛錬の基本は、とにかく歩くことだった。
町まで行くには、長い距離を歩き続けられなければならない。
しかも、平らな道ではない。
足場の悪い山道を、荷を背負ったまま速足で進む。
そのためには、まず歩き続けられる身体を作らなければならなかった。
サクはガロンに、鍛錬中の食べ物を多めに用意してくれるよう頼んでいた。
朝、燻製小屋へやってきたダンとジーロは、積まれた食料を見て目を剥いた。
大量の燻製肉と堅パンである。
もちろん、一度に食べる量ではない。それでも、二人が思っていたより、はるかに多かった。
「これ、全部持っていくんか。師匠」
ダンが尋ねると、ガロンは肉を切り分けながら答えた。
「何食か分やけどな。サクが言うには、食うて身体を作らなあかん、とのことや」
切り終えた肉を包み、二人の前へ置く。
「ほら、さっさと背嚢に詰めとき」
食料に水筒、雨具、そのほかの道具。
順に背嚢へ詰めていくと、思いのほか重くなった。
ジーロは背嚢を持ち上げ、黙って重さを確かめる。
ダンは一度持ち上げると、すぐに床へ下ろした。
そこへ、ようやくサクが姿を現した。
「おはようさん」
どことなく顔色が悪い。
「昨日、作事小屋へ行ったあと、村長んとこへ連れていかれてな。そこで飲まされて、遅うなってしもうた」
サクはガロンに頭を下げた。
「準備、任せてもうて、すんませんでした」
「ここにあるもん出しただけや。大した手間やない」
ガロンは呆れたように頭を振った。
「それより、お前こそ無理すんなよ」
「分かっとる」
あまり分かっていそうには見えなかった。
ダンが背嚢を指した。
「この背嚢、けっこう重いで。これ担いで歩くんか?」
「歩くで」
サクは何でもないことのように答えた。
「町へ行くときは、これに交易品も加わる。そう思っとき」
ダンは背嚢へ目を落とした。
嘘やろ、と顔に書いてある。
「普通やで」
サクは、先ほどとまったく同じ顔で言った。
サクは二人を連れ、村を出た。
今回の目的は、長い距離を歩くことと、重い荷を背負うことに慣れさせること。
長旅を想定し、野営の手順を改めて確認すること。
そして、しっかり食わせることである。
ダンとジーロは、まだ身体が育ちきっていない。
歩かせるだけでは駄目だ。
肉も穀物も十分に食わせ、きちんと休ませる。そうして少しずつ、長く歩ける脚と、荷を支えられる身体を作っていく。
筋力だけで岩場を越えられるわけではない。
だが、身体を支えるだけの力がなければ、どれほど技を覚えても使えない。
目的地は、南の橋へ向かう道の中ほどから、少し山側へ登ったところにある開けた台地だった。
村から離れ、道からも外れているため、近頃はあまり人が入っていない。
草木の様子に変わりはないか。
獣の通り道や、縄張りが変わっていないか。
それらを確かめる目的もあった。
帰りには、使えそうな薬草や食べられるものを見つけ、持ち帰るつもりでもいる。
初めのうち、サクは二人に合わせて、ややゆっくりと歩いていた。
歩き方を見るためである。
足の運び、背嚢の揺れ、肩紐の食い込み方。
二人の様子を見ながら、声をかける。
「どうや。靴が合わんとか、肩紐が痛いとか、ないか」
「何ともないで」
「いつもと変わらん」
二人から、すぐに返事が返ってきた。
「長いこと歩いとるとな、初めは何でもない違和感が、しまいには耐えられん痛みになる」
サクは歩調を変えずに続ける。
「靴擦れも、肩紐の食い込みも、痛うなってからでは遅い。何とかできるうちに気づくんが大事や。変やと思ったら、すぐ言えよ」
「うっす」
「分かった」
二人とも、その都度きちんと返事をする。
サクは小さく頷きながらも、二人の足元から目を離さなかった。
一時間ほど、その速さで歩くと、道は緩やかな長い上り坂になった。ここでサクは、歩調を少し速めた。
二人は問題なくついてくる。
やがて道は険しくなり、這うように登ったり、足場を確かめながら下ったりする場所へ入った。
だが、ここでは何も言う必要がなかった。二人とも猟師として山を歩くことには慣れている。荷を背負っていても、危なげなく越えていった。
再び平坦な道へ出ると、サクはさらに歩調を上げた。二人は額に汗を浮かべながらも、遅れずについてきた。
途中で何度か短い休憩を挟みながら、三時間ほど歩いたところで、サクは長めの休憩を取ることにした。
まず二人の靴を脱がせ、足の状態を見る。擦れて赤くなっているところはないか。皮がむけたり、血がにじんだりしていないか。靴の中に小石が入っていないかも確かめる。
足には、今のところ問題はなかった。
次に肩紐を外させ、肩や脇の下を調べる。ジーロの肩には、肩紐の形に沿って赤い跡がついていた。
サクは肩に当たる部分へ布を巻きつけ、肩紐を少し太くした。それからもう一度、荷を背負わせる。
立ち姿を前後から眺め、肩紐を少し短く絞った。さらに荷の下から腰へもう一本紐を回し、歩いても荷物が揺れないよう、身体に密着させる。
「どやっ」
サクが短く尋ねた。
ジーロはその場で身体を揺すり、それから何歩か歩いてみた。
「うん。さっきより、全然楽になった」
ほんの少し手を加えただけで、これほど違うのか。ジーロは本気で感心していた。
装備の確認を終えると、そのまま食事にした。
湯を沸かし、乾燥させた味噌玉を溶いて汁にする。あとは干し肉と堅パンだった。堅パンはそのままでは歯が立たないほど硬く、味噌の汁に浸してやわらかくして食べる。
「まぁまぁ、うまいな」
ダンが率直な感想を漏らした。
腹いっぱいまで食べると、歩きだすのがつらくなる。
七分目ほどで食事を切り上げる。しばらく身体を休めてから、三人は再び荷を背負った。ここからサクは、歩く速さを一段上げた。いつも荷を運ぶときの速さである。
ただ、小さな上り下りが続き、溝や段差も越えなくてはならない。
ほどなくして、二人の額に汗が浮かび始めた。
次の小休止で、サクは干し肉を細かく切り、二人に渡した。
「これ、口に入れとけ」
「腹、減ってへんで」
ダンが不服そうに言った。
「腹を満たすためやない。汗かいたら、水だけやなく塩も身体から出ていく。腹が減ってから食うんやなくて、減る前に少しずつ入れとくんや。水も忘れんと飲んどけ」
二人は納得したようなしないような顔で、干し肉を口に放り込んだ。
その後、三人は干し肉をくちゃくちゃと噛みながら、再び歩き始めた。
*
まだ日が高いうちに、三人は目的の高台へ着いた。
すぐに野営の準備に取りかかる。
二人とも、この手順はすでに何度も経験していた。サクが口を出すことは、ほとんどない。ガロンの教え方は厳しいが、その分、身についていることは確かだった。
短い時間で寝床と火の準備を整え、今度は食事に取りかかる。
手頃な石を集めて簡単なかまどを組み、それぞれが担いできた食材を取り出した。
二人が荷から出したのは、塩をたっぷり擦り込み、表面を軽く燻したイノシシ肉の塊だった。
サクはそれを厚めに切り、一枚ずつに鉄串を二本通した。火の前後に置いた石へ渡し、炎が直接当たらない高さで、ゆっくりと炙っていく。
肉の表面から、少しずつ脂が浮き出してきた。
サクが火を見つめたまま、ぼそりと言った。
「今日でこの肉、食いきるで。しっかり食べや」
ダンが驚いた顔をする。
「肉はうれしいけど、ええんか。村では貴重な肉やぞ」
「ええで。お前ら、まだ身体の伸びる時期や。今食べた肉は、そのまま自分の身体になる」
サクは串を少し回し、焼ける場所を変えた。
「この時期に食べたもんが、先々までお前らを支えるんや。ガロンにも言うてある。村に帰ってからも続けるんやで」
ちりちりと音を立てながら、肉はゆっくり焼けていく。厚切りなので、中心まで火を通すには時間がかかる。
しばらく黙って串を回していたサクが、何でもないことのように尋ねた。
「なあ、お前ら。うちのレアと仲のええ子、誰か知らんか?」
ダンとジーロが顔を見合わせる。
「仲がええって……?」
「女の子とは、それなりにしゃべっとるみたいやけどな。ちっちゃい子には優しいで」
ダンの言葉に、ジーロもうなずいた。
「年少の子らは、みんなレアになついとる」
それから、少し考えて言葉を続ける。
「せやけど、特に仲のええ子いうんは知らんな。うちの妹なんか、いつもつるんどる子がおるんやけど、レアにはあんまり、そんなん見いひん」
ジーロは火の向こうにいるサクを見た。
「最初は、サク兄が連れてきた、ちょっと変わった子やと思うとったけどな。今は、薬師のばあさんの内弟子で、サク兄の身内や。やっぱり、ほかの子とはちょっと違ういうんかな」
そこでダンが、思い切ったように尋ねた。
「逆に俺は、サク兄に聞きたい。レアって、ほんまの妹やないやろ。どんな成り行きで連れてきたんや?」
サクは、目に見えて答えに詰まった。
「あの子は、元いたところで、ひどい扱いを受けとったんや。それを見かねて、ここへ連れて帰ってきた」
串を回しながら、低い声で続ける。
「言えるんは、そこまでや。それで勘弁してくれ」
ジーロが何かを思い出したように言った。
「そういや最初の頃、ずっと片目に包帯を巻いとったな。怪我でもしてたんか?」
「あの頃から、無口な子やったな」
ダンも当時を思い出したらしい。
「ある日、包帯取って学び舎に来たときは、ちょっとした騒ぎになっとったわ」
「でも、そっからやな。女の子らの輪に入っていったんは。きれいや、珍しいいうて」
サクは黙り込み、考えた。
『やっぱり、ケンカしたり、悩みを打ち明けたりするような子は、おらんのか』
そのとき、ダンが妙に気負った声で言った。
「なあ、サク兄。レアの好きなもんってなんや? 花やったら、何が好きなんや。食べもんでは?」
サクは顔を上げた。
「なんで、そんなん聞くねん」
「なんでって……お近づきになりたいやん」
ダンは当然のことのように言う。
「普通、あんなきれいな子としゃべりたないいう奴、おらへんで」
ジーロがぼそりと付け加えた。
「東の畑のガラハンが、バラの花束持っていって玉砕しとったわな」
「なんや、それ」
「『これは香料にはなるけど、薬効は少ない』って言われたらしいで」
サクは返す言葉を失った。
考えてみれば、自分もレアがどんな花を好むのか知らない。食べものについても、嫌いなものならいくつか思い浮かぶが、何が一番好きなのかと尋ねられると答えられなかった。
だが、それを考えるより先に、この話題から逃げたくなった。
サクは肉へ目を向けた。焼けた脂のいい匂いが漂っている。そろそろ食べ頃だった。
「もうええ。肉、食べえ」
そう言って焼けた肉を串から外し、代わりに次の肉を刺した。
二人は待ってましたとばかりに、肉へかぶりついた。
最初のうちは、ダンとジーロが同年代の子供たちの話をし、サクがそれを聞きながら、にぎやかに食事をしていた。
しかし二枚目、三枚目と焼いて食べるうちに、二人の口数は次第に減っていった。
五枚目を焼き始めたところで、ジーロが顎をさすった。
「顎、だるうなってきた」
「小さく切って食べ」
「いや、そうやなくて……もう腹に入らんようになってきてん」
「食いもんは無駄にしたらあかんで」
サクも自分の分を口へ運びながら言った。
ダンは、焼けていく肉を恨めしそうににらんでいる。
サクはその腹の膨らみ具合を見た。
『まだ、もうちょい入りそうやな』
肉が焼けるたびに少しずつ切り分け、三人は時間をかけて食べ続けた。
すべて食べ終えた頃には、日は完全に暮れ、月が高く昇っていた。
二人は膨れた腹を抱え、倒れ込むように寝床へ入った。
*
翌朝、簡単な朝食を済ませ、野営の跡を片づけると、三人は日の出とともに高台を発った。
帰りは往路とは違う道を選んだ。途中で薬草を探し、まだ調べていない場所へも、時間の許すかぎり足を延ばした。
そうして夕方近く、三人は村へ戻った。
燻製小屋へ報告に行くと、ガロンが笑顔で迎えた。
「おう、帰ったか。腹減ったやろ。ちょうど肉が焼けたところや」
ダンとジーロの顔が、同時に引きつった。




