第27話 海の里の話
第27話 海の里の話
サクとサジ、バルグは三人並んで、落ちた橋の跡を見ていた。
なぜか、三人とも腕を組んでいる。
言葉はない。
その間に、カメルは野営の道具や、先行して運んできた資材を馬車から降ろしていた。
それがすべて終わっても、三人はまだ同じ格好で川を眺めている。
やがて、バルグが一言つぶやいた。
「これはあかんな」
「だから言うたやろ。なんともならんって」
サジも、ため息まじりに答えた。
橋は、橋桁が流されただけではなかった。
こちら側の橋台まで水に削られ、ほとんど跡形もなくなっている。
対岸には、橋の残骸がかろうじて引っかかっていた。
「場所も変えなあかんやろか」
サクがバルグに尋ねた。
「それも考えなあかんかもな」
バルグは川岸に近づき、川底を覗き込めるところまで歩み寄った。
川面までは十メートル以上ある。両岸は切り立っており、その間は七メートルほどだった。
今の川幅は、その五分の一ほどしかない。だが、両岸の草は広い範囲で押し倒され、低い枝には流されてきた枯れ草が絡みついている。増水した時には、ここまで水が広がるのだろう。
バルグが、崩れた岸を見ながら言った。
「こっち側の橋台の下を、水に削られ続けとったんやろな。そこが崩れて、橋ごと持っていかれたんや」
「ここでは難しいか?」
サジは眉間に皺を寄せた。
「できんことはないやろけど、基礎からやり直さなあかん」
「橋台のまわりを大石で固めるとか、岸を守る仕組みもいるやろな」
バルグはそこまで言ってから、対岸に残る橋台へ目を向けた。
「両岸の橋台が残っとったらと思うて、期待してたんやけどな」
「そうかぁ」
サジは、感情の読めない声で答えた。
「場所を変えるいうても、それはそれで別の難儀が増えるで。道ごとずらさなあかんからな」
橋の場所を変えれば、そこへ至る道も作り直さなければならない。
山間部では、わずかに場所をずらすだけでも余計な上り下りが生じる。馬や荷車を通すとなれば、それは大きな制約になる。
「思うたより、甘ないな」
バルグはその場に腰を下ろした。
しばらく川を見下ろしてから、さらに言った。
「それとな、材料が足らん。村に残っとる木材をかき集めても、足りるかどうか」
「木こりがおらへんからな。材木の蓄えがあらへん」
「これまでは人が減った分、廃材やら残っとる在庫やらで、なんとかなっとった。けど、新しく橋を架けるとなると、全然足らんな」
「親方、荷下ろし終わりましたぁ」
その時、カメルが後ろから声をかけてきた。
「カメル、ちょっと来い」
バルグはカメルを傍らに呼んだ。
「ざっくりでええ。向こう岸まで橋を架けるのに、材木がどれだけいるか考えてみい。木の太さと長さ、それぞれ何本いるかで答えてみ」
「おう、すまなんだな。任せっきりにしてしもて」
サクがねぎらうと、カメルは人懐っこい笑顔を浮かべ、いえいえと首を振った。
カメルはしばらく川と対岸を見比べたあと、足元から木の枝を拾った。
地面に橋らしきものを描きながら、バルグとのやり取りを始める。
サクとサジは、その後ろから向こう岸を眺めていた。
「人が渡るだけやったら、大したことないのにな。馬と荷車か」
「交易ちゅうのは、そういうことや」
そのあとは、サジもバルグとカメルのやり取りに聞き入っていた。
二人の話は、なかなか終わらなかった。
カメルが地面に描いた橋に、バルグが新たな線を書き加える。カメルがうなずいたかと思えば、首をひねって別の線を引く。
やがて、じれてきたのか、サジも絵が見えるところまで近づき、腕を組んで上から覗き込んだ。
まだ日は高く、太陽が容赦なく照りつけている。
サクは三人に声をかけた。
「話するんやったら、木陰でしよか。ここ、暑いで」
木陰に移った一行は、車座になって腰を下ろした。
すぐに、バルグが口を開く。
「橋を架けるには、材料が足らん。これはどうにもならん。今から木を切り出して乾かすとなると、年単位の話や」
「そんでや。代わりに、今のところ二つ方法を考えとる」
サジは黙って聞いている。
解決案があるだけ、まだ希望は持てる。だが、ここへ来てから、その希望は何度も裏切られていた。
サクも慎重になっている。ぬか喜びはしたくない。
「一つは、河原まで下りる道を作る。浅瀬を渡って、向こう岸にも上へ登る道を作るんや」
「これやったら、材料の問題はない。浅瀬に簡単な橋を架けるにしても、工期は短いし、材料も少なくて済む」
「馬が通れる坂道を作らなあかんけど、人手さえあれば、なんとかなるやろ」
「力ずくやな」
サクは言った。
「そんでも、その案やったら、川が増水した時とか、ちょっと流れが変わっただけで渡られへんことが多ないか」
「そうや。渡れるか渡られへんか、来てみんと分からん。それに、渡っとる途中で急に状況が変わるかもしれん」
「つまり、不安定なんやな」
「そういうことや」
バルグはうなずいた。
「もう一つは、吊り橋や」
バルグは傍らに垂れていた蔓をつかみ、両手で左右に引っ張った。
「吊り橋って、あれか。何本か縄を張って、その上に板やら丸太やらを載せて渡るやつ」
サクは、前の世界で見たものと、この世界で何度か渡った吊り橋を思い浮かべた。
「そうや。人が渡るだけやったら、そんなに工期はかからん。主にいるんは縄や。木材も、廃材をかき集めたらなんとかなるかもしれん」
「縄って、仰山いるんやろ。村にそんなにないで」
サクは、バルグが手にした蔓を見た。
「それに、太くて丈夫なやつがいるんちゃうか」
「作ればええやん。木材みたいに、乾くまで何年も待つわけやない。数か月もあれば準備できるんちゃうか」
「それより問題なんは、耐久性や。野ざらしやと、縄はどうしても傷む」
「縄だけやない。床に使うた板も傷む。それを放っといたら、そのまま事故につながる。定期的な点検と交換が必要やろな」
「それでも、この緊急時には有用やと思う」
バルグは付け加える。
「言い忘れとったけどな。二つの案、どっちを採るにしても、川を渡る時は馬と荷物、それに荷車を別々にせなあかん。それが絶対条件や」
「荷車もばらして渡すんか」
「そうせんと無理やろ」
「手間かかるけど、しゃあないか。崖を上り下りするより、何百倍もましや」
サクは、自分を納得させるように言った。
この時、それまで黙って話を聞いていたサジが口を開いた。
「馬は臆病な生き物や。揺れるところや、足場の悪いところは嫌がるかもしれんで」
サジは、昔を思い出すように続けた。
「前に海の里で、漁船を用意してもろたことがある。馬を船に載せよう思うて、渡し板を架けたんやけどな。手前で足を踏ん張って、どうしても動こうとせんかった」
「結局、無理やり載せたんやけど……今回、それをやったらあかん。橋の上で暴れられたら、そのまま落ちるかもしれん」
バルグが「うむむむむっ」と、口を閉ざしたまま唸った。
カメルもうつむいてしまう。
それから少しの間、木の葉がこすれる音と虫の音が4人の間を覆っていた。
サクは宙をにらみ、前の世界で見た光景を思い返していた。
やがて、ぼそりと言う。
「見えるから、あかんのちゃうやろか。目隠しして引っ張ったら、渡らへんかな」
競馬の中継で見た、目の横に何かを着けた馬の姿が、頭の隅に浮かんでいた。
「それと、慣れもあるかもしれへん。軍馬は戦場でも、大きな音にいちいち怯えたりせえへんやろ」
サジは組んでいた腕を解き、腰に手を当てた。
「ふむ。それは言えるかもしれんな」
「そんでも、足元まで見えんようにしたら、それはそれで怖がるやろ」
バルグが付け加えた。
「ほんなら、横だけ見えんようにするんはどうや。前と足元だけは見えるようにして」
行き詰まっていた話に、わずかな明かりが差した。
カメルも顔を上げて言う。
「それやったら、村へ帰ったら試してみませんか。仮の吊り橋を作って、馬を慣らす練習もしたほうがええんちゃいますか」
サジは、この話を締めくくるように言った。
「吊り橋については、村へ帰ってから実際に馬でいくつか試そ。それと並行して、河原へ下りる方法も考えといたほうがええな」
四人はひとまず話をそこで置き、川岸を歩き始めた。
吊り橋を架けられそうな場所と、河原へ下りられそうな道を探すためだった。
*
その日は、橋の近くで一泊することになった。サジが交易の途中、いつも野営に使っていた場所だった。
火を起こし、簡単な食事を済ませた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
サクとカメルは、横倒しになった木の幹に並んで腰を掛けている。焚火を挟んだ向かいでは、バルグが大きな石に腰を下ろしていた。サジは少し離れたところで、馬の様子を見ている。
食事を終えたあと、サクは昼間から気になっていたことを尋ねた。
「サジが交易を始める前は、村の塩をどないしとったんや」
バルグは焚火を見ながら答えた。
「その話か。まずやな、この南の先に、海の里があった。五十年ほど前までの話や」
バルグが話を切り出した。
サクは、続きを促すように大きくうなずいた。
「そこを、わしらは海の里と呼んどった。それに対して、今わしらが住んどるところが山の里や。二つの里で、それぞれ役割を分けとったんや」
「山の里では穀物や野菜、それに獣肉、皮、木材、糸を作る。海の里では海産物とその加工品、それから塩を作って、お互いにやり取りしながら暮らしとった。言うたら、二つの里で一つの村やったんや」
「二つ合わせて今の村よりずっと多かった 。行き来も多かったし、互いの里から嫁をもろたり、婿に入ったりすることも珍しなかった」
バルグはそこで焚き火に薪を足し、棒の先で灰を掻きながら、熾火を寄せ集めた。
「それがある日、大きな地震が起きた。春先のことやった」
バルグは、しばらく炎を見つめていた。
「わしは、その海の里の生まれや。代々、船大工をしとる家の次男でな。わしも船大工になるつもりで、修業しとった。あと何年かしたら、兄貴を手伝うか、自分で小さな工房を持つか。そんなことを考えとった頃や」
「あの日は、この橋を補修するために、海の里の仲間四人と作業をしとった。山の里からも五人、手伝いに来てくれとった」
「天気のええ日で、風も心地よかった。作業はいつものように、何の問題もなく進んどった」
「そんな時や。突然、大きな揺れが来た。積んであった材木が、ゴロゴロと転がった」
「立っとられへんかった。尻餅をついたやつも、膝をついたやつも、そのまま揺れが収まるまで固まっとった」
「揺れがひとまず収まると、わしらは里の見える高台まで走った。それまでの人生で一番、速う走ったと思う」
「高台から見た里は、何も変わっとらんかった。家が崩れた様子もない。川も氾濫しとらん。それを見て、はじめはほっとしたんや」
「わしらはその場にへたり込んだ。誰も物を言わんかった。肩で息をする音だけが聞こえとった」
バルグは、一つ一つ確かめるように語った。
「里は無事や」
「その時は、そう思たんや」
焚火の中で、薪が小さくはぜた。
「異変が起きたんは、それからしばらくしてからや」
「波が、ひとつ来るたびに浜を高う上がってきた。次の波は、その前よりもさらに岸を越えてきた」
「誰かが『あかん』言うた」
「その直後や。大きな波が浜をひとのみにして、里へ入ってきた」
「川を見たら、そっちからも波がさかのぼってきよった。川岸を越えて、塩田も、家も、網を干しとった竿も、干物も、何もかも飲み込んでいきよった」
「家の中やら、どこからやら、人が路地へ飛び出してきた。みんな波から逃げとった」
「けど、そこからは、あっという間やった」
バルグは焚火へ目を落とした。
「今朝、会うて挨拶したおばちゃんや、おっちゃんが見えた気がする」
「その人らも、波に飲み込まれた」
「わしは、おやじやら、おふくろやら、兄貴らを捜した。必死に目で追った」
「けど、分からんかった」
サクがぽつりと言った。
「津波やな。海の底で大きな地震が起きて、海の水そのものが押し寄せてきたんや」
カメルは口を開けたまま、あうあうと声を漏らすばかりで、言葉が出ないようだった。
バルグは続けた。
「波はまたやってきた。今度は里のもんを山側へ押し流して、それから海へ引いていきよった」
「家が船みたいに浮かんでな。山側へ押し流されたかと思うたら、今度は海側へ引っ張られていった」
「わしらは、それをじっと見とることしかできんかった」
「そっから先は、よう覚えてへん。けど、あの時の光景は、今でも夢に出てくる」
いつの間にか、サジもそばへ来て話を聞いていた。
「わしらは急いで里へ走って戻った。高台の近くにおって助かった者や、逃げてきた者らとすれ違いながら、自分らの家があった場所へ向かったんやと思う」
「景色が、まるっきり変わっとった。それでも、たぶんここやろいう場所まで走った」
「何もなかった。波にさらわれて、家も何もかも、のうなっとった」
「そっからは、生きとる者を集めよう、いうことになった。必死になって、里の中を走り回った」
「木ぃにつかまって助かった者や、怪我をした者を見つけて、安全なところへ集めた。あまりのことに魂を抜かれたみたいになっとる者は、ひっぱたいてでも動かした」
「生きとる者を捜し続けとるうちに、日が暮れてしもた」
バルグは、火の中へ薪を一本放り込んだ。
「山の里から本格的な助けが着いたんは、四日目やった」
「橋の補修に来とった山の里の者が、ほとんど休まず村へ走って知らせたんや」
「炊き出しやら、仮小屋を建てるんやら、手分けして人を捜すんやら。そういうことが、ようやくできるようになったんも、それからや」
バルグはそこで言葉を止め、サジへ目を向けた。
「あん時のこと、覚えとるか」
サジは目を伏せた。
「わしは、十をいくらも越えとらんガキやった」
「村長が緊急やいうて招集をかけはった。ほんで、すぐ動ける者を集めたんや」
「三十人もおらんかったと思う。その中でも若うて足の速い男らには、とにかく先に行けいうて走らせた」
「わしらみたいな若年の者には、『村中の者を集めい』いうて、家々へ知らせに走らせた」
「その間にも、食料やら薬草やら寝具やらをかき集めて、用意のできたものから順に送る手配をしてはった」
バルグが言った。
「あとで聞いたら、山の里総出で、海の里を助ける段取りを組んどったらしいな」
「生き残った海の里の者が、山の里に恩がある言うんは、そのことや」
「それと、今に至るまでの塩に纏わる、悪戦苦闘のはじまりやった」




