第25.1話 燻製小屋での酒のつまみ
第25.1話 燻製小屋での酒のつまみ
サクは朝から燻製小屋を訪れていた。
かつて、ミアとサクが暮らしていた家である。
今はガロンたちの手で燻製小屋として使われている。村で狩った肉を解体し、塩をすり込み、煙にかける。町へ持っていく品としても、冬を越すための備えとしても、ここは以前よりずっと重要な場所になっていた。
この日サクが見に来たのは、燻製の出来具合と、「若いもん」の仕事ぶりを確かめるためだった。
この村で「若いもん」と呼ばれているのは、三年前の強制徴用の時に、まだ十五歳以下だった男子たちのことだった。
あの時、十六歳から三十五歳までの男のほとんどが連れていかれた。帰ってきたのは、サクを含めて数人だけである。
村には、働き盛りの男たちがごっそり抜け落ちた空白ができていた。
「燻製の方はもう、問題ないと思う。解体もや。そんでも狩りの方は、まだまだ経験が要るやろな」
「オルムの息子にも、狩りを教えるんか」
「そのつもりや。親がそう望んどる」
「オルムが狩り組に自分の子を出すとはな。しかも息子と娘、二人や」
「うちの次男と、オルムんとこの二人。それとムロのとこの三男を入れて四人や。こいつらが一人前になってくれたら、とりあえずは何とかなる」
先の戦では、狩人や木こりなど、森に入る職の者が集中的に徴用された。それも一度ではない。数度にわたってである。
木こり兼炭焼きについては、その人数の回復の目途がまだ立っていない。
それに対して、畑の組では長男が除外されることが多かった。食糧生産の将来の担い手として、最低限は残してほしいと村が抵抗した結果だった。
オルムはそのことに、引け目を感じているのかもしれない。
サクはそう思った。
「他の家は、狩りとか炭焼きに人を出すのを嫌がっとるみたいやな。耕作地が増えてきたんもあるが、なんつうても男手が足らん」
ガロンはそこで、少し間を置いた。
「俺も時々、あいつを思い出すわ」
ガロンは、この強制徴用で長男を失った。狩人として一人前になって、まだ間もない頃だった。
サクは、それについては答えなかった。
耕作地が増えたのは、ミアと考えた揚水水車の働きも大きかった。それに加えて、村長がいくつかの新たな種を取り寄せ、それぞれの土に合った作物を育てられるようにしたこともある。
サクたちが考えてから、何年もかけてようやく得られた成果だった。
だが、その成果によって畑の仕事はかえって広がり、本来なら他へ回せたはずの人手が、畑に留まることにもなった。
皮肉なものだった。
今の村には、穀物や野菜はある。だが、肉と燃料が足りない。
塩の次に迫っている問題は、そこだった。
そのためにも、交易路の復旧は差し迫った課題になっている。
「おまえ、朝から不景気な顔しとるな」
ガロンは突然、話を変えた。
「町から帰ってから、怪我やら寄り合いに出た話やら、色々あったやろ」
ガロンは、サクの顔を横目で見た。
「ばあさんやレアと、やり合ったか」
「ああ、そんなところや。みんなに責められて、えらい肩身狭いわ」
サクは顔を上げずに答えた。
ガロンは鼻で笑った。
「そんな腐んな。みんな、おまえを大事に思っとるんや」
「わかっとるわ」
「女はな、自分の感情が先にくる時がある。いちいち真に受けとったら身がもたんで」
サクは苦い顔をした。
「……それ、レアの前で言うたら薬草茶に何入れられるかわからんぞ」
ガロンは平然と言った。
「そら言わん。俺も命は惜しい」
サクは、はあ、とため息をついた。
そんなやり取りをしているうちだった。
「おるかー」
戸口で声がした。
誰も返事をしないうちに、オルムが中へ入ってくる。
「おう。サクか。なんや、しみったれた顔しとるのぉ」
「あんたまでそんなん言うか。顔に出とるんかなあ」
オルムが燻製小屋に来たのは、息子たちがきちんと仕事をこなしているか確かめるためだった。
それともう一つ、貯蔵の仕方を変えた酒を、ガロンと試飲するためでもある。
オルムの肩から下げた鞄には、陶器の瓶が二本のぞいていた。
「まあ、聞いたろか。他人の不幸ほど、旨いアテはないしな」
「俺の不幸は酒の肴か」
サクは口をへの字に曲げた。
「そんでも、俺は飲めへんで。これで酒の匂いさせて帰ったら、ほんまに茶に薬、盛られる」
「ははは。こいつ、怪我やら町への派遣の件やらで、家で責められてな。そんでむくれとるらしいねん」
ガロンが、オルムに説明するように言った。
「ああっ! 思い出した」
サクは顔を上げ、オルムを指さした。
「レアが飛び出した直接の原因、あんたの発言や。嫁あてごうて帰れんようにするって」
「なんや、あの子、あれを聞いとったんか」
オルムは眉をひそめた。
「それは寄り合いの秘匿から言うたら、見過ごせんな」
「そこかい」
サクが思わず言う。
「それはそれとして、あの話はあり得ることを口にしたまでや」
オルムは悪びれもせずに言った。
「サリナも村長も、気づいとったはずや。考えとうなかっただけやろ」
ガロンがサクに問う。
「レアが飛び出したって、なんや。あれに何があった」
サクは、事の経緯を話し出した。
「……寄り合いの後、家に帰ったらな。レアが、ばあさんと先にやり合っとってん」
「ほう」
「俺の町行きに付いていく言い出しててな。ばあさんの困った顔、久しぶりに見たわ」
サクはそこで、苦い顔をした。
「そんで、俺が帰ったら、今度は俺とや」
「行く、行けん、で言い合いになって……」
「ばあさんが言うとったんや。寄り合いで、オルムが女あてごうて帰れんようにするとか、なんとか言うたって」
サクは横目でオルムを見た。
「それ聞いて、レアが頭に血ぃ上らせてな。ぷいっと家を飛び出してしもた」
ガロンが続きを促した。
「寄り合いの後やと、だいぶ暗なっとるぞ。それで、どないした」
「あちこち探したけど……結局、サリナのとこにおった」
「その晩は泊めてもろて、次の日、サリナに付き添われて帰ってきた」
ガロンは、ほっとしたように息を吐いた。
「よかったやないか。無事に帰ってきて」
「まあ、それはええとして」
サクは口をへの字に曲げた。
「難儀なんは、レアがそれから口きいてくれへんねん」
それを聞いて、オルムが言った。
「それは、おまえが悪い。ちゅうか、下手打ったな」
オルムは試飲用の茶碗を取り出しながら、諭すように続けた。
「そういう時に、理屈で説き伏せようとしてもあかん。年頃の娘は、特にな」
「ほんなら、どないすればよかったんや」
サクはふてくされたように聞いた。
「うちの娘にな、燻製小屋の仕事してみいひんか、って聞いたんや」
オルムは直接その問いには答えず、自分の話を始めた。
「最初は拒否や。気持ち悪い、匂いがつく、肉は嫌いや、そこまで言いよった」
そう言って、茶碗に注いだ酒を一口含み、舌で唇を湿らせた。
「あの子、ちっちゃい頃、ミアになついとってな。憧れやったんや」
サクは顔を上げた。
「ミアに?」
「そうや。そんで、ミアは狩りだけやのうて、解体もできた。燻製もうまかった。そういう話をしたんや」
オルムは茶碗を手の中でゆっくり回した。
「それで、話だけは聞いてくれるようになった」
「なんの関係があんねん」
サクは怪訝な顔をした。
「そこで、サクが教えてくれるって話をした。ほんなら、考えてみるって言い出してな」
「……なんじゃそりゃ」
「兄貴が行くって決まった時に、私も一緒に行く、となった」
サクは口をぽかんと開けた。
オルムは少しだけ口角を上げた。
「言いたいことはやな。理屈で通そうとしてもあかん、ちゅうことや」
「相手が何を望んどるかを見つけて、それとどう折り合いをつけるかやな」
サクは黙った。
「レアは、町へ行きたいんと違うやろ」
オルムは茶碗を置いた。
「おまえに置いていかれとうないんや」
サクは返す言葉をなくした。
オルムは、そこで急にいたずらっぽく笑った。
「ところでサクよ。うちの娘、おまえのこと、まんざらでもないと思うぞ」
「は?」
「寄り合いの話やないが、嫁にどうや、とは言わんがな」
「言うとるやんけ」
サクは思わず身を引いた。
「こっわ。いくつ年離れとると思てんねん。ありえへんわ」
「まあ、そう言うな。父親公認やぞ」
「余計怖いわ」
ガロンが笑いながら言った。
「ああ、俺も娘が欲しかったわ。こんな知恵まで身につくんやからな」
「知恵か、悪知恵かわからんけどな」
サクはそう言って立ち上がった。
これ以上ここにいると、何を言われるかわかったものではない。
居心地の悪くなったサクは、早々に燻製小屋を出た。
その足で薬師小屋へ向かい、ばあさんに頭を縫っていた糸を抜いてもらった。
ようやく、温泉に入れる。
湯に肩まで沈めた瞬間、サクは腹の底から息を吐いた。
「これがあれへんかったら、やっとれんわ」
湯舟につかりながら、一人ごちた。
次のフェーズに移るにあたって、いろいろ考えながら進めています。
ただ、仕事の方も少し忙しくなってきており、更新のペースはやや停滞気味です。
物語と現実のバランスを取るのは、ほんとうに難しいですね。
動きはゆっくりになりますが、ぼちぼち進めていきたいと思っています。
定期的に読んでくださっている皆さま、いつもありがとうございます。
引き続きお付き合いいただけますと幸いです。




