第25話 助言と家出と
第25話 助言と家出と
サクとサジは、日暮れの上り坂を歩いていた。
点在する民家から、夕餉の炊煙が上がっているのが見える。
サジは正面を向いたまま、口を開かない。
サジに代わってサクが町へ向かうことが決まった寄り合いの帰りにも、同じように呼び止められ、話をしながら帰路についたことがあった。
それ以来、事務的なことで何度も顔を合わせてはいたが、こうしてサジとじっくり時間を取って話すことはなかった。
サジという男は、口数の多い男ではない。
必要なことを、必要な時に、必要なだけ話す男だった。
それだけに、皆が彼の言葉に耳を傾ける。
ただ、村の外回りを任された者がそれでよくやってこられたものだと、サクは思った。
あまりに続く沈黙に耐えかね、サクは声をかけた。
「サジさん、体の方はどないや。無理しとらんか」
「無理せんで済むなら、とっくにそうしとる」
サジは前を向いたまま、短く答えた。
「道筋だけでもつけとかんとな。後を任せるにしても、何もなしでは渡されへん」
そう言ってから、サジはちらりとサクの方を見た。視線は、頭に巻かれた包帯で止まる。「それより、お前や。頭、怪我したんやろ。無茶も大概にせなな」
「もう大丈夫や。ばあさんには、さんざん言われた」
「そら言われるやろ」
サジは少しだけ口元をゆるめた。
「シアさんとか、ヘレナが聞いてきとったで。変わりないかって」
「あの人らも元気やったらええ。よろしく言うといてくれ」
「わかった」
それからまた、沈黙が続いた。
しばらくして、今度はサジの方から口を開いた。
「村長が昨日、うちに相談に来とった」
サクは黙って聞いた。
「そんで、今日、議題に乗ったお前の派遣の話を聞いた」
「西大国の薬師の話も聞いた」
「サジさんはどう思う。そんで、どう答えた」
サジは少し考えてから答えた。
「いろんなこと、覚悟しとけよと答えた」
その言葉だけを先に置いて、サジは一度、息をついた。
「北の領主に頭下げて、借金して塩を買うても、村で要る量が賄えるかは怪しい。そもそも、金を貸してくれるかどうかもわからん」
「お前が行かな、立ちいかんことは目に見えとる。これはもう、選べる話やない」
そこで、サジは言葉を切った。
「せやから、覚悟しとけと言うた」
サクはもう一度、たずねた。
「それで、サジさんはどう思うんや。正直なところを教えてほしい」
サジはすぐには答えなかった。
サクは言葉をつづけた。
「今回の件で、俺が村からどう見られとるか、少し分かった気がする」
「頼りにされとる。大事にされとる。それは分かった」
「けど、どう振る舞ったらええのか、分からん」
「助言を求めとるんか?」
「先輩やからな」
「ふむ」
サジは一度、立ち止まった。
「お前とわしでは、だいぶ違う」
そう言って、サジは坂の下に広がる村を見た。
「わしは村で生まれて、村しか知らん人間や」
「やり方も違う。わしは物を運ぶだけや。お前は違う」
サクは黙って続きを待った。
「方法や技術、考え方やら、形にならんもんまで運ぶ」
「あかんのか」
「いや、違う」
サジは首を横に振った。
「わしはそんなこと、しよう思てもでけへん。必要や思ったら、すればええ」
「村では、お前を縛ろうちゅうもんもおるやろ。けど、そんなん現場に出たら考えとる暇はない」
「無視すればええ」
サクは少し目を細めた。
「無視してええんか」
「ええ」
サジは短く言った。
「自分の良心に従って動けばええ」
そこで一呼吸置いてから、サジはまた歩き出した。
「それでもな」
少し先を歩きながら、サジは言った。
「村のことを、ちょっと頭の上の方で考えといてくれたら、それでええ」
「頭の上の方、か」
「重しにはせんでええ。忘れんでくれたらええ、いうことや」
サクは、胸のつかえが少しだけ溶けた気がした。
同時に、以前から疑問に思っていたことが頭に浮かんだ。
町には、サクが関わる何年も前からサジが行き来していた。
しかし不思議なほど、町にはサジの残り香が少なかった。
その理由も、今なら少し分かる気がした。
サジは物を運んできた。
だが、それ以上のものを、あえて運ぼうとはしなかったのだ。
もう一つ、サクには気になっていることがあった。
なぜ、他国である辺境の町まで交易に動いたのか。
今でこそギルドが窓口をしてくれているが、以前はそれもなかったはずだ。
ならば、サジ自身がその道を開いたことになる。
どうやって、その道を開いたのか。
サクは、そのあたりを聞いてみたかった。
「なぁ、サジさん。今はギルドが窓口をしてくれとるけど、その前はどうしてたんや」
「それに、その道をどう開いたんや。そのあたり、ずっと疑問やってん」
「ギルドの前か」
サジは少しだけ目を細めた。
「領主館を通して、個別にやってたな」
「最初は、なんとかせなと思ってな。あてもなく町に荷駄を引いて入ったんや」
「いきなりか」
「いきなりや」
サジは短く答えた。
「そこで、十歳くらいの男の子が声をかけてきてな」
「その子が、今の領主や」
サクは思わぬ話に、思わず身を乗り出した。
「その子の紹介で、業者を紹介してもろた。そっからや」
サクは続きを聞こうとした。
その時、サジが足を止めた。
「家についたな」
見ると、いつの間にかサジの家の前まで来ていた。
「今度、橋の再建で一緒に南に向かうやろ。詳しい話は、その時にでも話そ」
サクは口を閉じた。
今聞きたい気持ちはあった。だが、サジがそこで話を切ったなら、それ以上は聞けなかった。
*
サクが家に着き、「ただいま」と言って扉を開けた。
いつもなら、すぐに「おかえり」と返ってくる。
だが、その日は返事がなかった。
入口からすぐ見える薬師小屋の居間に、レアとばあさんが向かい合って座っていた。
レアは上目づかいに、ばあさんを睨んでいるようだった。
目が赤い。
ばあさんがサクを見上げた。
「サクゥ」
困り果てたような目だった。
そんな反応をしているばあさんを、サクは初めて見た。
「なんや。なにがあった」
サクがたずねると、ばあさんは小さく息を吐いた。
「レアが、サクについていくって」
「言うこと聞かんようになった」
「はぁ? なんでそんなこと言いよる」
するとレアは、今度はサクの方を向いた。
「うち、今度の町行きにはサクについて行く」
その声は震えていた。
けれど、引くつもりはない声だった。
「これはうち、決めてん。絶対ついていく」
「そもそも、なんでお前がその話を知っとる」
サクが言うと、レアは唇を噛んだ。
ばあさんが横から、小さく息を吐いた。
「今日、寄り合いの手伝いに行っとったんや」
「茶の用意やら、片づけやらな」
「手伝い?」
「おととい、お前が村長らに話しとったやろ。町に行く話を」
「今日、その話が出ると分かっとったんやろうな」
サクはレアを見た。
「聞いとったんか」
レアは答えなかった。
ばあさんが続けた。
「オルムが言うたらしい」
「町はサクを手放さん。女でもあてがって、家族を作らせて、離れられんようにしてしまう、とな」
サクは顔をしかめた。
「……あの話を聞いとったんか」
「その言葉を聞いて、レアが飛び出してきたんや」
レアは赤い目でサクを睨んだ。
「うちは嫌や」
「サクがまた町に行って、怪我して帰ってきて」
「今度は帰ってこんようになるかもしれん」
「町の人らが、サクを離さんようにするかもしれん」
「だからって、ついて来る理由にはならんやろ」
サクはすぐに言い返した。
言ったあとで、少しきつかったかと思った。
けれど、言葉を戻すことはできなかった。
「道がどんなもんか、お前は分かってへん」
「崖もある。森もある。荷も背負う。夜は外で寝る」
「若い男でも音を上げる道やぞ。子供が行けるわけないやろ」
「子供ちゃう!」
レアが叫んだ。
「子供や」
サクも、つい声を強くした。
「少なくとも、あの道を歩くには子供や」
「町に着くまでに足を痛めたらどうする。崖で動けんようになったらどうする」
「俺は荷も運ばなあかん。道も見なあかん。お前の面倒まで見られへん」
レアの顔が歪んだ。
「面倒って、何や」
サクは一瞬、言葉に詰まった。
「そういう意味やない」
「そういう意味やろ」
「うちは邪魔なんやろ」
「違う。そうやなくて、危ない言うてるんや」
「危ないんはサクも一緒やんか!」
レアは涙をこぼしながら言った。
「サクは怪我しても行くんやろ」
「村のためやったら、また無茶するんやろ」
「それで、うちはここで待っとれって言うんやろ」
「待っとれとは言うてへん」
「言うてる!」
レアは立ち上がった。
「サクはいっつもそうや」
「大事なことは自分で決めて、自分で行って、自分で怪我して帰ってくる」
「うちらは後から聞くだけや」
「レア」
ばあさんが低く呼んだ。
だが、レアは止まらなかった。
「もうええ」
「どこ行くんや」
サクが言うと、レアは涙を拭いもせず、入口へ向かった。
「知らん!」
「待て、レア」
レアは扉を開けた。
もう一度言った。
「知らん!」
レアは外へ飛び出していった。
扉が乱暴に閉まった。
薬師小屋の中に、重い沈黙が落ちた。
「追わんのか」
ばあさんが言った。
サクは閉まった扉を見たまま、答えられなかった。
ばあさんはもう一度言う。
「もう、暗なるぞ」
サクは答える。
「今すぐ行ったら、また怒鳴られる」
しばらくして、サクは扉に手をかけた。
「探してくる」
ばあさんは止めなかった。
「暗い。足元、気をつけや」
「わかっとる」
外に出ると、日はもうほとんど落ちていた。
民家の明かりが、ところどころに浮かんでいる。
サクはまず、薬草畑の方を見に行った。
それから水場、つむぎ小屋の裏、村の外れへ続く道。
レアの姿はなかった。
まさか、村の外には出てへんやろうな。
そう思ったところで、サクは足を速めた。
行き先に思い当たった。
サリナのところだった。
村長の家に着くと、中に明かりがついていた。
扉の前で足を止める。
中から、小さな話し声が聞こえた。
サクが戸口で声をかけるより早く、扉が開いた。
出てきたのはサリナだった。
「サク」
「レア、来とるか」
サリナは少しだけ目を伏せ、それから頷いた。
「来とる。中におる」
その言葉を聞いて、サクはようやく息を吐いた。
足から力が抜けそうになった。
「そうか」
「今日は、こっちで泊めるわ」
サリナは静かに言った。
「今は顔を合わせん方がええ」
サクは扉の奥を見た。
レアの声は聞こえない。
「……迷惑かける」
「迷惑ちゃう」
サリナは少しだけきつい声で言った。
「こういう時に来る場所があるなら、それでええ」
サリナはそこで少し間を置いた。
「今日は帰り。あの子も、あんたも、頭が冷えてへん」
サクは小さく頷いた。
「わかった」
もう一度だけ、サクは扉の奥を見た。
だが、レアは出てこなかった。
「頼む」
それだけ言って、サクは踵を返した。
帰り道、胸の中に残っていた冷たいものが、少しだけゆるんでいた。
レアが無事にいる。
今は、それだけでよかった。
そして、サジの言葉を思い出しながら思った。
「無視なんて、できそうもないな」




