第23話 見舞いの席で
第23話 見舞いの席で
サクは帰宅した翌日を薬師小屋で終日安静にすることになった。ばあさんに半ば監視されるようにである。
「日頃の行いが悪いからや」
やることといえば縄を補修することくらいである。
取り置きしておいた葛の蔦をたたいて細かくした繊維を撚っていくうち、
「雨でも雪でも嵐でも吹雪でもないのに、違和感この上ないわ」
と自然に独り言が増えてくる。
「あっ、そや、これ重曹で煮たらもっと簡単に柔らかにならんかな」
と腰を上げそうになる。
「あかん、じっとしとれ言うとるやろ」
「やることなかったら、これでもすりつぶしとれ」
と薬研と干からびた木の根を放り渡される。
またサクはぶつぶつ文句を言いながら、それを受け取り、ゴリゴリやりだす。
「なぁ、明日には糸取れるか?」
「明日は無理やな。今の様子やったら外出するくらいはええやろ」
「風呂はまだ入れんか?」
「糸とるまではあかん」
糸を取る、取らん。風呂入れるか、あかん。この話は帰ってから何度目だか繰り返した。
しばらく無言で二人は手作業を続けている。
日が西に傾きかかった頃、不意にサクが大あくびをする。
ばあさんが言う。
「眠いんやったら、横になっとれ」
「今寝たら、夜寝にくくなるしなぁ…… 」
サクがこぼすと同時に。
「おるかぁ」
成人男性の声がした。
「なんや、誰や」
ばあさんが返す。
「ガロンとわしや」
戸口から、赤毛を短く刈り込んだ五十代の男と、栗毛の髪を後ろで束ねた男が入ってきた。 猟師のまとめ役のガロンと、村長だった。
「見舞いや」
ガロンは手に持っていた鹿の燻製肉を、サクに差し出した。
「見舞いて、大層な。でも、せっかくやからもろとくで」
サクは立ち上がり、二人を迎え入れた。
村長が苦笑する。
「レアが家に来てな。サクが暇で死にそうになっとる、と言うとった」
「で、見舞いだけか」
ばあさんが薬研を押す手を止めずに言った。
村長は少しだけ笑った。
「ばあさんには隠せませんな」
「隠す気があるなら、ガロンを連れてくるな」
「で、腰のもんはなんや。酒はあかんぞ」
村長の腰に下げた袋から、陶器の小瓶の口がのぞいている。
ばあさんは、それを見逃さなかった。
「飲ませるつもりはありません。味と匂いを見てもらいたいだけです」
村長が慌てて答えるより先に、ガロンが口を挟んだ。
「村長が若いころ王都で見た知識をな、オルムが畑のもんで試しとる酒や。わしとサジは味を見とる。だいぶ形になってきた」
「酒、言うても蒸したやつか」
サクが小瓶を見て言う。
「そうや。おまえも前に味見したやろ」
「飲まされた、な。あれは味見とは言わん」
ガロンは笑った。
村長が少し声を落とした。
「明日の寄り合いで話したいと思っています。薬にも使えるかもしれませんから、ばあさんの意見も聞きたい」
村長はサクにも向けて言った。
「晩飯の段取りまだやろ。サリナが料理をもってくる。メルナもさそってな」
「晩御飯、みんなで食べよ。勝手に進めてしもて申し訳ないけど、ばあさんええな」
ばあさんは「ふん」とだけ返事をした。
サクはそこで、ようやく村長の顔を見た。
見舞いにしては、酒があり、燻製肉があり、呼ばれる顔ぶれが重い。
ガロン、メルナ、サリナ。
どれも、明日の寄り合いでサクの町行きに反対しそうな者たちだった。
村長としてはそれしか、村が生き残る選択肢がないと考えているのであろう。
食事会の姿を借りて、説得の場にしようとしているのだ。
「ほな、ちょっと席作ろか」
サクはテーブルになる台を取りに腰を上げた。
ばあさんも薬研などを整理し始める。
集まるのはガロン、メルナ、村長とサリナ、ばあさん、サク、レア。七人。
広くもない薬事小屋の作業場が食事の会場(会議の場)となるのか。サクはそう考えながら支度をつづけた。
その最中に玄関先で声がした。
「こんにちは。おじゃまするよー」
明るい声とともに、メルナが入ってきた。
その後ろに、料理を持ったサリナとレアが続く。
女衆が入ると、食卓の準備は一気に早まった。薬事小屋だけに、小皿も碗も余るほどある。
台が据えられ、布が敷かれ、料理が並ぶ。
たちまち、見舞い?の席らしい形になった。
メルナが、目ざとく村長の前に置かれた陶器の瓶に目をやる。
「あっ、なんかある」
「酒や」
ガロンが言った。
「飲ませるんやないぞ」
ばあさんが先に釘を刺す。
サクが返事する。
「分かっとる。匂いと味を見るだけや」
「味を見るいうた時点で飲む気やないか」
メルナが瓶を覗き込む。
「お酒? 誰が作ったの?」
ガロンが答える。
「村長が言い出して、オルムが作って、わしとサジが味を見とる」
「ふーん」
メルナは気のない返事をした。
サクが混ぜっ返す。
「“なんで、うち呼ばんの?”って顔に書いてるで」
村長が苦笑する。
「味は、どんな燻製に合うかをガロンに見てもろとったんや。サジには、運ぶ段取りと外でどう受けるかを聞いとった」
メルナがすぐに反論する。
「消費者の目線が抜けとるな。あかんで、そんなんでは」
「飲む人がみんな、燻製かじりながら飲むわけやないやろ」
ガロンが鼻を鳴らした。
「酒だけで飲むもんでもないやろ。肉があってこそや」
「それがもう肉屋の考えやん」
メルナは村長の前に置かれた陶器の瓶を指さす。
「町の人が最初に見るんは、肉やなくてこっちやで。匂いをかいで顔しかめられたら、そこで終わりや」
「まぁまぁ。言い合うんは、味を見てからにしようや」
サクとレアは棚から小鉢を取り出し、人数分を並べた。
薬事小屋だけに、その手の小さな器ならいくらでもある。
村長が瓶の栓を抜く。
たちまち、つんとした匂いが立ちのぼった。
「少しだけやぞ」
ばあさんが釘を刺す。
村長は一つ一つの小鉢に、底が濡れるほどの酒を注いでいった。
メルナは小鉢を手に取ると、まず鼻を近づけた。
すぐに顔をしかめる。
「きっついな。鼻につーんとくる。ほんまに飲みもんか?」
ばあさんも小鉢を取り上げ、しばらく匂いを確かめた。
「酒精は強そうやな。薬草を漬ける酒や、傷を洗うのには使えるかもしれん」
村長は、少し安心したように息を吐いた。
「ばあさんがそう言うてくれるなら、最低限は越えたということですな」
「ただしや」
ばあさんは小鉢を置いた。
「薬用や消毒用にするなら、そう高うは売れん。惜しまず使える値でないと意味がない」
「そこや」
ガロンが身を乗り出す。
「薬の酒では、大した銭にはならん。嗜好品として売れんと、作るだけの値打ちは出ん」
メルナがもう一度、小鉢の中を覗き込む。
「ほんなら、なおさら味やな」
「匂いだけ強うて、飲んだら喉が焼けるようなんでは、二度目は買うてもらえんで」
「まだ飲んでもおらんやろ」
ガロンが言う。
「ほな、あんたから飲み」
メルナは小鉢をガロンの前へ押し出した。
「わしはいけるで。むしろ、このままの方がええ。この喉が焼ける感じがたまらん」
これまでも何度も試しているためか、ガロンはためらいなく小鉢をあおり、酒を喉へ落とした。
それを見て、躊躇していたメルナも恐る恐る口をつける。
「うへっ、きっつ! こんなん、よう飲めるな」
サリナが眉をひそめて言う。
「ガロン、そのままこのお酒飲むんはやめといた方がええやないの。早く亡くなったカディフも強いお酒がすきやったて言うし」
サクも小鉢へ顔を近づけた。
「匂いは前よりまろやかになったな。前のは、もっと臭かった」
横で聞いていたレアが言った。
「この前、へろへろになって帰ってきた時、次の日まで酒臭かったよ。体中の毛穴から出てるんかと思った」
「そんなにか」
サクがレアへ顔を向ける。
「うん。そんなに」
レアも小鉢へ鼻を近づけ、すぐに顔をしかめた。
それを聞いたメルナは、口をつけかけた小鉢を台の上へ戻した。
「それでな、飲み方も考えてみてん」
ガロンが水差しを引き寄せる。
「これと水を半分ずつや。そうすると、わりとすっすといく」
「薄めるん?」
メルナが露骨に嫌そうな顔をした。
「せっかく蒸して強うしたのに、また水を入れるんか。なんかもったいないな」
「飲まれへん酒を強いまま置いとく方が、よっぽどもったいないやろ」
ガロンは言い返し、小鉢へ水を足した。
サクがそれを眺めながら言う。
「飲む時に割るんは、おかしないで。強いままなら運ぶ量も少なくできるし、腐りにくい」
「けど、町の水で割って同じ味になるんか?」
メルナが聞く。
サクは少し考えた。
「それは分からんな。井戸によって味も匂いも違うやろうし。売るなら、酒だけやなくて飲み方も考えなあかんかもな」
そこでいったん酒の話は峠を越え、皆は料理に箸をつけながら、取り留めのない話へ移っていった。
食卓には箸が添えられている。
サクが使っていたものをミアが面白がり、ばあさんがその便利さを認めたことで、いつしか村にも広まったものだ。
もっとも、ガロンはまだうまく使えないようで、一本だけで燻製肉を突き刺していた。
ばあさんが、不意に切り出した。
「ハウよ、そろそろ本題に入ってもええんちゃうか」
ハウ。
それが村長の名だった。村長と呼ばれることが増え、最近ではその名で呼ばれることも少ない。
ハウは一度息をつき、表情を改めた。
「ここにおる者は、みんな知っとると思うが、荷駄道の橋が落ちとった」
「そのせいで、冬までに荷駄道を再開させるのは難しい」
食卓から、話し声が消えた。
ハウは皆の顔を見回し、続けた。
「明日の寄り合いで、正式に報告する。そして、まず橋の復旧について皆の意見を聞く。ここまではええか」
一同は無言で答えた。
ハウはそれを了解と受け取り、次の言葉を続けた。
「それでも、もっと直近の問題がある。塩の確保や。今のところ、その見通しが立っとらん」
メルナが尋ねる。
「橋の修繕には、どれくらいかかるのん?」
「分からん。最低でも三か月は要ると考えとる」
ハウは率直に答えた。
「しかも、橋は荷駄道の前半にある。その先がどうなっとるかは、まだ分からん」
「あかんやん」
メルナは声を落とした。
「橋を直してぎりぎり。その先も傷んどったら、ほんまに詰まってしもうたな」
「せやからいうて、そのまま詰むわけにはいかん」
ハウは皆の顔を見回した。
「明日の寄り合いで、皆の意見を聞いて決めるつもりや。今日はその前に、ここにおる者の考えを聞かせてもらいたい」
しばらく、誰も口を開かなかった。
サリナは黙ったままだ。
今日の集まりの目的など、最初から見えている。
ばあさんもレアも何も言わない。昨日、サクが出した案を知っているからだ。
メルナも目を伏せ、口を閉ざしている。
やがてガロンが、言葉をこぼすように言った。
「わしには、どうしたらええかなんて考えはない。村長には何か策があるんやろ」
ハウはガロンへ目を向けた。
「わしにも、妙案があるわけやない。これまで通りの道で考えるなら、領主のところへ行って頭を下げ、高い金を払って塩を買うくらいや」
村を管轄する領主は、山を越えた北側にいる。
王国へ一定の税を納める代わりに、村は半ば自治を認められてきた。
だが、それは領主と良好な関係にあるという意味ではない。
「あかんぞ!」
ガロンが強い声を上げた。
「あいつらに借りなんか作ったら、ケツの毛まで抜かれる。これまで何度、煮え湯を飲まされたと思っとる」
「下品な物言いはやめい。女の人もおるんやぞ」
ハウがたしなめる。
「それに、その方法を取るつもりはない」
「なら、どうする」
ガロンが身を乗り出した。
ハウは一度サクを見てから答えた。
「サクから提案があった。町の冒険者ギルドへ依頼を出す。冒険者に、塩を運ぶ手伝いをしてもらう」
「町の冒険者が、ここまで来れるんか?」
ガロンは眉を寄せた。
「これまで、一人もそんな奴おれへんかったぞ」
「まだ話の続きがある」
ハウは再びサクを見た。
「ここからは、サクから話してもらってもええか」
「まず、勘違いせんといてほしいんやけどな」
全員の視線を受け、サクは頭をかいた。
「町の冒険者いうても、今すぐこの村まで来れる奴はほとんどおらん。ガロンの言う通りや」
「ほな、あかんやろ」
メルナが言う。
「今のままならな」
サクは食卓の上に指を置き、町から村までの道をなぞるように動かした。
「俺一人やと、背負える荷に限りがある。塩を百キロ運ぼう思たら、何往復せなあかんか分からん」
「けど、同じ荷を背負える奴が何人かおれば、話は変わる」
ガロンが腕を組んだ。
「その何人かを、町で探すんか」
「探すだけやない。教える」
サクは答えた。
「森の歩き方、野営の仕方、罠の見つけ方、崖の越え方。荷を背負って歩くやり方もや」
一度言葉を切る。
「その代わり、ギルドには塩運びの人手を出してもらう」
メルナが目を細めた。
「代金の代わりに、サクが教えるいうこと?」
「そういう話や」
「ちょっと待ってな。前から少し疑問やってんけど、なんで塩でそんな大ごとになってんの?」
メルナが口を挟んだ。
「今も節約して使ことるけど、すぐに生き死にの話になるわけやないやん」
メルナは、つむぎ小屋の運営には詳しい。
だが、食料を作り、冬に向けて蓄える現場には直接関わっていない。
そのため、塩不足の切実さをまだ実感できていなかった。
「ああ、そこからやったな」
ハウがうなずいた。
「これは、オルムら農家と、ガロンのように肉を扱う者には分かりやすい話や。塩が一番要るのは、普段の飯やない。食料を冬まで残す時なんや」
ハウは食卓に並んだ燻製肉を指した。
「今の日々の暮らしだけなら、これまでの備蓄と、サクが運んできた分で当面は賄える」「けど、秋になれば芋や野菜を漬ける。狩りで得た肉も塩漬けや燻製にする。冬を越え、その先まで食えるものを一度に仕込まなあかん」
ガロンが続けた。
「肉は獲っただけでは冬まで残らん。煙だけでも足らん。塩を減らせば、腐るか、腹を壊す肉になる」
「その時期に、塩の使用量が一気に増える」
ハウはそう締めた。
「そこで足りんかったら、食い物があるのに残せん。冬になってから困っても、もう遅いんや」
メルナは、ようやく実感したように、目の前の燻製肉を見た。
「えらいことやん」
声から先ほどまでの軽さが消えていた。
「塩が足らんかったら、今ここで食べとるもんも、来年は食べられへんいうことやね」
「そういうことや」
「で、どれくらい足らんの?」
メルナが尋ねると、ハウはサクへ目を向けた。
サクは少し考えてから答えた。
「備蓄がどれくらい残るかと、秋に獲れる肉や作物の量で変わるけどな」
「橋が直るまでをつなぐだけでも、あと六百キロほどは欲しいいう話になっとる」
メルナが目を見開いた。
「六百?」
「俺が塩だけに絞って運んでも、一回三十キロくらいや」
サクは指を折った。
「二十往復やな。しかも、いつもの交易の荷とは別にや」
食卓が再び静かになった。
ガロンが言った。
「冒険者を雇ういうても、ずいぶんな人数が要りそうやな。そんな金、村にあるんか?」
ハウは首を横に振った。
「とてもやないが、ない。そこでや。サクから一つ話があった」
サクへ目を向ける。
「その話、頼めるか」
皆の視線を受け、サクは口を開いた。
「町の冒険者ギルドから、森に入るための指導員をやってくれんかいう話が来とる」
「森の奥まで入って、何日か野営して、無事に帰ってこれる人間を増やしたいらしい」
メルナが首をかしげた。
「なんで、今になって?」
「戦が終わって、人が帰ってきとる。けど、急に仕事が増えるわけやない。食い物かて同じや」
サクは続けた。
「これまでみたいに、町の近くや森の浅いところだけで皆が稼ぐんは、そろそろ無理が出てきた。ギルドとしても、入れる場所を広げたいんやろ」
「そこで、この話を引き受ける代わりに、村の塩運びへ冒険者を出してもらえんかと思っとる」
ガロンの目が細くなった。
「おまえを引き抜こう、ちゅうことか」
「ちゃう」
サクはすぐに首を振った。
「俺は村の人間や。それは、おまえもよう知っとるやろ」
「ただ、最初はある程度、町におらな教えられん。森の歩き方だけやない。野営も、荷の運び方も、危ない時の引き際も見なあかん」
「それが済んだら、ずっと町に張りつく気はない。定期的に行く形にしたいと思っとる」
それまで黙っていたサリナが、ようやく口を開いた。
「町にいるのは、どれくらいになるん?」
サクは少し考えた。
「最初の一か月は、ほとんど町におることになると思う」
一度言葉を切る。
「指導全体では、長ければ半年くらいかかるかもしれん。けど、その間ずっと村に帰れんいう話やないで」
その言葉に、サリナはまた何か言おうとした。
だが、言葉がなかなか出てこないようだった。
その時、ハウがメルナへ顔を向けた。
「どう思う。率直なところを言うてくれ」
メルナはしばらく考えてから、口を開いた。
「正直に言うと、行かせたくない」
いつもの饒舌な彼女らしくない、短い言葉だった。
うつむいたまま、続ける。
「でも、他に手がないんやろなとも思う」
ハウはうなずき、今度はガロンを見た。
「ガロン。おまえはどうや」
「サクが抜けて、一番影響が出るのはおまえのところや。正直に言うてくれ」
ガロンは食卓へ目を落とした。
「サク一人に、なんでこんな負担がいくんやとは思う」
「理不尽やないか、ともな」
「その気持ちは分かる。俺も同じや」
ハウは言った。
「それでも、猟師の組が回るかどうかを聞きたい」
ガロンはしばらく黙ったあと、答えた。
「俺やサクが教えてきた若いもんが、ある程度は森で動けるようになってきた」
「それに、オルムのところからも、若い女を含めて何人か出してもろとる。燻製小屋の方も、見通しは立ち始めた」
一度、言葉を切る。
「サクの穴は大きい」
「そやけど、塩のことに比べたら、まだ事は軽い」
その言葉が終わるや否や、サリナが口を開いた。
「反対や」
いつもより強い声だった。
「サクは村の持ち物やない」
「あまりにも、便利に使いすぎや」
誰も言葉を挟まない。
サリナは続けた。
「町に行かせるにしても、その前に村の若い者へ教えられることはあるやろ」
「仕事も、もっと分けられるはずや」
「サク一人に背負わせん方法を、まだ考えられるんちゃうの」
ハウは妻の顔を見た。
その思いは、自分も同じだった。
だが、それでは間に合わない。
塩が必要になる時期は、待ってはくれない。
しばらく沈黙が続いた。
誰も、次の言葉を口にしようとしない。
その空気を軽くしようとしたのか、サクがいつもの調子で言った。
「みんな、大げさに考えすぎや」
「俺がしばらく町の連中に教えて、帰ってくる。それだけの話や」
サクがそう言った時、ばあさんの手が止まった。
「おまえの“それだけ”は、信用ならん」
部屋が静まり返った。
「前にな、西大国の王都から女騎士と薬師が来たことがあったな」
ハウが顔を上げた。
サリナも、初めて聞く話に目を細める。
「あの時も、最初は薬草の場所まで案内するだけじゃった」
「ところが、目当ての薬草は鹿に食われておった。すると、おまえは山を越えると言い出した」
サクが顔をしかめた。
「ばあさん」
「黙っとれ」
ばあさんは言葉を続けた。
「崖を女二人背負って越えた。二往復じゃ」
「村へ着いた時には、足が笑うてまともに立てんかった」
「大げさや」
「大げさなものか」
サリナの手から、布巾が落ちた。
「……私は、その話を聞いていません」
ハウの声も硬くなった。
「私もです」
サクは困ったように頭をかいた。
「わざわざ言うような話でもないやろ」
サリナが静かに言った。
「そういうところです」
ばあさんは、食卓の端に置かれた小瓶へ目をやった。
「最初は、どれも小さな話じゃ」
「だが、現場で足りぬものが出れば、この子は自分を使って埋める」
そして、ハウを見る。
「この子を外へ出すいうことは、そういうことじゃ」
それまで一言も発していなかったレアが、口を開いた。
「その時のこと、覚えてる」
全員の視線がレアに集まる。
「あの時、私は女騎士さんにお願いした」
「サクさんを王都に連れていかないで、って」
「村のことも、誰にも言わないで、って」
レアは膝の上で手を握った。
「あの人は、任務に必要のないことは書かないと言ってくれた」
「薬師さんも、温泉や薬草のことを黙ってくれた」
少し間を置いて、続ける。
「でも、それはあの人たちが約束を守ってくれたから」
サクが、驚いたようにレアを見た。
「……そんな話、してたんか」
「してた」
レアは短く答えた。
ばあさんが、その言葉を引き取った。
「この子は、頼まれたものだけでは済まん」
「人も、事情も、抱えて帰ってくる」
ハウをまっすぐ見る。
「町へ出すなら、その先に何がついてくるか分からん。その覚悟がいるいうことや」
ハウはすぐに答えられなかった。
西大国の中枢に、村へ通じる道を知る者がいる。
薬草と温泉の存在を知る者がいる。
何より、サクの力量を知る者がいる。
それらが今まで表へ出なかったのは、村の備えが万全だったからではない。
女騎士と薬師が、約束を守ってくれたからにすぎなかった。
そして今、自分たちは再びサクを外へ出そうとしている。
ハウが見舞いの名を借りてこの席を設けたのは、明日の寄り合いに向けて、反対しそうな者たちの理解を得るためだった。
ところが今では、説得しようとしていた自分自身が、この案の重さを測りかねていた。
やがて、ハウは絞り出すように言った。
「西大国の薬師と女騎士が村へ来た件は、誰にも言わんといてくれ」
皆の顔を順に見る。
「薬草や温泉の話もや。今日ここで聞いたことは、この場だけにしてほしい」
一度言葉を切り、もう一度頭を下げた。
「頼む。明日の寄り合いにも、今は出さんといてくれ」
ハウは、少し頭を整理したいと言い、宴の終わりを告げた。
皆が席を立ち、食器を片づけ始める。
サリナは食卓に残った箸を一本ずつ揃えながら、しばらくそれを見つめていた。
そして、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと言った。
「ミアがおったら、こんな心配せんですむのに……」




