第22話 帰還報告と説教と提案
第22話 帰還報告と説教と提案
サクが薬事小屋に着いた時には、もう日が落ちていた。
出発がいつもより遅かったせいで、村に戻る頃には空はすっかり暗くなっている。
薬事小屋では、いつも通り、ばあさんとレアが薬草の選別と調合をしていた。
「おかえり」
レアが顔を上げて言う。
サクは入口に腰を下ろし、革靴を脱いだ。ふくらはぎにきつく巻いていた麻布をほどきながら、力の抜けた声で言う。
「めしの用意、頼むわ。俺、ちょっと風呂行ってくるわ 」
「ちょい待ち」
ばあさんの声が飛んだ。
「その頭の傷、見せい」
「なんともないて」
「なんともないかどうかは、こっちが見る」
いつの間にか背後に立っていたばあさんが、年に似合わぬ速さでサクの頭の包帯に手をかけた。
「じっとしとれ」
するすると包帯が解かれる。
ばあさんは傷口をのぞき込み、眉を寄せた。
「まだ糸がついとるやないか」
「そら、縫われたんやからな」
「風呂なんてもってのほかや。糸が抜けるまでは大人しゅうしとれ」
サクは、長い道中ずっと恋焦がれていた温泉を前にして、しばらく黙った。
それから、ぼそりと言う。
「……それは、ちょっと、ひどないか」
「ひどいのは、その頭で山、越えてきたお前や」
「風呂入るの楽しみにしんどい思いして帰ってきたのに……」
まだブツブツいうサクに、ばあさんは止めを刺すようにいう。
「わしがええ言うまで、風呂はあかん。酒もあかん」
「傷口が膿んできたら、それどころやないぞ」
「レア」
「なに?」
「明日の朝、村長にここへ来てもらえるよう言うてくれんか」
レアは手を止め、サクを見た。
「村長の家に行くんやなくて?」
「ばあさんが動くな言うとるしな」
「わしのせいにすな!動いたらいかんから動くなと言うたんや」
ばあさんが横から口を挟んだ。
サクは肩をすくめる。
「ほら、こういうことや」
「報告、多いの?」
「多い。町のこと、大猫のこと、荷駄の道のこと。それと、ヘレナからサリナさん宛てに封筒も預かっとる」
「サリナさんにも?」
「ああ。納品書と明細やと思う。たぶん、ほかにもなんか入っとる」
「たぶん?」
サクは少しだけ顔をしかめた。
「町に試作品渡してんねん。それの感想とかあるんちゃうかな」
それからボソッと付け加える。
「余計な事、書かれてへんかったらええねんけど」
ばあさんが鼻で笑った。
「余計なことを書かれる心当たりがあるんやろ」
サクは返事をしなかった。
*
翌朝、薬事小屋に村長とサリナがやって来た。
村長はいつものように穏やかな顔をしていたが、サリナの目は入口に座っているサクの頭に巻かれた包帯をまっすぐ見ていた。
「……まず、その頭から聞こうか」
「いや、先に交易の報告から――」
「頭からや」
サリナの声は静かだった。
サクは助けを求めるように村長を見た。
村長は咳払いをひとつして、目をそらした。
ばあさんは薬草を選り分けながら、当然のように言った。
「昨日見た。まだ糸がついとる。風呂も止めた」
「風呂に入ろうとしたんか」
サリナの目が、さらに細くなった。
サクは小さく言った。
「……入ろうとしただけや」
サクは、どうにか話を変えようと、荷の横に置いていた封筒を取り出した。
「そうや。これ、ヘレナからサリナさんにやて」
サリナが封筒を受け取る。
「私に?」
「おそらく、納品書と明細やと思う。あと、羽毛の袋の感想も入っとるんちゃうかな」
「羽毛の袋?」
「枕にできる言うて渡したやつや。町のほうでは、けっこう喜ばれるかもしれん」
サクは、ようやく話がそれたと思って、少しだけ息をついた。
だが、それは間違いだった。
サリナは封筒を開け、中の紙を順に確認していった。
最初の一枚は納品書。
次が明細。
そこまではよかった。
三枚目を読み始めたところで、サリナの眉がぴくりと動いた。
「……サク」
「なんや」
「頭を切って縫ったあと、そのまま大猫の回収に行こうとしたそうやね」
サクは、ゆっくりと視線をそらした。
「……ヘレナ、余計なこと書きよったな」
「余計なこと?」
サリナの声が一段低くなった。
「これは、必要な報告やと思うけど」
ばあさんが横で、うんうんとうなずいた。
レアも、同じようにうなずいた。
村長は、茶碗を持ったまま黙っていた。
サクは、封筒を出した自分を、少しだけ恨んだ。
サリナは手紙を読み終えると、すぐには口を開かなかった。
その沈黙が、かえって重かった。
「サク」
「……なんや」
「頭を縫ったんやね」
「ちょっと切っただけや」
「縫ったんやね」
サリナは同じ調子で繰り返した。
サクは観念したように、うなずいた。
「まあ、縫った」
「その日に、大猫を回収しに行こうとしたんやね」
「いや、それは――」
「行こうとしたんやね」
サクは言葉を飲み込んだ。
「……行こうとはした」
「帰ってきてから、風呂にも入ろうとしたんやね」
横でばあさんが、ふん、と鼻を鳴らした。
「それは止めた」
「止められんかったら入ってたんやね」
「……まあ」
サリナは、そこでようやく手紙を畳んだ。
「頭を縫う怪我を、ちょっとで済ますな」
サクは反論しようとして、やめた。
「それに、あんた一人の体やと思うてるんか」
「俺の体は俺のもんやろ」
「そういうことを言うと思った」
サリナの声は静かだった。
「けどな、今あんたが倒れたら、塩も薬も町との話も止まる。荷の道も、ギルドとの話も、孤児院との話も、全部止まるんやで」
サクは黙った。
「無事に帰ってきたからええ、やない。帰ってくるまで、こっちは何もできんのや」
レアが、膝の上で手を握っていた。
ばあさんは薬草を選る手を止めていなかったが、否定もしなかった。
「それに」
サリナは、もう一度手紙を見た。
「町のヘレナさんから聞かされる前に、自分の口で言うことやろ」
サクは、ようやく小さく息を吐いた。
「……悪かった」
「謝る相手は、私だけやない」
サリナの視線が、レアとばあさんの方へ向いた。
サクは二人に向かっても頭を下げた。
「ごめん……」
レアはしばらくサクを見ていたが、小さくうなずいた。
ばあさんは「ふん」と鼻を鳴らし、薬草を選る手を動かし続けた。
それで、許されたのかどうかは分からない。
ただ、それ以上は何も言われなかった。
サリナは無言で、ヘレナからの手紙をサクに差し出した。
サクはそれを受け取り、目を落とした。
はじめの部分は、羽毛の入った袋のことだった。
これまでにない感触と軽さがあり、上流階級を相手にした高級品として期待できる、と書かれている。中に入れる羽毛だけでなく、外側の布にも気を配るべきで、上質な布、たとえば絹などを使い、鮮やかな刺繍をほどこせば、さらに高級感が出るのではないか、という提案もあった。
「……えらい本気やな」
サクは思わずつぶやいた。
サリナは答えなかった。
その次には、サクのことが書かれていた。
サクが町のギルドに対し、一方ならぬ協力をしており、ギルド内でも信頼を得ていること。今回の大猫の件についても、町として大きく助けられたこと。そして今後も、その働きに期待していること。
そこまでは、まだよかった。
だが、最後の方は、苦言というより小言に近い文面になっていた。
大猫の撃退からギルドでの顛末、ヘレナが見聞きしたことが順に書かれている。
そして最後に、こうあった。
――なお、サクは頭を縫ったその日に、止める間もなく大猫の回収に向かおうとしました。その場では止められましたが、翌々日にはギルドマスターともう一人が同行して回収に向かい、無事に戻りました。とはいえ、怪我人のすることではありません。村の方からも、よく言っておいてください。
サクは手紙から顔を上げなかった。
「……ヘレナ、きっちり書きよったな」
「きっちり書かれるようなことをしたんやろ」
サリナの返事は早かった。
手紙はサクの手から村長に渡った。
村長が目を通している間も、サリナの小言は続いた。
「ここの人だけやのうて、町の人にも心配かけてるんやで。ちょっとは自覚してな」
「それもこれも、あんたがまじめに真剣に取り組んでくれてる証やけど、自分の負担とか危険に疎すぎる」
放っておくと、そのまま続きそうだった。
「まあ、そんなところにしといたって。サクも今回は骨身にしみたやろ」
村長が少しにやついた顔で止めに入った。
サリナは、その顔が気に食わなかったのか、夫の方をきっとにらみつけた。
「サクと相談せなあかんことが、いくつかあるんや。話を進めんとな」
村長はサリナに向かって、おだやかに言った。
サリナはまだ何か言いたげだったが、ひとまず口を閉じた。
村長はサクの方へ向き直った。
「一つ目は、荷駄の再開の話や。サジから道の確認で、早々に報告があった」
「橋が落ちとった」
サクが言うと、村長はゆっくりとうなずいた。
「よう分かったな」
「あの道で、ほったらかしにして一番あやういのはあそこや。サジさんが早々に報告に来た言うんも、距離を考えたら合う」
サクは淡々と、思っていることを口にした。
「復旧には人手と時間がかかる。この冬には間に合わん。そういうことやな」
村長は、少しだけ目を細めた。
「そこまで分かるか」
「分かりたくはないけどな」
サクは膝の上で指を組んだ。
「荷駄を通すつもりなら、あそこは避けられん。人が背負うだけなら迂回もできる。けど、馬や牛を通すとなると話が変わる」
「その通りや」
村長はうなずいた。
「それで、お前の考えを聞きたい」
「橋を直すのは、やらなあかん。村の仕事や」
サクは言った。
「そこは変えられん。けど、今年の冬までに荷を増やしたいなら、別の手を考えるしかない」
「別の手?」
サリナが聞いた。
「町の冒険者を雇う」
サクの言葉に、村長はすぐには返事をしなかった。
ばあさんが薬草を選る手を止める。
レアも顔を上げた。
「荷を背負える連中を数人雇う。村からは俺が道案内に付く。危ない場所は俺が見る。荷駄は無理でも、人の背で運ぶ分なら、今よりは量を増やせる」
「それは分かる」
村長は静かに言った。
「だが、雇う金がない」
「それで、別の話がある」
サクはうなずいた。
「町のギルドから、指導員の話が来とる」
サリナの顔が、そこで動いた。
「指導員?」
「若い冒険者に、森の歩き方や罠、解体、野営の仕方を教えてほしいらしい。まだ決まった話やない。けど、向こうはかなり本気や」
「それを引き受ける代わりに、冒険者を出してもらう、いうことか」
村長が言った。
「そうや。金を払う代わりに、俺が働く。俺の指導がギルドの得になるなら、こっちも荷運びの人手を頼めるかもしれん」
「反対や」
サリナの声が、間を置かずに飛んだ。
サクはサリナを見た。
「まだ何も決まってへん」
「決める前やから言うてる」
サリナはまっすぐサクを見た。
「それは、村が金を出せん代わりに、あんたを町に差し出す話や」
「差し出すってほどやない。期限を切ればええ。冬の間だけとか、何日ごととか――」
「そういう話やない」
サリナの声は荒くなかった。
だが、強かった。
「サク、あんたは村にとって、もうただの運び屋やない。薬も、町とのつながりも、道のことも、子どもらのことも、あんたが関わっとる。これから先の村に、欠かせん人間になっとる」
サクは言葉を返せなかった。
「その人間を、荷を運ぶ人手が欲しいから言うて、町へ長く出す。それをここで軽く決めてええ話やとは思わん」
村長は黙って聞いていた。
サクは、少し間を置いてから言った。
「……長期言うても、ずっと町におるつもりはない。期限を決める。条件も決める。俺が村に戻る日も決める」
「それも含めてや」
村長が口を開いた。
「これは、ここで決める話やない」
サクとサリナが、同時に村長を見た。
村長は二人の視線を受けて、静かに続けた。
「サクを町へ出すかどうか。出すなら、どれだけの間、どんな条件で出すのか。村として何を得て、何を失うのか。これは寄り合いにかける」
「村長」
「二日後や」
村長は言った。
「橋のこと、荷駄のこと、余った作物のこと、町との取引のこと。それに、サクの指導員の話。全部まとめて話す」
サリナはまだ納得しきっていない顔をしていた。
サクも、何か言いかけた。
だが、村長は先に言った。
「お前一人が決める話でもない。わしとサリナだけで決める話でもない。村の先の話や」
その言葉で、ひとまず話は終わった。




