第8.1話 腹合わせ
第8.1話 腹合わせ
村長の家を辞したあと、サクはそのまま帰るつもりでいた。
昼の報告は済ませた。
トカゲ肉も渡したし、寺院やギルドの様子も、ひとまず話すべきことは話した。あとは家へ戻って、罠の見回りやら薬草の具合やら、留守の間のあれこれを確かめるつもりだった。
だが、戸口を出かけたところで、村長に呼び止められた。
「サク、悪い。今晩、もういっぺん来られるか」
振り向くと、村長は少し言いにくそうな顔をしていた。
「今晩?」
「寄り合いを開く前に、少し話しときたいことがある。サリナもおる」
サクは少しだけ考えてから頷いた。
「分かった。飯のあとでええか」
「十分や。手ぇ空いた頃に頼む」
そうして夜、村のあちこちの灯りが落ち着いた頃、サクはもう一度村長の家を訪れた。
昼間よりも家の中は静かだった。
居間には村長とサリナがいて、卓の上には簡単な茶と、まだ湯気のある器が置かれていた。子どもらはもう奥で寝ているらしい。
「すまんな、遅うに」
「ええよ。こっちも、こういう話は静かな方が助かる」
サリナがそう言って、茶を勧める。
昼の柔らかい空気とは少し違う。夫婦とも、これからする話の重さを分かった顔をしていた。
サクは座って、湯呑みを手に取った。
「で、何や。改まって」
村長はすぐには答えず、一度だけ息を吐いた。
「今日の昼は、まだ様子見の話やった。けど、明日の寄り合いはそうもいかん。塩の話になる」
それは分かっていた。
分かっていたが、あらためて言葉にされると、やはり腹の奥が少し重くなる。
「やろな」
「せやから、その前に腹合わせしときたい」
村長はそう言って、サクをまっすぐ見た。
「まず、確認や。今のおまえの交易で、どこまで回せる」
サクは少し考えてから答えた。
「どこまで、言われてもな。時期にもよるし、向こうで何が手に入るかにもよる」
「ざっくりでええ」
「……命綱にはなる」
そこまで言ってから、サクは続けた。
「けど、村を丸ごと支えるには足らん」
居間が静まる。
サリナが、静かに問いを重ねた。
「塩だけに絞っても?」
「絞ってもや」
サクは湯呑みを置いた。
「俺がやっとるんは、森の近道を徒歩で抜けるやり方や。速いし、急ぎのもんは持って帰れる。けど、背負える量には限りがある。人ひとりで動くには便利でも、村ひとつの要る分を満たせるほどは運べん」
村長は頷いた。
「やっぱり、そうか」
「分かっとったやろ」
「分かっとった。けど、明日の場ではっきり言う前に、もう一回、おまえの口から聞いときたかった」
それは村長の立場として当然だった。
他人に言わせるのと、自分の中で覚悟して聞くのとでは違う。
サリナが口を開く。
「村の人らは、思っとるより期待しとると思うよ」
サクが目を向けると、サリナは少し眉を寄せた。
「あんたが森を抜けて、町まで行って、ちゃんと持って帰ってきた。それだけで、今までできんかったことやろ」
「まあな」
「ほな、次も、その次も、もう少し何とかなるんやないかって思う人は出る」
「出るやろな」
村長が苦く笑った。
「願い半分、当て込み半分や」
「せやな」
サクも否定しなかった。
期待されること自体はありがたい。けれど、足らないものを足らないまま見せられた時、人は感謝より先に落胆を覚えることがある。そういうのも分からなくはない。
サリナは続けた。
「オルムあたりは言うと思う」
「やろな」
「悪気ばっかりやないよ。畑抱えとるとこは、ほんまに切実やから」
「分かっとる」
そう答えてから、サクは少しだけ口元を歪めた。
「せやけど、期待外れや思われるのも分かるわ」
村長がすぐに顔を上げる。
「それは違う」
「違わへん。俺が行ったら、村がもう少し楽になる思うたやつは、おるやろ」
村長は言い返しかけて、やめた。
否定しきれないからだろう。
「……おるやろな」
「せやろ」
サクは淡々と言った。
「けど、できることはやる。できんことまでできるとは言わん。それだけや」
その言い方に、サリナが少しだけ安堵したような顔をする。
拗ねてもいないし、無理に背負い込んでもいない。そこはサクらしかった。
村長は腕を組んだ。
「問題は、その先やな」
「荷駄か」
「荷駄や」
昼間にも出た話だ。
サクの徒歩交易は細い。速いが細い。今をつなぐには役に立つが、それだけで村は回らない。
本来、立て直すべきは荷駄の交易の方だった。
村長が低く言う。
「道そのものが消えたわけやない。せやけど、前みたいには回せん。人も荷も痩せた」
「サジも年やしな」
「それだけやない」
村長の声が少し硬くなる。
「若いのが減った。馬も減った。泊まりの段取りも、向こうとの顔つなぎも、前より細うなっとる。全部がちょっとずつ細って、気ぃついたら“回せん”の方へ寄っとる」
サクは黙って聞いた。
その言い方は、村長自身が何度も胸の中で反芻してきたものに聞こえた。
「明日の場では、そこも分けて話した方がええ」とサクは言った。
「分ける?」
「俺の徒歩の話と、サジの荷駄の話や。そこ混ぜたらあかん」
村長はゆっくり頷いた。
「俺もそう思う」
サクは指を一本立てた。
「まず、俺の方は応急や。今すぐ必要なもんを細うつなぐ手や」
もう一本立てる。
「荷駄の方は、本筋や。時間かかっても、村として戻さなあかん流れや」
サリナが小さく「うん」と言った。
「その言い方、分かりやすいね」
「分かりやすく言わんと、寄り合いで混ざる」
「たしかに」
村長も同意した。
「“サクが行っとるんやから何とかなるやろ”と、“前の交易を戻せ”が一緒くたになったら、話が散る」
「散るどころか、俺に全部乗るで」
「それは避けたい」
「避けてくれ」
少しだけ笑いがこぼれた。
けれど軽い話ではない。
村長はそこで、言いにくそうにしながらも続けた。
「サジに、もう数回、荷駄の道を見てもらいたいと思っとる」
サクは頷いた。
「それしかないやろな」
「ただ、言い方を間違えたら角が立つ」
「立つやろな」
「引退した人間に、また出てくれ言うようなもんやから」
そこにサリナが口を挟んだ。
「でも、あの人は村が詰むんは嫌がるよ」
「嫌がるやろな」
「せやから、“おまえしかできんからやれ”はあかんけど、“今どこまで回せるか見たい”なら、聞く耳はあると思う」
サクは少し感心したようにサリナを見た。
「言い方ひとつやな」
「そういうもんやろ」
サリナは淡く笑った。
「人は、理屈だけで動かんし」
村長が頷いた。
「明日は、サジに頼む時も、サクの代わりをしろとは言わん。荷駄の道を、どこまで立て直せるか見せてほしい、でいく」
「それがええ」
サクはそう言ってから、少し考えた。
「ただ、寄り合いでそこまで綺麗に進むとは限らんぞ」
「塩の配分やな」
「せや」
それが一番揉める。
むしろ、そこが本題と言っていい。
村長は苦い顔をした。
「完全に納得いく割り方なんか、ないからな」
「ない」
サクも即答した。
「人数で割っても不満出る。働き手で割っても出る。備蓄見ても出る」
「出るな」
サリナが静かに言った。
「それでも、どこかで線を引かんとあかん」
村長はその言葉を受けて、卓の上に視線を落とした。
「……俺は、まずは倒れる家を出さんことやと思っとる」
サクは黙って聞く。
「働き手の数は見る。けど、それだけでは決めん。子どもの数も、備蓄の有無も見る。今ある塩で全員満足は無理や。せやから、潰れる家を先に出さん方を取る」
「揉めるで」
「揉めるやろな」
「オルムは不満言うぞ」
村長は少しだけ笑った。
「顔が浮かぶわ」
「浮かぶんやなくて、出る」
サリナも苦笑した。
「出るね」
それから少しのあいだ、誰も喋らなかった。
囲炉裏の火が小さく鳴る。
サリナが、思い出したように言った。
「誰を呼ぶかも、少し考えた方がええよ」
村長が頷く。
「主だった者には声かける。けど、全員呼んで広げすぎても収まらん」
「ガロンは?」とサクが聞いた。
村長は少しだけ顔をしかめた。
「……呼ばん方がええやろな」
サリナもすぐに続ける。
「前の寄り合いで、あの人、オルムとやり合ったやろ。サクが狩りから手を取られるのは困る、いう話で」
「ああ」
サクにもすぐ思い当たった。
肉の保存や食いもんの回し方を考えたら、ガロンの言い分にも理はあった。けれど、あの場では互いに譲らず、話は変な熱を持った。
「今回は塩と交易や」と村長が言う。「ガロンまで入れたら、また“狩りを誰がどう回す”の方に話が流れる」
「肉の保存から塩に絡めてくるやろしな」とサク。
「絡めてくるやろね」とサリナが苦笑する。「間違ったこと言うわけやないから、なおさらややこしい」
村長は腕を組んだ。
「それに、本人も出てこんやろ。前のあとやしな」
「せやな」
「来たら来たで追い返す話でもないけど、こっちからわざわざ火種増やすこともない」
サクは頷いた。
それは消極的なようでいて、たぶん今はいちばんましな判断だった。
やがて村長が、低く言った。
「もうひとつ、気になるんは先代のことや」
サクは黙った。
それは言葉にしなくても、この村のあちこちにまだ残っている影だった。
「比べられるかもしれん」と村長は言う。「俺がどうこうやなくて、“あの人なら”って話になるかもしれん」
サリナが夫の横顔を見る。
「なるかもね」
「なるやろな」とサクも言った。
村長は苦笑したが、その目は笑っていなかった。
「分かっとる。死人に勝てんことぐらい」
その言い方は軽かったが、本音も混じっていた。
サリナはすぐに否定しない。
ただ、やわらかく言った。
「勝つ負けるの話やないやろ。あの人の後をやるんやから、比べられるんは仕方ない」
「せやけど、都合のええように持ち出されると、腹立つやろ」
村長が言うと、サリナは少しだけ目を細めた。
「腹立つよ。せやけど、あんたがそこで腹立てたら終わりや」
「分かっとる」
「分かってても、言っとく」
村長はそれに返さず、茶を一口飲んだ。
サクはそのやりとりを見ながら、ひとつだけ付け足した。
「先代の名が出たら、場はややこしなるやろな」
「ややこしなるな」と村長は苦く笑う。
「せやから明日は、俺が最初に“今日は全部決める場やない”って線を引く。サクは徒歩の限界をはっきり言う。サジには荷駄の道の立て直しを頼む。塩の配分は、その場で腹括って筋を出す」
ひとつひとつ、自分に言い聞かせるような口調だった。
サリナが最後に言った。
「あと、あんた」
「ん?」
「人がきついこと言うても、すぐに正しさで返しすぎたらあかんよ」
村長が眉をひそめる。
「何や、それ」
「正しいこと言うても、人は腹減ってる時は素直に飲めんから」
サクは思わず鼻で笑った。
「そらそうや」
「笑いごとやない」
「いや、でもその通りや」
村長は少し不服そうだったが、結局は頷いた。
「……分かった」
それで、だいたいの話は決まった。
寄り合いの前に、全部が整ったわけではない。
むしろ不安の方が多い。誰が何を言うかも、どこまでこじれるかも、正確には読めない。
それでも、何を分けて話すか。
どこまでを明日決めるか。
誰に、どう頼むか。
その骨だけは、どうにか三人のあいだで揃った。
サクは席を立つ。
「ほな、俺は帰るわ」
「悪かったな」と村長が言う。
「いや、こういうんは要るやろ」
サリナが戸口まで見送りに出た。
「明日、荒れるかもね」
「荒れるやろな」
「それでも、話さなあかんし」
「せやな」
外に出ると、夜気は冷たかった。
星がよく見える。村の灯りはもう少なく、どの家も明日のことを思うより先に、今日の疲れを寝かせている頃だろう。
サクは息を吐いた。
白くなったそれが、すぐに夜へ溶ける。
明日の寄り合いで、塩が増えるわけではない。
道が太くなるわけでもない。
けれど、足らないままのものを、足らないなりにどう回すかは決めなければならない。
それがたぶん、村を回すということなのだろう。
サクは夜道を家へ向かいながら、村長の言葉と、サリナの言葉を思い返していた。
明日は、綺麗には済まない。
けれど、綺麗に済まないからこそ、先に話しておくべきこともあったのだと、今はそう思えた




