474 マーモント侯爵邸 (1)
オルスクはボロボロになった服を着替え、慌ただしく出かけていった。
訊けば、王都の門を監視させていて、俺たちの訪問に合わせて職場を抜けてきたらしい。
働いているのは国の機関であり、本来ならそんなに融通は利かないが、そこは侯爵家。与えられた仕事を終わらせさえすれば、長めの休憩時間を取ることぐらいはできるようだ。
もっとも、『おそらく今日は残業だろうが』とはリアの言。
侯爵家の人間であっても席を温めるだけでないのは、さすが実力主義の国ということか。
「まぁ、オルスク兄上のことは良い。それよりも客間に案内しよう。こっちだ」
リアに通されたその部屋は、自宅の俺の部屋と比べて、優に三倍は広かった。
大きな窓から差し込む日の光で室内は明るく、内装は落ち着いた色調で統一されている。
広々としたベッドが一つに、優雅なティータイムを楽しめそうなテーブルセット、五、六人は座れそうなソファーも備え付けられ、壁には良い感じの風景画まで飾られている。
俺たちはネーナス子爵の屋敷に滞在していたこともあるので、貴族の客間を初めて見たわけではないが、あの時に借りていた部屋と比べても、この部屋は明らかに格が違った。
「わぁ! 素敵な部屋なのっ」
目を輝かせたミーティアが、てててっとベッドに駆け寄る。
そして、ポフポフと両手でその感触を楽しむが、それを見て焦ったのはメアリである。
「あっ、ミー……」
そう声を漏らして慌てたようにリアを窺うが、リアは小さく笑って首を振る。
「ふふっ。遠慮せず寛いでくれ。後から他の部屋にも案内するからな」
「良いの? 随分と立派な部屋だけど」
「そうだよね? あたしたちは別に個室じゃなくても良いんだよ?」
「気にするな。今は他に客もいないし、客間は空いている――というか、このまま使ってくれた方が助かる。一部屋に複数人を泊めるとしても、床で寝させるわけにもいかないしな」
あぁ、わざわざ追加のベッドを運び込む手間を考えれば、そうなるのか。
この屋敷なら貴族の付き人用に、複数人が泊まれる部屋も備えていそうだが、叙爵予定という俺たちの立場を考えれば、そこに俺たちを泊まらせることも難しいのだろう。
「それじゃ、ありがたく泊まらせてもらうか」
「あぁ、そうしてくれ。外出も自由にして構わないが、食事の準備などもあるし、出かけるときは使用人の誰かに一声掛けてくれると助かる。あと七部屋用意すれば良いか?」
「あ、私とミーは同じ部屋でお願いします。これだけベッドが大きければ二人で寝られますから」
「そうか。では、六部屋だな」
「ん? それじゃ、リアはどこに泊まるんだ?」
「いや、私は自室があるから――はっ!?」
トーヤの問いかけにリアは首を振るが、言葉の途中ではっとしたように瞠目して頬を染めた。
「だ、ダメだぞ、トーヤ。そういうのは正式に婚姻を結んでから――」
「違うっ! パーティー会議をするとき、声を掛けるために確認しただけだ!」
「な、なんだ……。それなら、使用人に声を掛けてくれれば良いが、すぐにやるのか?」
「そうね……。どうする? ナオ」
ハルカがそう言って俺に目を向けると、全員の視線が俺に集まる。
王都には今日着いたばかりだし、今日一日はゆっくりしても良いのだが――。
「大まかな予定だけでも決めておくか。昼食後に集まろう」
「ふむ。場所はここ――ナオの部屋で良いのか? 何なら、別の会議室も用意できるが」
さすがは侯爵家、会議室があるとか、普通の家じゃちょっと考えられない。
とはいえ、俺たちの会議はそんな格式張ったものじゃなく、ほぼ雑談の延長でしかない。
「別にここで良いだろ。全員が集まれるだけの広さがあるからな」
「そうね。問題ないと思うわ」
「了解だ。それじゃ、他の部屋に案内しよう。付いてきてくれ」
リアがハルカたちを連れて部屋を出て行き、部屋に俺だけが残される。
俺は荷物を部屋の隅に置いて、きょろきょろ。
当然、人目はない。……よし。
「とうっ! ……おぉ~」
身体をベッドに投げ出すと、程良い反発が体重を支えてくれる。元の世界で泊まったホテルのマットレスほどの弾力はないが、俺が普段使っているベッドと比べると格段に上質である。
「こういうのって、鍛冶師が作るのか? それとも錬金術?」
ただのスプリングとも違う感じだし、不思議な物の担当は錬金術師である。
であるならば、ハルカたちに頼めば、似たものを作ってもらえるかもしれないが……。
「さすがに、贅沢か?」
今のベッドでも実用上の問題はなく、寝ていて身体が痛くなるわけでもない。
貴族になって屋敷を構えることにでもなれば、その時には考えてみても良いかもしれない。
「しかし、貴族か……」
天井を見上げると、目に入るのはシャンデリアのような明かりの魔道具。
見るからに高価な代物である。
窓枠や扉にも彫刻が施され、部屋の各所には実用性がなさそうな調度品。
これまた金が掛かっていそう。
俺たちの日常とはかけ離れた、こんな場所で育ってきた正真正銘のお嬢様がリアである。
そんなお嬢様を娶るのは、歴とした由緒正しき庶民である俺の親友なワケで。
「トーヤ、大丈夫なのか?」
世間一般から見れば、俺たちも十分に贅沢をしているのだろうが、その方向性は現代的な健康で文化的な生活を送りたいというもの。生活環境は華美よりも実用性、料理だって見た目の美しさや稀少性よりも、美味しさや作りやすさなどの方が優先である。
十分なコストは掛けているが、一般的な貴族とは重視しているところが違うだろう。
リアも虚飾を好む性格ではないし、俺たちと生活していて不満を漏らしたことはないのだが、これまでの生活環境と異なることは確か。果たして夫婦生活が上手く行くかどうかは――。
「いや、大丈夫か。その気になれば実現できるだろうし」
俺たちの家がシンプルなのは、必要性を感じなかったから。
リアが今までと同じな環境を望むなら、実現すれば良いだけである――トーヤの努力で。
結婚すれば青楼でお金を浪費しなくなるし、リアも冒険者になるなら実質二馬力で家計を支えることになる。侯爵家ほどとは言わずとも、かなり余裕のある生活はできる。
もっとも色々と状況も変わっているし、少し落ち着いたら全員で話し合いは必要だろうが。
「ふぅ……。よしっ、着替えるか」
ベッドの気持ちよさにこのまま眠りたくなるが、さすがにそれはマズい。
俺は睡魔の誘惑を振り切り、気合いを入れてベッドから飛び降りる。
「汚れてはないが、さすがに外出着でいるのもな」
本来なら、ベッドに飛び込む前に清潔な服に着替えるべきなのだろうが、俺には『浄化』がある。おかげでシーツを汚す心配はないのだが、使用人の手前、一応着替えは必要だろう。
だが、ここは侯爵家のお屋敷。あまりラフな格好では示しがつかない。
「う~む、どうしたものか」
俺は服にこだわりがないので、こういうときにちょっと困る。
とりあえず外出着を脱いでから考えようか、と思ったところでノックの音が聞こえた。
「ナオ、昼食の用意ができたみたいよ」
「お、ちょうど良いところに。入ってくれ」
俺が応えると扉が開き、そこから顔を覗かせたのはハルカ。
彼女は服を脱ぎかけている俺の姿を目にして、少し呆れたように眉を上げる。
「まだ着替えてなかったの?」
「あぁ。どんな服を着たら良いか迷っていて……。ハルカは普通だな」
「そうね。リアも『使用人しかいないから、気にしなくて良い』と言っていたから」
そんなハルカが着ているのは、ラファンの街中で着るような外出着。
フォーマルとは言えないが、可愛くてお洒落な服である。
俺も普段着で良いのかもしれないが――。
「ハルカ、折角だし、俺の服も選んでくれないか?」
「何が折角何かは判らないけど……。ま、しょうがないわね」
小さく肩を竦めたハルカは、どこか楽しそうに俺のバッグから服を引っ張り出した。









