表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

第5話「公爵夫人になった私の最初の仕事は、二人まとめて詰めることだった」



 婚儀から一ヶ月が経った頃、ハインツが執務室に来た。


 「少しよろしいですか」と言うとき、ハインツの顔は笑っていなかった。


 ノラは書類から目を上げた。「何ですか」


 「カリン様とオスカー元宰相が、連絡を取り合っていることがわかりました」


 ノラは少し考えた。「どんな内容ですか」


 「カリン様は現在も、王都で『公爵夫人は小国の無名の娘で、父親は横領犯だった』という噂を流し続けています。オスカー元宰相は、失職後も外部に向けて『アルダとベルタの関係を壊せる情報を持っている』と脅迫を試みています。二人の目的は——」


 「ジークハルト様を揺さぶって、私を追い出すことですね」


 「おそらくは」


 ノラは書類を机に置いた。「二人は、どこかで一緒に動こうとしていますか」


 「王宮の公開謁見の場を使うつもりのようです。三日後に定例謁見があります。そこで公爵夫人の出自を公の場で暴露しようという話が出ているとの情報が入っています」


 ノラは少し黙った。


 「わかりました」と言った。「ジークハルト様にお伝えします」


────────────────────────


 三日後、公開謁見の間。


 カリンとオスカーは、揃って来ていた。二人が同じ場所に並んでいるのを見て、ハインツが「なるほど」と小さく言った。


 謁見が始まってしばらくすると、オスカーが前に出た。


 「申し上げたいことがあります」と言った。声は大きかったが、目が泳いでいた。「現公爵夫人の出自について、皆様にお伝えしなければならない事実が——」


 「少し待ってください」


 ノラが前に出た。


 「父の件についてのことでしたら、先に申し上げます」


 場が静まった。


 「十二年前の横領事件は、ベルタ国王より正式に調査結果が発表されています。横領を行ったのは、そこにいるオスカー元宰相です。父ハンス・ベッカーは被害者であり、先月ベルタ国王より名誉回復の宣言が出ています。この場にいる方々には、すでにご通知が届いているはずです」


 静寂が広がった。


 オスカーが「し、しかし——」と言いかけた。


 カリンが続いた。「出自の問題だけではありません。公爵夫人が公爵に取り入った経緯について、私は直接——」


 「カリン様」


 ノラは穏やかに言った。怒っていなかった。ただ、静かだった。


 「あなたが今月も王都で流している噂の内容は、把握しています。公爵名義を無断で使った商取引の件は、先月王宮に書類を提出しました。その結果については、今日この場でジークハルト様からお話があると思います」


 カリンが振り返った。ジークハルトが、謁見の間の前方に立っていた。


────────────────────────


 ジークハルトが前に出た。


 謁見の間が、音を失った。公爵が個人的な発言のために前に出ることは、極めて異例だった。全員の視線が集まる中、ジークハルトは静かに口を開いた。


 「一つだけ言う」


 短い言葉だったが、広間の隅まで届いた。


 「俺の妻を、十年間俺の周りにいた誰よりも、俺は信頼している。理由を言う」


 カリンが息を飲んだ。


 「こいつは俺に媚びない。俺に従わない。俺が間違っていると思ったとき、はっきり言う。——そういう人間を、俺は十年探していた。見つけた」


 それだけだった。


 たった四文言だったが、謁見の間の全員に届いた。ノラにも、届いた。


 ハインツが静かに歩み出て、カリンとオスカーの前に立った。「お二方には、別室でお話を伺います」とだけ言った。


 カリンが「待って——」と言いかけた声が、扉が閉まる音に消えた。


────────────────────────


 謁見の間を出たところで、ノラはジークハルトに言った。


 「最後の発言、少し恥ずかしかったです」


 「俺は恥ずかしくない」


 「公開の場で、そういうことを——」


 「褒めた」


 「わかっています」


 「褒め足りなかったか」


 「……十分です」


 ジークハルトがノラの手を取った。謁見の間の前の廊下で、往来の中で、指を絡めた。


 「人が見ています」とノラは言った。


 「知っている」


 「恥ずかしい」


 「慣れろ」


 ノラは盛大にため息をついた。


 それから、少しだけ、指を握り返した。


────────────────────────


【エピローグ】


 それから半年が経った。


 カリンは王都を追われ、オスカーはベルタとアルダ両国から訴追された。派手な末路だったが、ノラが気にしたのは最初の一日だけだった。


 父に手紙を書いた。名誉が回復されたこと、ジークハルトのこと、王都の暮らしのこと。父からの返事はいつも短かった。最後の一通にはこう書いてあった。「お前の母も、同じように媚びない人間だった。だから俺は惚れた」。


 ノラはその手紙を、机の引き出しにしまった。


 執務室の扉が開いた。ジークハルトが入ってきた。


 「何を読んでいた」


 「父からの手紙です」


 「何と書いてあった」


 「母に似ていると言われました」


 ジークハルトは少し止まった。それから「そうか」と言って、ノラの向かいの椅子に座った。「どんな人だった」


 「媚びない人でした」とノラは言った。「それだけは、よく似ています」


 ジークハルトは少しだけ笑った。


 「知っている」と言った。


────────────────────────


【完】


────────────────────────

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ