第五話
「……そうだよ」
「え?」
しゅんっと私の気分が萎えたところでルゥは頷く。
顔を上げても視線は絡まない。ルゥはどこか遠くを見ながら
「ズルいんだ。答えたくないから」
ぽつりと重ねた。
「逃げ道を残してるってこと、だよね……」
「そうだよ」
頷かれると胸がきりきりと傷む。
じわりと視界が霞むから、ぺたんっとその場に座り込んで俯いた。ごしごしと顔を拭ってごまかす。
「俺じゃなくて、凛夏の逃げ道」
「え」
意味が分からなくて、きょとんとルゥの顔を見てしまった。
今度はちゃんと視線が絡む。というか正面に来られていた。
「な、何?」
「……気持ちは不変的なものじゃないだろう? もっと流動的なものだ。人間は特に時間が短いから……」
ちょっとむっとする。
それはつまり私が心変わりすることが前提だということだろう。失礼極まりない。
ぷいっと逸らした顔の眉間に自然と皺が寄る。
それを見逃さずに、ルゥはずいっと私の両脇に手を突くと、身を乗り出しちゅっと眉間に口づける。
む……。
また誤魔化すつもりだろうか?
「もう、良いだろ。俺すげー腹減ってんの。死にそうなくらい」
「良くないよっ!」
今度は鼻先が触れそうなくらい近くにいるルゥを、睨んではっきりと告げたというのに、ルゥはにやりと口角を引き上げて「いーんだよ」と笑う。
憎らしい笑い方だ。
ムカつく。
「良いんだ。俺、今すげー愛されてるから」
ちゃんと伝わってる…… ――
ぶはっと顔が真っ赤になってしまったのが自分でも分かる。慌てて顔を伏せようとしたら、つんっと鼻先で上向かされて、そのまま唇は重なった。
「―― ……ん……っ……」
とんだ自惚れ屋だ。
「そうさせるお前が悪いんだろう」
しゅるりと襦袢の腰紐が解かれる。
合わせ目から、ルゥの冷たい手が割り込んでくるとぴくりと身体が震えた。
ヘタレなくせにこういうときだけ強気とか、なんなんだろうこいつ。
私は、掛かる重さを支えきれなくて、ぐらりと後ろに倒れればぽすりとそこらに転がっていたクッションに受け止められた。
「真っ赤になって、すげぇ、美味そう」
「あんたねぇ……」
呆れる。
でも、自分がここにいたのは必然だといってくれたときは、ちょっと嬉しかった。
帰りたいと望めば、何もいわずに『分かった』っていってくれたのも嬉しかった。
着物、褒めてくれたのも、かんざしくれたのも凄く嬉しかった。
首筋に埋もれているルゥの髪にそっと指を差し入れて、くしゃりと掻き回す。柔らかくて気持ちの良い髪。
心と身体が満たされる瞬間。とろけそうに心地良い。
「―― ……好きだよ」
自然と漏れ出た声。
「俺も」
すりすりと尚すり寄ってくる。
トナカイじゃなくて犬みたいだ。
―― ……っ、はぁ……。
熱い吐息と共に満ちたりた感情うっとりと陶酔する、した、ところなのに
がばっ! とルウが顔を上げた。
「な、何?」
「今、」
「は?」
「今、俺のこと好きっていわなかった?」
「―― ……何」
いったらどうだというんだろう。
そんなのいつも思ってることだから、ばればれなのだろう? 今更なのに、何この過剰反応?
じわじわじわっとルゥの顔が真っ赤になる。
なんだ?
慌てて口元を覆って瞳を泳がせるルゥに怪訝な顔をした。
「どうしよう」
「何」
「嬉しい」
「は?」
「いや、知ってたけど、分かってるけど、分かってたけど、なんだろこれ、凄いなんか、変だ。ぐるぐるする。くらくらする。嬉しいとこうなんの?」
かくんっ? と、可愛らしく首を傾げて問われても、ルゥの胸の内なんて私に分かるわけない。分かる訳ないけど、分かることは、ルゥが凄く高揚していることくらいだ。
なんかこっちまで恥ずかしくなってくる。
「も、もう、やめるんだったら、ご飯にしよう。着替えて何か作るから!」
居たたまれなくて、立ち上がろうとしたら「冗談だろ」と引き戻された。
そして、ぐぎゅっと腕の中に閉じこめられる。
「こんなご馳走、後回しに出来ないって」
そうだろう? って問い返してくるな。
馬鹿。
本当、馬鹿、馬鹿なトナカイ…… ――
―― ……ねぇ
私は、幸せとか幸福感をちゃんと知ることが出来た人間だよね。
気が付かずに、知らずに、一生を終えなくて済んだんだよ、ね。
私さえ変わらなければ、ずっと一緒にいてくれるんだよ、ね……ずっと、だよ、ね。
触れ合う肌の暖かさに瞼を落とし、祈るように心で語る。
それなのに
―― ……トナカイは答えない。
外はまた雨の気配が歩み寄っていた …… ――