第9話 首謀者
ここはオジキ宅の和室である。
金屏風に不動明王と龍王が描かれ、床の間には刀掛けが置かれていた。
ただし刀は無かった。
よい刀は白鞘に入れて蔵に納めたまま出さないものだ、とオジキは普段から言っていた。
オジキはたまに病院に来るという比良野の古い友人(有嶺)について弓美子に聞いたが何も憶えていないと言った。
オジキは美矢子が街中で誰かと会うことも監視者から聞いていた。
だが美矢子の監視役はちょくちょく交替したので、美矢子が街中で会っている相手が有嶺とは気付いていなかった。
従って有嶺を間に挟んで美矢子が比良野と繋がっている可能性は考えなかった。
それがバレたら美矢子には致命的だ。
美矢子の巧みな振る舞いによってオジキは有嶺に全く注目していない。
一方有嶺はオジキをこの段階では知らない。
お互い相手側の工作首謀者を知らない。
だからオジキと有嶺のキツネとタヌキの化かし合い、といった推理小説のような爛熟した知性の闘いはなくて、八十と六十のボケ老人同士の戦いになる。
しかもオジキは自治体内の紛争を裏で操っていた連中の中核だったので頭の半分以上をそちらに置いていた。
その策略は今までのところうまく運んでいた。
人材が出払っていたため策を弄して親戚にいる本当の小学生の男の子を病院のこども理事長として認めさせたのはオジキの力だった。
有嶺は病院内の元喫煙所だった休憩所によく行くことがあった。
ときどきそこで目立つ肥満顔を見ていた。
それ以上有嶺との接近は無かったが、連中の会話から彼が中心人物だと思った。
これが、オジキがかねてより病院に密かに送り込んでいる頭の切れる頼もしい幹部だった。
今日、オジキの家にこの幹部は報告に来ていた。
「ボス、お久し振りでございます」
力士体型の石川はこの季節になっても汗が噴き出ていた。
「おう! 石川か。ご苦労。相変わらず水のしたたる雑巾顔やな」
「恐れ入ります」
主な話が終わったあとオジキは妻を患者として使う策を話した。
「それは名案でございますな」
石川もあまり考えず、具体的に姐が何をするのか分からなかったがボスの昔の栄光を知っていたので信頼した。
「……どや?」
すこし間を空けてこの言葉、石川は緊張した。
「脳外科、薬剤部、栄養科は大丈夫でおま。逆に消化器内科、整形外科、泌尿器科はほぼあっち側で」
「残りは?」
「全体の約六割全部が浮動票ですねん。実際彼等におうて話ししても、なかなか腹が決まらんようで」
「まだか。真面目な方々が六割もおるんか。正攻法ではやっぱり微妙か」
オジキは言った。
「策がいるわい。なんか罪をなすりつけられへんやろかなあ。比良野はん側の誰かの仕業に見せかけて、ワシの甥を刃物で襲う、ちゅうのはどやろ」
「それは……あのお方はびびりやよってに、襲われたら本当に立候補を辞退してまいまっせ」
「なんやそれ。さよか。なら怪文書で何かの横流しの噂とかでっちあげられへんか」
「探りが入りよったらこれまでの我々の悪事の方までばれて藪蛇にならはるんやおまへんか」
「甥が当選したら何も心配いらんがの。……比良野はんが汚い手を使うた、贈賄したっちゅう怪文書はどや?」
「比良野はそういうことにはまるで気の利かん人やっちゅうことは有名で、誰も信じひんのやなかろかと」
「比良野はんの側近に弱点の有る人間はおらんかの?」
「わかりまへん。今の時期、急に調べ出したら気付かれるんちゃいまっか。気いつけてやってみまひょ」
「パッパラパーやのにスキが無い? なんちゅう人や比良野はんは。ウーム、なんか策考えるわい」
オジキは金屏風の不動明王の前で眼を瞑った。
オジキは妻の検査日が延期になるなどの齟齬が起こった場合のために別の策も必要と思った。
しかし結局新しい策は湧いてこなかった。
まあ、三段も陰謀を重ねるのだから大丈夫だろう、そういう想いもあったがすぐ忘れて気にならないのは老いの衰えだった。
私立医大の教授職の方はどうやら目途が付いた。
新院長が布沢に決まった場合、後で比良野が自爆的に数々の不正を暴き立てることを恐れての口封じだった。




