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華甲二年の再会  作者: 有嶺 哲史
第一章 春、夏、秋
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第8話 デッドドロップ

 十月の始め頃、おれ(有嶺)は美矢子に指定され、あるデパートの中の某有名宝飾店で待ち合わすことになった。

それで思い出し〝ナントカで朝食を〟という有名な映画を見はじめた。

ところがつまんない。

大きな鳥が屁をぶっ放すという名のこの女優、つまんねえなあ、何度見ようとしても最初の数分以上見続けられなかった。


 美矢子が来る前に勇気を出して店に入った。

平日の昼間だった。

恐れていた通り貸し切り状態になった。

おれは見られている。

女店長がどこかに電話した。

恐怖で息が詰まり頭の中は真っ白になった。

宝石の輝きなどうわの空。

そのとき背中をポンと叩かれた。

振り返ればブタくらいまで痩せた美矢子がいた。


「つまみ出されなくてよかったわね」


と言って明るく笑った。

ここに入るために退職後二年間着なかったスーツを着た自分は却って怪しかったのだ。

泡を吹きかけていたおれは美矢子に店の出口まで引っ張られた。


「あなた大丈夫? 私のために買う気が無ければ覗いちゃだめよ」


彼女も興奮している。

訳が分からないことを言っていた。

振り返ったらインド王妃のような顔の美しい女店長がチラッとおれを見た。

まるで尾行者の眼付きだがそれは何とも魅力的に刺さった。

ついじっと見返したら王妃はおれを二度見してしまった。

働く女性は普段なら街中の記号としか見えないのに、この目で見られて女として見てしまうスイッチが入った。

流し目だ、古い映画なら恋愛の始まりだ、などと邪念に耽っていたら振り返ると美矢子がいなかった。

慌てて探すとデパートの出口に向かって急いでいる美矢子が、まるまると太った鼠がヨタヨタ逃げていくように見えた。

前回の時と同じように急な退散だ。

それでも前回より痩せた気のする顔だった。

気持ちの良い今の時期はもう外に出ても焼きブタになる心配は無かった。

用件を聞いていなかったのに彼女は帰ってしまった。

まさかおれが女店長と眼を合わせていたのを嫉妬して怒った? などと考えていたら


「お客様」


という声に振り返ると、あでやかなインド王妃のような女店長がいた。

美矢子からおれに渡すように頼まれたと言って紙袋を渡してくれた。

女店主がおれを二度見したように見えたのは美矢子との眼の合図だったらしい。

駒鳥の卵色をした袋に入った物を美矢子は直接おれに渡さなかった。

おそらくこれがスパイのよくやるデッドドロップの一種だろう。

あとでなぜこの有名宝飾店を指定したのかおれなりに理解した。

この宝飾店は大抵の百貨店で正面玄関に一番近いところにある。

つまり逃げやすくてスパイが使いやすいのだ。

振り返ったら再び眼が会った女店長は少女のように懐っこく笑った。


 狭い場末でもおれの自宅(借家)は窓から秋の夜風が入って来る。

遥か前から一人暮らしで時間はたっぷりある。

拒まないのに泥棒さえ来ない。

二十年前に十年連れ添った妻が亡くなったとき単身になったおれはここに引っ越した。

後に退職金がドンと入った。

生涯一度も金持ちになった経験の無いおれは一瞬幸せな気分になって心が膨らんだ。

念のためパソコンを使って死ぬまでの収支を計算した。

計算の結果、定年後の海外旅行の計画は夢で終わった。


 こぼれ落ちた宝石でもあるかと思いきや、駒鳥の卵色の袋にあったのはゴミ箱から取り出したようなものばかりだった。

本当のゴミも多かった。

女中の美矢子が周囲をチラチラ気にしながらゴミを集めている様子が思い浮かんだ。

ゴミを時系列に並べたりしてじっくり時間をかけて読み解いた。

すると書類から外部の怪しい組織の考えていること、企みをほぼ推測できた。

登場する人間の多くは敵側だ。

おれに当たると思われる人物は出てこない。


 考えているうち、比良野を標的とした彼らの考える三段構えの罠が浮かび上がってきた。

第一段は美人ナースとの性的スキャンダル、第二段は何かの高い地位と引き換えに選挙を辞退させること、第三段は選挙期間中に医療過誤の訴訟さわぎを起し比良野の評判を落とすという。

多分これで間違いない。

思ったより手が込んでいる。

お人よしの堅物比良野はどんな杜撰な陰謀にも簡単に(はま)ってしまうだろう。

まず大雑把に思いついた対策は次のようなものだ。


 第一段の性的スキャンダルでは検査室内の普段使わない空きベッドが舞台となる。

こちらは陰謀が漏れていると相手に疑われない程度、つまり偶然ともとれる嫌がらせを仕掛けておく。

 第二段の誑かし策には、比良野をできるだけ交渉相手に会わせないことだが、そのときの状況が読めない。

どうすればいいのだろう。

会ってしまったら比良野の堅物度だけが頼りだ。

 第三段の訴訟騒ぎでは、検査中の比良野達の動きを撮影し、それをうまく編集して比良野が何かまずいことをやり、それを隠したように見える動画にするらしい。

これを否定するには全シーンの映った無編集動画が必要だろう。


 比良野には敵の陰謀を教えないほうが良い。

言えば彼のことだから必ず真正面から敵を問い詰める。

すると陰謀の妨害に敵もすぐ気付いてしまう。

そこでやり方を変えられて、おれたちには状況が分からなくなり手の打ちようが無くなり比良野は新たな陰謀にかかってしまう。

潜入者の美矢子も疑われる危険が高まる。


 頭を整理するため作務衣と草履で近所の小さな神社の夜の境内を散歩した。

爽やかな秋風と足元で鳴る清められた真砂玉砂利(まさごたまじゃり)を味わっているうちに遥か昔の高校時代、美矢子といっしょに砂利道を歩いたことを想い出して考えるのを忘れてしまった。

ばったり出会った少年はおれを見た途端急ぎ足で帰った。

賽銭泥棒だろう。

考えるどころではなくなった。

その後もこれ以上妙案は浮かばなかった。

美矢子は


「しばらくこっちも検討するわ。あの、それとは別にあなた、私が働いているここの家に専門家として雇われてビデオ編集作業をやらない?」


「いやだ。恐ろしい」


 ふと疑問が出てきた。

比良野がその日急に休むとかして、この計画で想定した医療行動を全てキャンセルする場合もある。

どうも彼らは考えていないようだった。

おれも自分の計画が失敗することを考えていなかった。


 今回資料の中に四十年ぶりに百合矢弓美子の名前を見た。

それは資料の端っこに小さく書かれたボスの妻の独身時代の実名だった。

その名はあの人以外に考えられない。

無茶苦茶美しかったこと以外すぐに思い出せることはなかったが衝撃的だった。

あろうことか今や敵のボスの妻だ。

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