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華甲二年の再会  作者: 有嶺 哲史
第二章 秋から冬
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第30話 白い幽霊

 警察がオジキ宅に踏み込む前に遡る。

白衣の忍者たちの説明で訴訟を使った陰謀が明るみに出たため布沢周辺の印象が悪くなった。

しかし既に院長辞令は降りているので、あとは比良野さえ病院から追放してしまえば安泰だろう。

ところが赤鼻ナースが自白を始めたという報が入って来た。

警察は傷害罪ではなく殺人罪で追及しているという。

どういうことだ? 

皆が不安を募らせていたら篤子の事件とは別で、おっぱいナース殺害事件だったということが判った。

殺人教唆が判明したらさすがに布沢も逃れられない。


 布沢はオジキに縋ろうとしたがオジキはなにか上の空で元気がなかった。

オジキは昔のかっこいいオジキではなかった。


「お前、そもそも誰と戦っとったと思とる?」


「比良野ですよ」


「そんだけか?」


「やつの仲間は泌尿器科の女医と、整形外科の部長と、怪しい陰のオタク老人」


「そいつらの後ろに税金で食っとるやつらが最初からじっとワシらを見とったんや」


「えっ!」


「くそぅ、あのブタ女!」


「ええっ? じゃ、あのカバがハムのイヌだったのですか」


「そうや。ブタは公安に飼われとったのやろ」


オジキは続けた。


「十二月上旬の記者会見が終わったあと、二十日頃に親戚の少女がやってきよった。台所で調理中のブタに、どでかいパンツを見せて言いよった。


『おばちゃん、これ返すわ。これ脱いでどこかのおっちゃんと抱き合ってなんしてタン?』


ブタの巨眼が凍り付いた。〝ナンヤテー〟まわりの男衆が眼ン玉ひん剥いたわいの。女の子は眼が爛々で


『病院で大伯母ちゃんが居た隣の部屋でおっちゃんとおばちゃんが裸になって……名前知らんよって言いにくいけど……おっちゃんについてる太くて長い棒がおばちゃんの体の一番奥をつついてたやん?』


大人のやること見られとったのや。ブタは驚乱して慌てて走り出し、ドア横の柱にゴチーンとぶつかり、頭押さえて転びながら出て行きよった。転んだ拍子に見えた、とかノーパンやったとか大笑いで座がしばらく沸き立ったがワシは〝よそのおじちゃん〟が気になりだして若いもんにブタを呼びに行かせた。そしたらどこにもおらんというやないか。あっ、ひょっとして、このとき気づいたんや」


 美矢子の周辺にかなり前から見えていたジジイ、比良野の旧友のジジイ、前日に検査室でナースを叱り飛ばしたジジイ。

皆一人のジジイだったとするとブタはジジイを通じて比良野まで繋がっていたのだ。

選挙があるとのうわさも煙も立っていない数か月も前から女中が潜入し、それから何人もが連携して動く、こんな企みを考えるのは公安に違いない。

何事も隠せない正直な堅物の比良野に陰謀などできないから実行役の中心はあのジジイ、有嶺だとオジキは怒りに震えながら言った。


「ブタを捕まえて全部吐かす。絶叫部屋の鎖に繋いでケツッぺた食いちぎるだけでは済まん、と大捜索を始めたんや」


皆で手分けして大邸宅の内外、天井裏と床下以外探させた。

門は暗号錠で普段から閉鎖していた。

外に出るのは塀を乗り越える以外にないが、体格からして美矢子には無理なはずであった。


「あんなに大きなブタがなかなか見つからん。暗うなって一旦中断や。その日は結局あかんかったが絶対どこかに潜んどるはずや。逃がしはせん、今夜は不寝番を一人立てて明日こそ作戦立てて虱潰しの大捜索や。そして皆寝た。ところが未明に門に向かって進むこんもりした、人間離れした大きな白い幽霊が見えたそうや。不寝番は震えながら追うたが白いもんはあっさり門を開けて出て行きよった。若いもんの目の前で門は自動で閉まってもうてそれ以上は追いかけられへんかった。外に黒のセダンが待っとって、幽霊を乗せたらライトも付けんと真っ暗な細い道を猛スピードで走り去ったそうや。ブタがトンズラや」


「はあ、豚がトンズラ……」


こんなときオジキのダジャレを笑うと物凄く怒られる。

脱力した布沢は笑う気力もなく聞いた。


「ひょっとして、実は敵側であるブタ人間に我々の計画を作らせていた?」


「町中のカバとブタをぶっ殺したる!」


と言う声に力は無かった。

オジキの敗北感と落胆は深かった。

衰えは明らかで、さっさと引退しておくべきだった。


 じつはオジキが布沢に言わなかったことがあった。

妻にも逃げられていたのだ。

それが一番オジキの元気を奪った。

家の中を探した時、若い者が妻の部屋に捜索に行くと妻は伏せっていた。

大きな布団をかぶって、誰も来なかったよ、具合が悪いから今夜は誰にも来ないように伝えてね、見舞いも止めて、と言った。

若い者は部屋の中のブタの隠れそうな所を調べたがまさか病気で寝ている姐の布団をひっぺがすことはしなかった。

後はここしかないと思ったオジキが翌日妻の部屋を訪れるともぬけの殻だった。

未明に門に向かって移動していた敷布団シーツらしいものを被ってこんもりしたものの中には二人が入っていたのだ。

妻の部屋の畳が半畳はがされていた。

オジキの家は伝統的日本家屋だったので湿気対策のため床が高かった。

床下から外に出たのだ。

妻なら暗号錠の門を抜けられたのも当然だった。

よもや二人が気脈を通じていたとは。

ガードを掛けているので大丈夫と思っていた未編集の録画ファイルもコピーされた。敵を甘く見ていた。

オジキの心は崩れ始めた。


 あの夜、暗闇の中で二人の女は次のように逃走した。

昼間、慌てて逃げて来た美矢子は弓美子の部屋の掘りごたつを外して床下に潜んだ。

潜れるほどには細くなっていたからだ。

カイロをだいて冷気に耐えて震えていた。

部屋に美矢子を探す人が入って来た時掘りごたつの上に弓美子が寝ていた。

人がいなくなってから弓美子も床下に降りて邸外に出た。

未明の暗闇の中で虎口を逃れた弓美子と美矢子はセダンの後部座席に乗り込んだ。

車は暗闇の中を物凄いスピードで走ってしばらくして速度を緩めヘッドライトを点灯した。

暗視装置付きヘルメットを外し照り返しに浮かび上がった運転者は年配だが美しい女だった。

美矢子の高校時代の先輩だと紹介された。

朗らかに凛として挨拶されて弓美子が返答しようと思ったとき、高校とか先輩などという言葉からはるか昔の何の悩みも無く自由に遊び楽しかった女子高時代の記憶が蘇った。

胸に迫った弓美子は車の中で泣いた。


 年が明けて正月になりたての頃、ついに布沢院長は逮捕された。

殺人教唆は実行犯と同等の量刑になる。

連行される布沢は眼を瞑り口をへの字に曲げていかにも悔しそうだった。

それを見て比良野はやっと決したと思った。

布沢は逮捕され比良野の名誉は回復されたのにまだ自治体は動かなかった。

辞令は布沢院長のままだった。

すると突然マイナーな地方紙に暴露記事が載り始めた。

オジキ達は情報の出所を探ったが判らず、東京かもしれないという不気味な説もあった。

市もこれ以上無視できない。

結局上旬には布沢への院長辞令が撤回されて比良野に新院長辞令が出た。

大手新聞には隅っこに小さく出ていただけだった。

春の排気口で聞いた物語の行き着く先は冬の殺人事件だった。


 当選発表時の記念写真の中であっけらかんと笑うこども理事長をみたオジキは眼を瞑ってしばらく口をきかなかった。

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