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華甲二年の再会  作者: 有嶺 哲史
第二章 秋から冬
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第29話 幽霊ナース

 少し前、赤鼻ナースとおっぱいナースが取っ組み合いの喧嘩をしていたという噂があった。


 十二月下旬のある夜、おれ(有嶺)が帰宅するとどうやって入ったか薄暗がりの中に白い服の女が背を向けて座っていた。

人の家に勝手に入り込みやがってという怒りによって怖さを感じなかった。

そこにいたのは弓美子の内視鏡検査のとき比良野を補助したおっぱいナースだった。


「今どき珍しい。ナースキャップとスカートとは」


ナースは泣いていた。

しかしわざとらしいこの色っぽさは何か企んでいると思った。

ならばちょうどいい。

昔からの疑問を確かめよう。


「紺制服のCAは紺のパンツを履いていると聞いたことがある。ナースのパンツは白か?」


手を伸ばした。触れる直前に


「やめてよ!」


と言って後ずさりした。

ひんやりした空気が動いた。


 彼女はあの選挙戦の後、布沢に正妻の座を要求したといった。

おなかに小さな生命がいると彼に言ったそうだ。


「それで?」


「平然と断られちゃったの、腹が立って力を入れて布沢の顔の真ん中にげんこつをかましたの。怒った布沢は、比良野を誘惑する使命のお前が怒って途中で止めたからおれは選挙では負けたのだ、と言うの。私はその陰謀を世間にも新聞にもぶちまけてやる、と言うと彼はせせら笑った。奥様に何もかも知っている限り全部言うわよ、と言ったら彼は無言になってすぐ帰った。ところが布沢は後日赤鼻ナースに私の口封じを命じたの。美しい愛人がいることは奥様が許さないのよ。私締め殺されて埋められちゃったの。それにしても比良野副院長という方は裸になっている私に何も性的反応をしなかった。何なのアレ」


布沢はそのあと院長の椅子に悠然と座っている。


「比良野は弓美子に男の精を吸い尽くされた直後だからだめなことは当然だ」


「えっ、そうなの?」


「今どきのナースでもそんなこと知らない人がいるのか。ともかく陰謀の裏を知っている君は存在しているだけで危険になり、しかも増長して脅してくる。それにしても自分で君に手を下さず古い愛人だと聞く赤鼻ナースにやらせる。発見されたら赤鼻ナースに全部かぶせる。いかにも布沢らしい。……あれっ!」


たまたま動かしたおれの手がナースの体を通り抜けたように見えた。

神経的理由で本人だけに見える幻なら幽霊に手が触った瞬間に姿が消える。

消えなかった彼女は本当の幽霊だと思った。


「君は幽霊だな。何でおれの方に化けて出るのだ?」


急に部屋のあちこちに誰かがいるように感じ始めた。


「元はといえばぜえ~んぶあなたよ。あなたが登場しなかったら今頃私は院長の奥様だったのよ」


おれは録画に失敗していた。

それでもこんなに恨まれるのか。

生きているときドアに顔をぶつけたおっぱいナースは幽霊ナースになってもまだ方向音痴だ。


「君たちにもチャンスはあったのだ。君の胸の肉まんと梅干をあの時出さず三日後に改めてプリンと出せばよかった。そのころ比良野は再び精も溜まり、若かりし弓美子の体に似た君が肉まんや並んで赤く膨らんだ明太子を見せればいくら堅物の彼でも我慢できなくなる。喰ってしまっただろう」


「プリン、肉まん、明太子って変なお弁当」


「彼がナースの君と検査室でヤッている部分だけが突然院内テレビで繰り返し流れてくるだけでいいのだ。説明も要らない。見た人は比良野の振る舞いに驚いてくぎ付けになるだろう。裏が有ろうが無かろうが堅物の彼は恥じて間違いなく自ら辞職する。動画の編集、でっちあげ訴訟なんてややこしいこともいらない。三段構えの策の中で最もシンプルな君の肉まんの策だけでよかった。弓美子の秘術があろうとなかろうと君の肉まんは、他の策が全て失敗しても逆転勝利できる切り札だったのだ」


「ベッドから蛇が出て来たからそれどころじゃなかったわよ」


「その蛇はおれが前日仕込んでいたおもちゃの蛇だ」


「えー、何よもう! そういえば、あの時別室で誰かが録画機をセットしていた。ひょっとしてあなたじゃないの? 証拠映像を撮るつもりが私の仲間に気付かれて失敗したよね。それでどうしたの」


「その通り。あのあとお前たちが撮った、編集前のオリジナル映像のファイルを使用人として潜り込んでいた美矢子がこっそりコピーしたのだ。お前たちの仲間は自分たちが撮った映像で自らの謀略をあばかれたのだ。さらに事前に高性能カメラを持ち込むなんて不自然だった。記者会見でそれを聞かれ馬脚を現したのだがパイナップル騒ぎでウヤムヤになっただけだ。そもそも悪事の計画をただの女中だと思った敵のスパイ女に作らせていたので全ての計画がおれに伝わってしまった。君たちは墓穴を掘った。」


「女中って、あのカバ女? えーっ、スパイだったの。げげーっ、ああー、皆さん騙されちゃったのね」


幽霊は超能力で何でもわかるとおもっていたのに、なんでこんなに真相を知らないのだろう。


「ボスが不思議がっていたけど、厳重にガードされた未編集の動画ファイルをどうやってコピーしたの?」


「ボスはおれがIT技術者の端くれだということを忘れていたか知らなかった。おれはコンピュータに関しては普通の人の知らない抜け道の一つや二つは知っている。オジキは暗号化などの方法は使わずコンピュータの管理者だけが変更できるファイル属性の設定だけで情報漏洩を防ぐことが出来ると思っていたらしいな。それはおれにとって幸運だった。普通ならそれでも大丈夫だが、誰もいないとき美矢子がおれの指示した特殊な方法でコピーした」


 泣いている幽霊ナースに言ってやった。


「布沢は邪悪なやつだ。君はなんで愛人になったのだ?」


「美人に生まれたのに貧乏、頭が悪くて医者にはなれず。そのうち身寄りも無くなって。やっと看護婦になったら言い寄られたの。将来有望な若い副院長だからやっと幸せをつかめる、と思ったのに。今思えば出世してゆく男よりあなたのような影の薄い凡々たる男のほうが良かったのかも。苦労して失敗ばかり。この短い人生って何だったのよ……えっ、何よ。何なのこれ!」


しゃべっていた幽霊ナースは自分の体が腐り始めていることに気づいて愕然とした。

幽霊ナースの眼から泪がこぼれ落ちた。

そして淋しさの極みのような声で哀願した。


「誰にも知られず一人ぼっちで土の中。淋しいよぉ。私の死体、掘り起こしてよぉ。簡単でいいから私を弔ってよぉ~」


「どこに埋められたのか教えてくれ」


幽霊ナースは自分が埋められた場所を詳しく言った。

ここでふと思った。


「……君は本当に幽霊か?」


「……」


いきなり幽霊ナースは立ち上がり、ドアを開けて無言で出て行った。



 外で車が待っていた。

助手席に乗りこんだおっぱいナースは言った。


「はあ。……あなた、言われた通り殺されて埋められた場所も言ったけど最後にバレたかも。本当に幽霊かって」


「それでいいんだ。上出来だ」


「え、ほんと?」


「今からでも遅くはない。君は本当に幽霊になるのだ」


「へっへっへ。何言ってんのよう」


そのときドシンバタンと物がぶつかる音がしてすぐに静かになった。

後部座席から出た手は固まったようにおっぱいナースの首から離れなかった。


「見事だ。よくやった。手を離せ。あとは任せろ」


 ナースの体をおれの手がすり抜けたように見えたのは、暗い中で左右の目線がずれていて空間認識を誤ったせいだろう。

 布沢のたくらみを考えてみた。

布沢は陰謀がバレてゲロを吐かされたおっぱいナースから話を聞いて、おれが反陰謀の隠れた司令塔だと思ったのだろう。

そのころおっぱいナースは高すぎる要求と気づかず布沢に奥様との離婚という要求を出した。

それで布沢はこの茶番を考え、おっぱいナースとおれの二人ともまとめて片付けようと思った。

今日のおっぱいナースを変に思ったおれはこのあとじっとしていられず再び会って話を聞こうとして病院に行くだろう。

すると彼女が病院を無断欠勤し連絡も取れないと判り、少し騒ぎになっている。

話の中で死をにおわせたナースに何かあると確信したおれは警察に電話して彼女から聞いたことを言う。

すると、その話の中に出てきた場所から本当におっぱいナースの死体が発見される。

これは犯人しか知らない秘密の暴露だと言って、おれを警察は犯人にしてしまう。

それを証明するような証拠を布沢たちはでっちあげる。

これが彼のたくらみにちがいない。


 おれが翌日病院に行ってみると、おっぱいナースのことで騒ぎになっていた。

ナースたちはおれをちらちら盗み見している。

顔見知りのナースはおれを避けている。

そのとき見たことのない女性事務員が何か、と聞いてきたので昨日のことを話した。

すると事務員は躊躇なく警察に通報した。

電話の途中でチラチラおれを見ている。

そのうち警察が来ていきなりおれが連行され事情聴取されはじめた。

ねちっこい尋問が続いたがナースが埋められた場所をおれは決して言わなかった。

突然途中から放置され、そのうち釈放された。

このあと警察は赤鼻ナースを尋問した。

おっぱいナースとの喧嘩の噂は警察も知っていた。


「若いナースさんのことだけど」


「ひえっ!」


精神的に耐えられなくなっていた赤鼻ナースは動揺しボロが出始め、とうとう震えながら自白した。

 赤鼻ナースは少し前から布沢の指示をこっそり録音するようになっていた。

彼女の自白に基づきおっぱいナースの遺体が掘り出された。

遺体を運んで穴を掘って埋めたのは若い男二人だった。

そこから穴掘り人がオジキの組織の若い者だと判った。

そのころには〝ハム〟のみならず独自に調べていた東京の〝ナイチョーさん〟までも圧力じみた問い合わせをするようになっていたので警察はついにオジキの大邸宅の家宅捜索に入った。

鉄門扉を壊すために重機を用意した。

さらに銃座のついた装甲車両を見たオジキはふわっとなった。

突然先の大戦の記憶が甦った。

かつてオジキは若い頃に多数の特攻機を見送ったことを自慢するかのように言っていた。

彼自身は出撃年齢に達していなかった。


零戦(れいせん)の九九式二十ミリ機銃や。英霊の依り代(よりしろ)に刃向かうことはでけん」


などとわからないことを口走り、組織側は抵抗しなかった。

隠れていた存在が世間に明らかとなりやがて以前からの自治体のもめ事の全貌が知れ渡った。

布沢と付き合いの古い赤鼻ナースは初めておっぱいナースがべたべた布沢に寄り添っているのを見た時布沢に対して不信感を抱いた。

自分はいずれ悪事の責任を押し付けられて捨てられる、そう思って布沢と会う時密かに録音するようになっていた。

録音された布沢の言葉に明白な殺害意思が認められた。

布沢は年末の行事もすっぽかし、しばらく病院に姿が見えなくなった。

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