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華甲二年の再会  作者: 有嶺 哲史
第二章 秋から冬
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第16話 内視鏡検査

 当然比良野は普通の医者と患者の関係でなければならないと思っていた。

いつもの剛直な自分ならば完璧にできる、経験深い比良野は十分準備していた。

まさかこれからフニャフニャになるとは思っていなかった。


 弓美子はなんと髪の毛を真っ黒に染めて来た。

一見恋する乙女の時期かと思われるほど若返っていた。

初診時の白髪和服の鋭い威厳も殺気も全くなかった。

弓美子は自分でも照れ臭かったように噴き出しながら挨拶をした。


「昔みたいに私きれい? それとも昔みたいにバカっぽい? あの頃あなたは、私がいくらおめかししても興味無さそうだったわねえ」


こんなことを言う弓美子は既に普通の患者ではない。


「いえとんでもない。昔はあなたを毎朝見るたび震えましたよ。しかも今、あの頃よりもはるかに素晴らしい」


比良野も意識の基部がぐらついていた。

自分がどこかうわの空だと気づいていなかった。

今彼の前に横たわっているのは昔会社にいて彼のすぐ横で仕事をしていた女である。

若い時初めて見て天女のような癒しに満ちた美しさに衝撃を受けた。

だが今は医者と患者だ。

あのころ紺色の制服のミニスカートとブラウンのパンストで引き締まった尻と脚を覆っていた彼女だが、今は後ろに穴の開いた検査用の紙パンツで尻を覆い目の前に横たわっている。

もちろん肌は見えていない。

 いつのまにか比良野には目の前に寝ているのが昔の弓美子に見えてきた。

医療に個人的感情が入ってはならないのは当然である。

ときどき気づいて比良野は繰り返し心を引き締めようとした。

いつも通り始まったら忘れているはずだ。

大丈夫だと思っていた。

若く美しい女性患者だろうと今まで何の問題もなく検査していた。

 ところが若い時に、その美貌に痺れるほど衝撃を受け、密かに恋焦がれたこの天女は全く違った。

魔が差したように次々と雑念が押し寄せてくる。

いかん、今日のオレは医者を忘れている。

いや、オレは天下の堅物だったはずだ。

大丈夫だ。

 老女は横に寝て顔のしわがなくなり黒髪で若返り、若い時のような西洋人的雰囲気も甦っていた。

まさに若きOL百合矢弓美子だ。

彼女は眼を合わせてにっこり挨拶した。

すると一瞬で比良野という堅物は粉砕され、女神に仕える(かんなぎ)になってしまった。

当時の事務室の情景が瞼に甦り、情緒や気分がどっと押し寄せて懐かしさに溺れそうになった。

あのころは話しかけようと思っただけで鼓動が高まり喉が渇き膝が震えた……それが再現したように、自分の机の上にあの頃の彼女が横たわっているような幻影までちらちら見え始めた。

おれは夢を見始めているのか、これはいかん、少し間をとって我に返り気を引き締めなおした。

点滴ラインから腸の動きを止める鎮痙(ちんけい)剤を投与したあといつも患者に言う言葉なのに舌がもつれた。


「弓美子さん、肛門にゼリーの麻酔剤を塗りまふ。いいれふか?」


彼女は頷いた。

いつもの手順だ。

肛門にキシロカインゼリーを塗るときまたしても雑念が噴出し始めた。

あのころOL弓美子の肉体を想像することさえとんでもない不埒なことだった。

今やその彼女の、あろうことか肛門を自分が指で触れるのだ。

その周辺のあこがれの美丘もこの日を待ってくれていた。

ああっ! 内視鏡医になってよかった……そのとき


「あう~」


眼を閉じた弓美子が気持ちよさそうに声を出して尻を動かした。

ゼリーの麻酔が効き始めている彼女に肛門の感覚は無いはずだ。

おっ、肛門の内側に何か疣がある……そうか、ここから出た血が混入して便中ヒトヘモグロビン濃度に影響したのか。

いじると柔らくって彼女そのもののようだ。

ああ、なんて気持ちいい……我に返って指を引っ込めた。

比良野は出放題の雑念に苦慮していた。

手順を間違えていないだろうな? スコープ先端部を挿入、というときいつもと違って手が震えている。

内視鏡を弓美子の聖なる肉体世界に突っ込んでゆくのだ。

 助手を務める検査室ナースはこの雑念だらけの内心に気づいているだろうか。

しかしアイガード越しに見えるナースの顔はじっとよそ見していた。

深呼吸して気を入れ直したつもりだったが、それもすでに夢の一部だったらしい。

スコープ挿入、アングルノブ回し、炭酸ガス送気となるはずが、比良野の意識は現実から完全に離れていった。

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