第7話ギルドが弱り始めたのでギルドを乗っ取って不労所得を目指します②
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 死ぬかと思ったぁぁ!!」
一階奥の相談室『パルフェ』に戻り、重い木製の扉を閉めた瞬間。チサトちゃんはそう叫び、彼女の定位置である愛用の回転椅子にぐったりと崩れ落ちた。
私も、背中が冷や汗でぐっしょりだ。相手はあの王国最大のギルドを統べる怪物、バルドル・クライド。
宣戦布告なんて格好いい真似をしたけれど、一歩間違えればこの場で社会的に抹殺されていてもおかしくなかった。
まぁ、彼が私にそんな陰湿なことをしないのは、2年間の付き合いで承知していたことだったけど。
「ミ、ミオさん……緊張したなんてレベルじゃないですよ……。ギルマス相手にあんなに煽り合って、おまけにコーヒー注ぎ足すなんて……私、途中で本当に気絶するかと思いました……」
チサトちゃんは机に突っ伏して、細い肩を震わせている。
でも、その瞳には恐怖だけじゃない、何かに打ち震えるような高揚感が混じっていた。
──が、その目がだんだんと呆れというか、釈然としない違和感を湛えたものに変わっていく。
「……というか、ミオさん。あの時サクッと契約書にサインして、ギルマスの座を奪っちゃえばよかったじゃないですか。周囲の職員は驚くでしょうけど、バルドルさんなら説得出来ただろうし……」
「あはは、ごめんチサトちゃん。でもさ、あのおじさん、私たちのことすっごく楽しそうに見てたでしょ?」
「……はい。あんなに楽しそうなギルマス様、初めて見ました。まるで、育てた雛鳥に、自分の座を狙われるのを心待ちにしているような……」
「私、あの人に恩があるの」
チサトちゃんは首を傾げた。……まぁ、漫画の回想シーンとかではよく聞くセリフだが、現実のビジネスシーンでは、そんな綺麗事は滅多に聞かないかもしれない。
「最後まで楽しませてあげたいじゃん」
そう、あのおじさんは変態なのだ。議論と、合理性と、そして相手の『予想外の成長』を何よりも愛してやまない、超一流の仕事人。
自分の時代はもう満足して「おなかいっぱい」のはずなのに、私が注ぎ足した新しい熱いコーヒーを、彼は確かに、呆れ半分、期待半分で受け取ってくれたのだから。
ドンドン!! ガシャーン!!
「おい! だからこの『オークの魔石』の裏書き原票はどこにあるんだよ!」
「医療室の受付が閉まってるぞ! これじゃあ部位欠損の特級ポーションが下りねえ!」
その時、相談室の薄い壁を隔てたすぐ外から、地鳴りような怒号とガラスの割れる音が響いてきた。チサトちゃんが「ひゃっ」と肩をすくめる。
一階のホールは、今や完全に機能停止(大パンク)に陥った冒険者たちの暴動寸前の熱気で満ちていた。
チサトちゃんという超有能なワンオペ頭脳を失った事務室は、今や完全に燃え盛る戦場だ。
「……すごい大荒れですね。私がいた頃は、これでも定時の一時間前には書類の八割が捌けていたのですが」
「そりゃそうでしょ。チサトちゃんがエクセル並みの速度で処理してたんだから。無能なブラック主任たちに代わりが務まるわけないじゃない……でも、私達がこれから乗っ取るギルドがこれなのは、少し困るわね……」
トントン、トントン!
私がため息をついた瞬間、引き金を聞いたかのように相談室の扉が激しくノックされた。
勢いよく飛び込んできたのは、腕に血の滲んだ包帯を巻いた、若い冒険者の男だった。息を荒くし、泣きそうな顔をしている。
「あの……ミオさん、チサトさん! 頼むから助けてくれ! 今、事務室がめちゃくちゃで、俺のポーションの申請書を紛失したって言われて……! 窓口のやつらは『上司の確認が取れないから出せない』の一点張りなんだ。このままだと腕の傷が……!」
外の混乱のシワ寄せが、一番あってはならない現場の命に回っている。
「紛失? あいつら、仕分け用のトレイに突っ込んだまま探してないだけね……」
チサトちゃんの目が、一瞬で「プロの事務員」の冷徹なそれに切り替わった。彼女はすぐにデスクの引き出しを開け、一冊の分厚いファイルを引っ張り出す。
「ミオさん、手伝ってください! 二日前の医療室のログから彼のIDを探します。私が奇数ページを見るので、ミオさんは偶数ページを!」
「了解…任せて!」
チサトちゃんの爆速の指の動きに合わせて、私も必死に羊皮紙の束をめくる。
あった。少年の名前と、事務室に提出されたはずの受領印の記録。チサトちゃんは迷わずそれを引きちぎり、手早く「複写証明書」の魔法印をポンと押した。
「はい、これ! 私が事前に作っておいた予備の複写書類です。これを持って一階の『第三窓口』に行って、引き出しの二段目を無理やり開けさせなさい。そこにあなたの本紙があります。今の無能な職員でも、これを見せれば三分でポーションを出さざるを得ません!」
「す、すげえ……! 本当に助かった、ありがとうございます!」
少年は救われたような顔で、証明書を握りしめて走っていった。
バタン、と扉が閉まり、室内に静寂が戻る。
チサトちゃんは「ふぅ……」と深く長い息を吐き、きつく拳を握りしめた。
「……やっぱり、あの元主任は許せません。有能な人間をただの道具扱いして潰すだけじゃなく、そのせいでギルド全体を、冒険者たちの命まで危険に晒してる。……このギルドは、一刻も早く私たちが内側から変えなきゃダメです。ミオさん」
チサトちゃんの瞳には、もうバルザックへの恐怖はなかった。あるのは、自分の仕事に誇りを持つ人間としての、静かな怒りと覚悟だ。
「うん。最高のモチベーションが湧いてきたところで……本題といきましょ」
私はそこで初めて、ポストから回収しておいた一通の書状────数日後の『ギルド夜会』の仕様書を、コツンとデスクに広げた。バルザックさんが言ってた『裏にいる頭の固い老人ども』を黙らせる、格好の舞台の案内状だ。
「……ミオさん、これを見てください」
チサトちゃんが細い指先で差したスケジュール表。そこに記された、私たちの名前。
【夜会終盤:余り物のデザート給仕および会場清掃 ──── 相談室『パルフェ』】
「……デザートの給仕? しかも清掃まで?」
私は思わず片眉を上げた。
異世界の夜会における花形は、強力な魔物の肉を使った豪華なメイン料理や、お抱え魔法使いによる派手な属性魔法の演舞だ。デザート、それも全てのプログラムが終わった最後尾の給仕なんて、新参者や地位の低い者に押し付けられる、完全な「雑用・罰ゲーム」ポジション。
「きっと、元主任の嫌がらせです。自分の後ろ盾である保守派貴族の権力をカサに着て、パルフェなんて給仕でもしてろって……」
私はそのスケジュール表の文字をじっと見つめ……やがて、フッと不敵に口角を上げた。
「……最高。主任、あいつ実は私のこと大好きな味方なんじゃないの?」
「えっ?」
「チサトちゃん。これ、ビジネスの視点で見れば『完全な勝ち確ポジション』だよ。残り物には福がある、どころの騒ぎじゃないわ」
私は裏紙に、夜会のタイムラインをガシガシと書き殴った。
「考えてみて。夜会の終盤、夜も更けた二十二時過ぎ。メインの肉料理をたらふく食べて、お酒も入った参加者の魔法使いたちや商人はどうなってる?」
「……ええと。長時間の政治的な議論や、派手な魔力の消費で……皆さん、疲れ切っているはずですが……」
「そう! 脳がヘロヘロの『重度の低血糖状態』よ。この世界で言うところの、軽い『魔酔』が全員にかかってる状態。お腹はいっぱいなのに、脳のエネルギーが完全に枯渇してイライラしてるの。そんなタイミングで、さらに重い料理を出されても誰も喜ばないでしょ?」
私はチサトちゃんの肩をがっしりと掴んだ。
「そこに、チサトちゃん特製の『お砂糖たっぷり濃厚カスタードプリン』を投入するの。ヘロヘロの魔法使いたちが、脳が一番欲しがっている糖分を、とろけるような最高の方法で流し込まれたらどうなると思う?」
チサトちゃんの瞳が、ハッとしたように見開かれた。
「……脳に糖分が爆速で補給されて、一瞬で頭が冴え渡ります。……『なんだこの魔法の菓子は!』って、全員が私のプリンの虜になるかも……!」
「その通り! デザート係を『雑用』だと思ってるのは、人間の身体のメカニズムや、エネルギー消費を分かってない素人だけ」
ブラック主任は嫌がらせのつもりで、私たちを一番最後という、最も効果的で美味しい「爆弾設置ポイント」に追いやってくれたわけだ。本当に、無能な敵ほど役に立つものはない。
「チサトちゃん。材料は最高級のものを用意して。卵も牛乳もお砂糖も、すべてギルドの経費────バルザックさんのツケで、一番いいやつを片っ端から揃えてやる。あのおじさんのギルドを、お砂糖の力でハックしてやるのよ」
「はい!」
試作品として作っておいたプリンを、二人でパクリとスプーンで食べる。
とろけるようなカラメルの苦味と甘さ、職人顔負けの卵のコク。
小貴族時代から料理の腕を磨き続けた彼女がいてくれてよかった。私じゃここまで上手くはいかない。
壁の向こうでは、相変わらずブラック主任の悲鳴と冒険者たちの怒号が遠く響いているけれど、私たちの頭の中には、すでに完全勝利のファンファーレが鳴り響いていた。
バルドルさんは、今頃また冷めないコーヒーを苦笑いしながら飲みつつ、私たちの出番を特等席で待っているんだろう。
私は次の戦場──きらびやかな貴族たちが集う、夜会の貴賓室を見上げた。
脳みその中は既に4日後の夜会のシミュレーションが始まっていた。
《次回、夜会編本番! お砂糖プリンの爆弾で、常識をひっくり返せ!》




