表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

第5話 逃げるは恥だがキャリアになる③

昼12時と、夜19時投稿に変更です


一応ここにも書いておきます

彼女を相談室に連れ込んで、作戦会議をした翌々日。


「いい、チサトちゃん。アインスワース伯爵家の次期当主様に『愛』や『情熱』を語っては絶対にダメ。そんなものを持ち込んだ瞬間、自分がどう思われてるかも知らずに飲みに誘って来る上司くらい拒絶されるわ」


「飲みに誘ってくるクソ上司……」


クソ、と言っているがチサトちゃんの実家は商人の家。彼女はそこそこ恵まれた、お嬢様だ。


アインスワース邸へ向かう馬車の中。私はチサトちゃんの正面に座り、人差し指をチッチッと振って最終シミュレーションを行っていた。


チサトちゃんは借りてきた猫のように小さくなり、緊張でガチガチに固まっている。


「相手は若くして広大な領地の財政をすべて任されている、超エリートの次期当主様よ。あなたの父親のイチノセ家が、一族の名誉と箔付けのために必死になってあなたを売り込んだみたいだけど……当の本人は、家柄だけの無能な令嬢を押し付けられると思って、今頃警戒度マックスのはずよ」


「うう、お父様たち、本当に勝手なことばかり……。でも、相手はそんなに怖い方なんですか?」


「世間では偏屈で冷徹って言われているわね。でも、彼が求めているのは、自分の完璧な生活リズムを絶対に崩さない……つまり『プロのハウスキーパー』よ。あなたがアピールすべきは、自分がどれだけコストパフォーマンスに優れた人材か、これ一点に尽きるわ。分かった?」


「は、はい……! 前世のブラック企業での『ワンマン社長の理不尽な思いつきを、10分でマニュアル化して全社に共有する業務』に比べれば、きっと楽なはず……です!」


この子とは話が会いそうだなぁ。


「その意気よ! さあ、覇権を握りに行きましょ!」


馬車が止まる。

目の前に現れたのは、街外れにひっそりと佇む、美しくもどこか冷徹な印象を与えるアインスワース伯爵邸だった。


出迎えた執事さんに事を話す。


「チサト・イチノセさんと、アインスワース時期伯爵とのご結婚についての話なのですが、チサトさんからお話があるのです。彼女が、私にも手伝って欲しいと仰っていたので、私もついて参りました」


応接室兼、彼の仕事部屋に通され、待つこと数分。

カチ、カチ、と規則正しい靴音を響かせて現れたのが、この屋敷の若き次期当主──グラマー・アインスワークだった。


仕立ての良い黒を基調とした上着を隙なく着こなし、切れ長の瞳の奥で冷たい光を放つ眼鏡をクイッと押し上げる。その姿は、噂通りの「偏屈な人間嫌い」そのものだった。


でも……冷ややかな目とはいえ、名家の次期当主に恥じない、知的な雰囲気と、ある種の華やかさのようなものがあった。

こういう人が裏で犬を笑顔で撫でてたらギャップ萌えだろうな。


彼は私たちを一瞥すると、挨拶もそこそこに、冷徹な声で言い放った。


「……またイチノセ家からの縁談ですか。名誉欲しさに必死なのは分かりますが、私は以前、結婚などという不確定要素が多く、リソースを無駄に消費するだけの非効率なシステムには興味がないとお断りしたはずですが。私の時間をこれ以上奪わないでいただきたい」


うわぁ、開口一番の門前払い。冷たい。鉄壁の防御である。

私はオタク特有の勝手なギャップ萌え妄想を切り捨てた。


チサトちゃんはその威圧感にビクッと肩を揺らしていた。普通の令嬢ならここで泣いて帰るレベルだ。

だが、私のオタク脳とコンサル魂は、この展開を待っていた。

ここで折れては「大成功」は掴めない。ターゲットの鉄壁の防御を、内側から物理的にブチ壊してやる。


「お言葉ですが、次期当主様」


私は不敵な笑みを浮かぜ、抱えていた資料をデスクに置いた。


「私たちは、あなたに『結婚』を勧めに来たわけではありません。……それよりも次期当主様、そのデスクの上に山積みになっている、頭の痛くなりそうな領地の財政帳簿。数ヶ月分、計算が合わずに放置されていませんか?」


「なっ……!? なぜそれを」


彼の眉がピクリと跳ねた。

私はすかさず、隣のチサトちゃんの背中をぽんと押した。


「彼女の職場の事務主任や、彼女の無能な父親は、彼女を『出来損ない』と呼びました。ですが、彼女の本当のスペックはそんなものではありません。────チサトちゃん、見せてあげなさい」


チサトちゃんは一瞬、戸惑うように私を見たが、私の力強い頷きを見て、覚悟を決めたように一歩前に踏み出した。


「……グラマー様。10分、私に時間をください。その帳簿のバグを、すべて洗い出してみせます」


「10分だと? 馬鹿な。我が邸の優秀な会計士たちが3日徹夜しても原因が分からなかったものを────」


「いいから、測ってください。10分です」


チサトちゃんの瞳に、元社畜の「プロ事務員」としての鋭い光が宿った。

その迫力に押されたのか、彼は懐中時計をカチリと開いた。


「……いいでしょう。10分です。それ以上は1秒たりとも猶予は与えません」


チサトちゃんがデスクの前に座り、羽ペンを握る。

次の瞬間──室内の空気が一変した。

サラサラサラサラッ!!!!

異世界の誰も見たことがないような、驚異的な速度で帳簿のページがめくられていく。チサトちゃんの指先は、まるで精密機械のように正確に数字を追い、別の紙にサラサラと数式を書き連ねてしていく。


(ふふん、そうよチサトちゃん! 見せてやりなさい、前世のIT企業で毎日終電までエクセルを叩き狂っていた、その事務無双の力を……!)


チサトちゃんの脳内は今、フル回転しているに違いない。彼女の脳内はおそらく────。


(うわ、書き損じだらけ! ここ、関税の計算が重複してるし、こっちの支出は桁が一つズレてる! 前世の決算期の、あのクソ怒号が飛び交うブラック環境に比べたら……こんなのただのチュートリアルじゃん!!)


……こんなところだろう。


カチ。

ジャスト10分。彼が懐中時計を閉じるのと同時に、チサトちゃんはドン、と修正された書類をデスクに叩きつけた。


「────お待たせしました。原因は3箇所の誤記と、関税の計算重複です。それらを修正し、ついでに今後15%のコストカットが見込める『新・財政改善案』を作成しておきました」


「な、何だと……!?」


彼は半信半疑のまま、チサトちゃんが差し出した書類に目を落とした。

一行、二行と読み進めるうちに、若きエリートの顔から余裕が消えていく。


「な、なんだこの驚異的な処理能力は……!? 複雑入り組んだ領地の財政が、一分の狂いもなく修正されている。それどころか、この無駄のないコストカットの導線は……っ!」


ガタッ!!


彼の眼鏡が大きくズレた。彼は椅子から立ち上がり、信じられないものを見る目でチサトちゃんを凝視している。その姿には、先ほどの冷徹な面影は一切なく、ただただ圧倒的な才能への「驚愕」と「戦慄」だけがあった。


「君は……一体何者なんだ……!?」


(これこれ!! 完璧なまでの手のひら返し……偏屈な次期当主様のこの驚愕フェイス、コレクターとしては最高のごちそうです……!)


内心でガッツポーズを決めつつ、私は待ってましたと言わんばかりに、懐から『本命の書類』をすっと差し出した。


「驚くのはまだ早いですよ、次期当主様。最初にお伝えした通り、これは結婚の挨拶ではありません。────『外部委託アウトソーシングによる、共同生活の業務提携』のご提案です」


「がいぶ、いたく……? 業務提携?」


展開のスピードが速くても、私の言葉を逃さんと耳を傾けるグラマーさん。さすが、飲み込みが早い。


「はい。彼女がこの屋敷の『最高財務責任者 兼 筆頭家政婦』として就職する。そのための、確実な身分保障としての『契約結婚』です。イチノセ家には『アインスワース家との婚姻』という名誉を丸ごとくれてやり、あなたはその見返りとして、優秀な彼女を自身の右腕として独占できる。結婚を勧める面倒な社交話に付き合わされることもなくなりますよ。こちらが契約書の雛形になります」


彼は、私が差し出した契約書を貪るように読み始めた。

そこには、美桜特製の「ハックされた婚姻条件」が並んでいた。

正直、こちらがかなり得で、有利な条件だ。

それでも私は、この条件案は十中八九通ると確信している。


────────────────


業務内容: 邸内の財政管理、およびスケジュール統括、ハウスキーピング。


勤務時間: 午前中の9:00~11:00のみ、完全ビジネスライクな対面。夜間の突発的な業務(貴族の夜会など)は時間外手当(特別手当)を支給。

本日の業務連絡、帳簿の進捗報告、グラマー様のスケジュール確認。


報酬: 家賃・食費を相殺した上での、月々の明確な生活費(給与)の支給。


プライバシー: お互いのパーソナルスペースを完全に尊重し、愛の強要は一切行わない。


────────────────


読み進める彼の目が、ギラギラとした歓喜の光に変わっていく。


「……素晴らしい。完璧だ。『愛』という不確定で数値化できない感情を一切排除し、お互いの利害関係と業務内容だけを明確にした、究極に合理的なシステム……! 私が求めていたのは、まさにこれだ!」


彼は興奮で顔を紅潮させ、ペンを握ると、迷うことなく契約書に自身のサインを走らせた。


「採用です!! いや、私のビジネスパートナー(妻)になってください、チサトさん!」



「は、はい! よろしくお願いします、グラマー様!」


ガシッと固い握手を交わすチサトちゃんとグラマーさん。


彼がチサトちゃんのことを見る目はある意味とても情熱的だった。


こうして、実家の名誉欲を逆手に取り、異世界の常識を置き去りにした、前代未聞の「ホワイトな契約結婚」がその場で成立したのだった。


それを見届けた私は、胸の中でガッツポーズを決める。

(よっしゃあ!! 貴族物件のハック成功!! 同郷の可愛い妹分を救いつつ、最高の物件を完全に攻略しちゃった。これだからアドバイザーは辞められないわね!)


しかし、この時の私はまだ知らなかった。

この完璧なホワイト職場で生まれた「心の余裕」が、チサトちゃんの中に眠る『もう一つのとんでもない才能』を開花させ、やがて私の相談部屋をさらに大繁盛させる最強の相棒へと進化していくことに────。


《次回、チサトのホワイト新婚(お仕事)生活と、新たなる不穏な影編へ続く》

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ