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第3話 逃げるは恥だがキャリアになる①

「お姉ちゃん、この漢字の読み方なんだけど……」


「ん? ああ、それは『魔酔ますい』ね。魔法を使いすぎたら目眩を起こしたり、最悪倒れる症状。理由はわかってない……。楼太は本当にお行儀が良いし勉強熱心だなぁ。よしよし、お姉ちゃんがいくらでも宿題を見てあげるからね」


今日はお仕事見学のノリで遊びにきてくれた楼太。純粋で可愛く、育ちが良い自慢の弟だ。ギルドの喧騒から隔てられたこの部屋で、二人で静かに過ごす時間はとても心地よかった。


────が、その平穏は唐突に破られる。

バンッ!!!!!!

木の扉がミシミシと悲鳴を上げるほどの勢いで叩き開けられた。


あまりの風圧と大音量に、楼太が「わわっ!?」とお茶をこぼしそうになりながら椅子の上で飛び上がる。


「み、ミオさん……っ!! 居ますか、ミオさんっ!!」


 肩を激しく上下させ、息を荒くして飛び込んできたのは、すすで顔を真っ黒に汚した大男──ダグラスさんだった。


 10日前までの、あの迷子の子犬のようなオドオドした雰囲気はどこへやら。その瞳は、ギラギラとした凄まじい達成感と熱量で満ち溢れている。


「ダグラスさん? 落ち着いてください。一体どうしたんですか?」


「ミオさん! 聞いてくれ! 鍛冶ギルドの親方に紹介状を持っていったらな、『お前、力加減抜きでこの鉄塊でも全力で叩いてろ』って言われて、1日中ぶっ叩いたんだ。そしたら……!」


ダグラスさんは興奮で声をひっくり返しながら、丸太のような両腕で大事そうに抱えていた、高級そうな布に包まれた「塊」をデスクの上にドン、と置いた。


「親方が『誰も見たことがないレベルの超高密度な特殊合金ができちまった! お前は本物の天才だ!』って、その場で即採用にしてくれたんだ! それで、これはその時に出た端材を使って、俺が人生で初めて、自分の手で作り上げた……盾なんだ!!」


ダグラスさんが震える手で布をはぎ、中から現れたのは──手のひらサイズの、見事なミニチュアの盾だった。


小さいながらも、ずっしりとしたリアルな金属の質量感が、これがただの玩具じゃないことを証明した。

そして何より、素人目に見ても分かるほど、美しく緻密に金属が叩き鍛え上げられ、鈍い銀色の光沢を放っている。

装飾は一切ないが、それがこの盾の美しい輪郭と均一に整えられた金属密度を強調している。


「すごいよダグラスさん! これ、金属の密度が普通じゃないよ。僕が本気で叩いても傷一つ付かないんじゃ……」


隣で見ていた楼太が、純粋に目を輝かせて大興奮している。ダグラスさんは「おう坊主、分かるか! これが俺の力に耐えられる最初の盾だ!」とガハハと嬉しそうに笑った。


一方、それを見た私の脳内は────。

(えっ……待って待って!?『記念すべき職人の処女作』っていう、コレクター的に国宝級の概念キターー!! 何この素晴らしい金属の光沢と重厚感!? 職人ロードを歩み始めた男の『原点』が私の手元に……ッ! エモさの塊じゃん!! 棚のセンター決定ですありがとうございました!!)


大狂乱、大歓喜、私の全脳細胞スタンディングオベーション。

前世のコレクター精神が限界突破してベッドでのたうち回りたい衝動を、私はプロの表情筋で必死に抑え込み、ふっと慈愛に満ちた聖女のような笑みを浮かべた。


「……素晴らしい出来栄えですね、ダグラスさん。これなら、あなたが一流の盾職人になる未来も、そう遠くはなさそうです」


「ミオさん……! 本当に、あんたのおかげだ! 初任給で金貨5枚も貰えたんだ。命を懸けて前線で怯えてた頃の3倍以上だ。これからは、それでいつでも俺のことを思い出してくれ!」


ダグラスさんは涙ぐみながら何度も頭を下げ、再び軽い足取りで鍛冶ギルドへと戻っていった。

彼が去った後、デスクに残された最高のコレクション(ミニチュア大盾)を、私は愛おしそうに撫でる。


それを見ていた楼太が、ぽかんとした顔のまま、畏敬の念が混ざった瞳で私を見上げてきた。


「お姉ちゃん……本当に、すごいんだね。ただの趣味の相談部屋だと思ってたけど、本当にお姉ちゃんは人の人生を変えちゃうんだ……」


「ふふん、伊達に5年間図書館に引きこもってないわよ、楼太。……よし、それじゃあお姉ちゃん、ちょっとギルドの事務室に行ってくるわね」


「事務室? 何しに行くの?」


「次のカウンセリングに備えて、最新の『商業ギルドの流通データ』と『過去の労働規約の原本』を借りておきたいのよ。情報こそが私の最大の武器だからね」


私はミニチュアの盾を大事に引き出しにしまうと、キリッと立ち上がった。楼太にお留守番(宿題の続き)をお願いして、私は一人でギルドの事務エリアへと向かった。


事務室の受付に声をかけ、一言二言言葉を交わし、お目当ての分厚い資料を数冊抱えて戻ろうとした、その時だった。


奥の事務スペースから、ピリピリとした不穏な怒鳴り声が響いてきた。


「────おいチサト! お前、また帳簿の計算を間違えたそうじゃないか! 現代的な効率化だかなんだか知らないが、余計なことをするなと言っただろう!」


「ひっ……す、すみません、主任……」


(ん? なんだろう……)

私は鉄製の高い棚の陰に隠れてそっと奥を覗き込んだ。


そこでは、恰幅のいいギルドの事務主任が、小柄な黒髪の女の子────チサトちゃんに向かって書類を叩きつけ、理不尽に怒鳴り散らしていた。チサトちゃんは涙目を浮かべ、小さく縮こまっている。


 さらに最悪なことに、彼女の背後には、いかにも成金といった風貌の、彼女の父らしき男が腕を組んで立っていた。


「主任、申し訳ありません。この出来損ないの娘は、近々ギルドを辞めさせますので。……おいチサト、お前みたいな役立たずはな、あの街外れに住む偏屈な『アインスワース伯爵』のところに後妻として嫁ぐしか、我が家を救う道はないんだよ! 観念して、家のために尽くしなさい!」


(うわぁ……ブラック上司に、毒親のコンボ。異世界の典型的な地獄環境じゃん……)


私は眉をひそめてその様子を見ていたが、チサトちゃんの心が限界を迎えているのが、手に取るように分かった。

チサトちゃんはうつむいたまま、拳をぎゅっと握りしめ、俯いた。


と、その時。彼女の小さな唇から、掠れ声が漏れ出た。


「最悪……。異世界に転生してもブラック労働。おまけに強制結婚とか……。どうせ結婚するなら、家事の分の基本給を出しなさいよ。愛がなくてもいいから、まっとうな『雇用契約』を結びなさいよ……!」


父は「あ? なんだチサト、不気味な異国の言葉でブツブツと……!」と眉をひそめて切り捨てたが、私の耳は、彼女の発した言葉をこれ以上ないほど明瞭にキャッチしていた。


(えっ……今、ガッツリ日本語で『前世』って言った!? おまけに結婚を労働とみなして雇用契約にしろって……それ、実質『逃げ恥』じゃん!!っていうかチサトちゃん、私と同じ転生者!?)


驚きで目を見開いたのも束の間。彼女の直面している婚姻法、労働法、そしてアインスワース伯爵の資産状況────。私の脳内図書館にある膨大なデータが、一瞬で一つの「必勝ルート」を弾き出した。


ニヤリ、と私の口元が、アドバイザーとしての不敵な笑みに歪む。同じ転生者で、しかもこんなに可愛い子がブラック環境で使い潰されるなんて、私のプライドが許さない。


「────その件、私がお引き受け(コンサル)しましょうか?」


修羅場と化した事務室の重い空気の中に、私は抱えた分厚い資料をすっと持ち直し、影から滑り込むように、優雅に割り込んでいったのだった。



《次回、チサトの就職(結婚)面接編へ続く》

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