第13話 ギルド改革 アクス編④
「……はぁー、極楽、極楽。これよ、私が前世のブラック環境を生き抜いて、この世界で本当に手に入れたかったのは、この『何もしない時間』なのよ」
新調したふかふかのパーソナルチェアに深く腰掛け、私は完全に骨抜きになっていた。
相談室『パルフェ』には、異世界特有の無骨なギルドの雰囲気は一切ない。私が前世の記憶を頼りにオーダーメイドさせた、どこか現実世界の北欧風オフィスを思わせるシンプルで洗練されたインテリア。
カタカタと、小さな魔導コンロの上で静かにお湯が沸く音が部屋に響く。
その傍らで、チサトちゃんは真面目な顔でギルドの各種運営資料をめくっていた。昨日、書類を叩きつけて私に怒鳴った本人とは思えないほど、いつもの柔らかいチサトちゃんだ。
「当たり前でしょう。頭を限界まで使った翌日は、脳細胞を休めないと労務管理違反よ。はぁ……それにしても、セナさんみたいな『隠れた優秀な人材』が向こうから勝手に歩いてくるのを待つのって、確率的に効率が悪すぎるわよね。もっと組織を拡大して私の不労所得を盤石にするためには、こちらから有能な人材をどんどん引っ張ってこなきゃいけないんだけど……」
「うん? 探しに行くの?」
「まさか。死ぬほど面倒くさいわよ。外は暑いし、歩き回ったら足が浮腫むじゃない。ダンジョンなんかもってのほかよ。部屋から一歩も出ずに、優秀な人材だけがホイホイ向こうから面接に来てくれる魔法みたいなシステム、ないかしらね」
私の極限まで怠惰な悩みに、チサトちゃんは手元の資料から顔を上げて呆れたように笑った。
「そんなに事を急がなくても大丈夫だよ、ミオさん。間違いなくギルドの生産性は、今こうして私たちがのんびりお茶を淹れてる間も上がってるから」
「……へ? 根拠は?」
「これ」
チサトちゃんがトントン、と書類の束を指先で叩く。そこには日毎の書類処理数と、定時退勤の達成率が綺麗な右肩上がりのグラフで示されていた。
「ミオさんが進めた業務フローのハックのおかげで、ギルドの事務作業の滞りが一気に解消されてるんだよね。……で、その証拠に、これ。一階の事務員さんたちからのお礼が、これだよ」
そう言ってチサトちゃんが机の上に置いたのは、小さな、けれど高級感のある細長い木箱だった。
蓋を開けると、そこには美しく細工された一本の『魔法筆』が収められている。インクが自動で最適量供給され、どれだけ文字を書いても疲れないという、事務職にとっては垂涎ものの最高級魔道具だ。
そしてその傍らには、小さな木札のメッセージ。
『ミオ様、おかげさまで毎日定時で帰れています! 私たちの救世主へ、感謝を込めて』と、事務員一同のサインが書かれている。
「あら……っ」
私はそれを見た瞬間、パーソナルチェアから勢いよく身を起こした。
私の視線は完全に、その美しく輝く魔法筆と、感謝の木札に釘付けになっていた。
(何これ最高じゃない!? 私のハックによって定時退勤の悦びを知った一階の事務員たちが、浮いた残業代をコツコツ出し合って、いつも書類仕事をしてる私へ貢いでくれた最高級魔道具……!? エモさの過剰摂取で脳が焼ける……!!)
実は私には、ちょっとした隠れた悪癖がある。
自分が構築したホワイトなシステムによって、ブラック労働から救われた人間から贈られる「感謝の品(実績)」を収集してニヤニヤ眺めるという、最上級に歪んだ『実績コレクション癖』だ。
ダグラスさんから貰ったあの盾以降、私のコレクション棚は寂しいままだった。それがついに、記念すべき二つ目のコレクションが手に入ったのだ。しかも現場の事務をさらに爆速化する実用的な最高級アイテム!
「わかってるじゃない、事務員たち……! グフフ……ノンストップで萌え絵がかけるわ……!」
私はそそくさと魔法筆と木札を回収し、机の奥にある特製コレクション棚へと大事に、かつ恭しく仕舞い込んだ。ホクホク顔の私を見て、チサトちゃんは「あ、またやってる」と言わんばかりに苦笑している。
「相変わらずそのコレクション、ちょっと不気味だよね、ミオさん。……じゃあ、お茶にしよっか」
「ええ、最高の一服になりそうだわ!」
チサトちゃんの楽しそうなツッコミをBGMに、私たちは温かいお茶を堪能し、私はそのまま、コレクションが増えた極上の満足感と共に幸せな微睡みに落ちていった。
熱気とエールの匂いが立ち込める、夜のアクスの酒場。
いつもなら脳筋冒険者たちの馬鹿笑いで鼓膜が破れそうなはずの空間に、今夜は奇妙な「エアポケット」ができていた。
酒場の一角、少し広めに空けられたテーブル席。
そこには、緊張で表情を限界まで硬くしたセナさんと、その隣でノートとペンを広げたアクスが座っている。壁にはチサトちゃんが書いた『元SSS級剣士による、戦術・お悩み相談コーナー』という立て札が下がっていた。
しかし、周りの冒険者たちは遠巻きに彼らを眺めるだけで、誰一人として近づこうとしない。完全なるディスタンス。氷点下の空気である。
「おい、あれ……『黒鉄の防人』のエースだったセナだろ? 右腕、本当にピクリとも動かないみたいだな……」
「いくら全盛期がチートでも、剣も振れない元天才に何が相談できるんだよ。ただのオワコンじゃねぇか」
「隣にいるアクスも、ただの酒場店主だしなぁ……。あいつらに何を教わるってんだよ」
そんな生々しい陰口がカウンター越しに聞こえてくる。
セナさんは自分の動かない右腕を左手できつく握りしめ、静かに視線を落としていた。健気で尊い元天才が曇っている。実によろしくない。
カウンターの特等席でエールを嗜みながら、私は冷静にその様子を観察していた。隣のチサトちゃんが、胃が痛そうな様子で私に耳打ちしてくる。
「ミオさん、やっぱり初手から完全に警戒されてるよ……。ギルドの権力を使って、最初から『ギルド公認の特別講習!』って大々的にチラシでも配って売り込めばよかったんじゃない? 私たち、一応ここの影の支配者なんだし」
「はい却下。そんな大々的な売り込み、絶対にしないわよ」
私はエールを喉に流し込み、フッと不敵に笑った。
「第一に、私が動くのシンプルに面倒くさい。第二に、下手に目立って貴族の偉いおっさんたちに『あいつ有能だからもっと働かせよう』って目をつけられたら、私のホワイト不労所得ライフが崩壊するわ。影の支配者が一番安全で美味しいのよ」
(前世でちょっと成果を出しただけで過重労働を押し付けられ、最終的に過労死した私よ? 有能だと目をつけられた人間がどんなデスマーチに強制連行されるか、身を以て知っているわ。手柄や名声は全部アクスたちにあげて、私は裏で実利の甘い汁だけを吸う。これが私の絶対的な生存戦略よ)
「──そして第三に、ビジネスにおいて一番強いのは押し付けがましい広告じゃないの」
「え……? じゃあ何が一番強いの?」
「『現場の生々しい口コミ』よ。上から言われて渋々受ける講習なんて誰もありがたがらないわ。でもね、今夜この場所で、いつもボロボロだったFランクの使えない新人が、翌日から急に魔獣の攻撃を紙一重でかわし始めたらどうなると思う?」
チサトちゃんがハッとしたように目をひらいた
「……。周りの荒くれ者たち、絶対に放っておかない。『何があったんだ!?』ってアクスさんたちのところに押し寄せる……」
「その通り。宣伝費ゼロ, ノーリスクで爆発的なブームが勝手に出来上がるのよ。だから、まずは待つの。こういう時、最初に動くのはいつだって『一番追い詰められている弱者』よ。──ほら、おいでなすったわ」
私の視線の先、酒場の入り口から、全身泥まみれでボロボロの防具を着た、一人の小柄な少年冒険者が入ってきた。Fランクの新人だ。
少年は、遠巻きに見物している先輩冒険者たちの冷ややかな視線をすり抜け、藁にもすがるような思いで、セナさんとアクスの座るテーブルへと歩み寄った。
「あの……っ! 相談させてください……! 僕、ローっていうんですけど、今日も初層のゴブリンにボコボコにされて、もう、どうしていいか分からなくて……っ」
少年の必死な声が、酒場の喧騒をわずかに静めさせた。
アクスが優しく頷き、ローくんに声をかける。
「ローだな。よし、じゃあまずは、いつもゴブリンを迎え撃つ時の『構え』をその場でやってみてくれるか?」
「あ、はい……っ!」
ローくんは言われた通り、腰の剣を抜いておぼつかない足取りで構えを取った。
その瞬間──セナさんの鋭い双眸が細まり、ローくんの身体のブレを頭の先から爪先まで一瞬で観察した。
「……君、身体が全体的に『ふわっ』としてる。ゴブリンが来る瞬間に、左足が抜けてない。だからまともに喰らう」
「え……っ? ふわっ、ですか……?」
セナさんの天才特有の、一般人には全く意味不明な感覚表現(擬音)に、ローくんは完全に困惑して硬直する。
すかさずアクスが、ローくんの目線に合わせて優しく笑い、ノートを叩いた。
「ああ、すまない。要すると、今の構えを見るに、剣を振る時に無意識に左足の踏み込みが遅れてるんだよ。もっと右膝の力を抜いて、前傾姿勢を意識してみて。ゴブリンの攻撃は直線的だから、その構えさえ直せば、力のない君でも簡単に横に受け流せるから。……よし、ちょっとここで試してみよう。俺がゆっくり木剣を振るから、今言った通りに動いてみて」
アクスがカウンターの裏から軽い訓練用の木剣を取り出し、ローくんに向かってゆっくりと上段から振り下ろす。
ローくんは緊張で体を強張らせながらも、アクスの言う「右膝の力を抜いた前傾姿勢」を意識して、体をわずかに斜めに滑り込ませた。
──シュッ!!
「……っ、避けやすい……!?」
ローくんが驚愕の声をあげる。恐らく、これまでの無駄の多い避け方なら、こんなに簡単じゃなかっただろうに、攻撃は驚くほど簡単に、ローくんの鼻先を紙一重で通り過ぎていったのだ。
「もう一回だ。次は少し速度を上げるよ」
「はい……っ!」
アクスが速度を上げて繰り出す打ち込みを、ローくんは滑らかなステップで次々とかわしていく。セナの「言語化不能な天才の眼」と、アクスの「異常な翻訳能力と的確な指導」が合わさった瞬間、Fランクの劣等生がその場で明確に『覚醒』を始めていた。
「おい、嘘だろ……? ローの奴……」
「今、ただの酒場店主とはいえ……あのアクスの攻撃を、完全に紙一重で見切ってやがる……!」
遠巻きに見ていた先輩冒険者たちの目が、一瞬でガタッと変わる。酒場の空気が、冷笑から「本物の驚愕」へと一変していく。
そんな中、私はエールを片手に、ローくんの動きに合わせて完璧な速度の打ち込みを繰り出しているアクスを、ぼーっと見つめていた。
(……あのアクス?……というか、セナさんのあのめちゃくちゃな感覚論を完璧に理解できるアクスって……もしかして、このままこの講習を続けたら、アクス自身もとんでもなく強くなるんじゃないかしら……?)
でも、それはそうとして。
(よし……最高の『実績(口コミ)』の仕込みが完了したわね! あとはロー君がどう変わるかだけど……このまま順調に強くなってって……まわりの冷笑してる冒険者達の実力をロー君が抜き始めたタイミングが手の平グルグルざまぁポイントかしらね)
特設カウンターの記念すべき最初のコンサルティングは大成功。私の不労所得ライフへのロードマップは、今日も極めて順調だった。




