第12話 ギルド改革アクス編③
「昨日あんなに偉そうに啖呵を切っておいて、まさか翌朝一番に呼び出されるとは思わなかったよ、ミオさん」
相談室『パルフェ』の扉を開け、アクスが苦笑いを浮かべながら入ってきた。
そのすぐ後ろには、右腕を白い包帯で厳重に固定されたセナさんが立っている。
彼女は、昨日よりもさらに小さく縮こまっているように見えた。切り揃えられた黒髪の隙間から覗く横顔はどこまでも美しく、そして痛々しい。その瞳に宿っているのは、周囲への怯えではなく、自分自身に対する深い拒絶と絶望の色彩だった。
(……なるほどね。他国の大規模ギルドで追放された時、彼女はさぞ罵倒されたでしょう。でも、彼女を本当に壊したのは周りの雑音じゃないわ。昨日までSSSランクとして世界最高峰の剣を振るっていた自分が、今は靴紐を結ぶことすら満足にできない。その圧倒的な『出来なくなってしまった自分』への自己嫌悪が、彼女の生気を根こそぎ奪っているのね)
私は新調した特等席に深く腰掛けたまま、優雅に紅茶を啜り、二人を冷ややかな視線で見据えた。
「勘違いしないでね、アクス。そしてセナさんも。私はボランティアであなたたちに手を差し伸べたわけじゃないわ。私の快適な将来と、このギルドが他国に対して圧倒的な『アド(優位性)』を手に入れるために、骨の髄まで働いてもらうビジネスの話をしにきたのよ」
「……ビジネス、ですか?」
セナさんが、生気のない、けれど凛とした低い声で私をオウム返しにする。
「そうよ。昨日も言った通り、セナさんをそのまま『教官』にするなんてお笑い草だわ。天才が感覚でやっていることを、凡人に言語化して教えられるわけがない。……だから、システム化するのよ。アクス、あなたの出番よ」
「俺の……? 一体何をすればいいんだ?」
「アクス、あなたには、これまで訳ありの女性たちを何人も社会復帰させてきた『他人に寄り添う力』と『異常に高い傾聴能力』があるわ。逆にセナさんは、天才ゆえに自分の超感覚的な技術を言葉にできない。──なら、セナさんの脳みそを誰よりも深く聞き出し、それを凡人の言葉に通訳する【翻訳官】をあなたがやるのよ。二人の持ち味を掛け合わせることで、このギルドは他を圧倒する育成のアドバンテージを手に入れる。そして────」
「ただ優秀な人間を雇うだけじゃ組織の強みにはならない。優秀な人間の『ノウハウ』をシステムとして組織に定着させてこそ、永続的なアドバンテージになるのよ。セナさんは教官として自分の経験を後世に遺す誇りある業務を。アクス、あなたの酒場はギルド公式の『特任育成拠点』として、国からの莫大な補助金をそれぞれ受け取る。誰も損をしない完璧な利権の構造よ」
隣で書類を整理していたチサトちゃんが、興奮した様子でペンを握り直して補足した。
「ミオさん、それ凄いです! セナさんをただの指導者にするんじゃなくて、アクスさんという『通訳』を挟むことで、セナさんの脳内にある『SSSランクの実戦データ』を、そのままギルドの資産として書類化(システム化)するんですね!?」
「待ってくれ、ミオさん」
それまで黙って聞いていたアクスが、慌てたように手を挙げた。
「ありがたい話だけど……俺が昼間にそんなことしてたら、酒場の営業はどうすんだよ!? だから言ったろ、俺が死ぬ気で倍動けばいいんだ。両方とも俺が気合いでやり切るから、だから……!」
「はい却下。出たわね、無能なブラック社畜の代名詞『根性論』」
私はピシャリとアクスの言葉を遮り、心底呆れたようにため息をついた。
「そんな非効率な働き方を私の管轄下でやられて過労死でもされたら、ギルドの労務管理上、最大のリスクだわ。倍働く必要なんて一ミリもないのよ。──時間帯を完全に分離しなさい」
「時間帯を分ける……?」
「そうよ。昼の内は、あなたを翻訳官として拘束する。その間、酒場の仕込みや開店準備は、あなたがこれまで社会復帰させてきた女性従業員たちに全て任せるのよ。彼女たちはあなたの背中を見て育ち、すでに現場の回し方を熟知しているわ。昼の負担は少し増えるけれど、あの有能な彼女たちなら難なくこなせるはずよ」
私がそう断言すると、アクスはハッとしたように目を見張った。
「さらに、マニュアルのデータが溜まってきたら、夜はあなたの酒場の片隅を『教室』として開放しなさい。酒場にいながら、夜のピークタイムに新人冒険者たちを集めて、セナさんによる実戦の座学講座を開催するのよ。これならアクス、あなたは自分の店を離れずに育成業務を両立できるし、酒場だって『SSS級剣士の話が聞ける店』として新人たちの飲食代で大繁盛するわ。店主と翻訳官をスマートに兼任するのよ」
「……っ、なるほど。それなら、店を潰さずにセナの場所も作れる……!」
アクスの泥臭い熱意が、システムという器を得て、綺麗に形を変えていく。
「……私が、もう一度、誰かの役に立てる……?」
セナさんの瞳に、初めて衝撃と、かすかな火が灯る。彼女は確かに自分が持っていた、そして失われてしまったはずの『価値』を、別の形で誰かに繋ぎたいのだ。
「口で言うのは簡単だけどね。……さあ、御託はいいから、さっそくその『超感覚の翻訳テスト』を始めるわよ。チサトちゃん、記録の準備を」
「はい!」
私は机の上に、新人たちがよく命を落とす『上位魔獣・牙狼』の生態資料を広げた。
「セナさん。例えば、突進してくる牙狼の爪撃を、片腕だけでいなすとしたら、どう動く?」
セナさんはじっと資料を見つめ、少し視線を落として、自身の記憶を呼び起こすようにぽつりと言葉を落とした。
「……敵が、こう……前に出ようとする瞬間に、空気が沈む。その沈んだ空気に乗るように、足をサッと引く」
「ほら見なさい」
私はすかさず扇子で机を叩いた。
「『空気が沈む』ですって? 凡人にそんなスピリチュアルな感覚が伝わるわけないでしょう。案の定、天才の脳内はこれだから困るわ。──さあアクス、今すぐ今のを翻訳して!」
「えっ、……あ、いや……待てよ」
アクスは冷や汗をかきながらも、真剣な目でセナさんの微かな指の動きや、視線の配り方を必死に観察し始めた。
「空気が沈む……。セナ、それって、牙狼が跳ぶ直前に『前足に一瞬だけ全重心が乗って、地面がわずかに沈む時の音か振動』を察知してるってことか……?」
セナさんがハッとしたように顔を上げた。
「……そうだ。地面の震えだ。それが靴の裏から伝わってきた瞬間に、半歩引く。そうすれば、相手の突進の軌道から外れられる」
「なるほど! チサトちゃん、新人に教える時は『敵の目線を見るな、前足の踏み込みによる地面の砂の動きを視界の端で捉えろ』って書き換えてくれ。これならFランクの奴らでも意識できる!」
「了解です! 爆速で図解データも作成します!」
チサトちゃんの羽ペンが凄まじい速度で踊る。
「じゃあ次よ」私は容赦なく次の資料を広げる。「ダンジョン中層に潜む『怪鳥ガルーダ』の、上空からの急降下奇襲。セナさんならどう避ける?」
「……上を見る必要はない。影が、ほんの少し歪む。その歪みの中に、自分の呼吸をスッと滑り込ませるようにして、横に転がる」
「はいアクス、翻訳!」
「……呼吸を滑り込ませる、か。セナ、それは『影の動きから急降下の角度を割り出して、風圧が自分に到達する一瞬前に、あえて気配を消すように息を吐きながら脱力して転がる』って意味か? 力んで避けると風圧に煽られて姿勢を崩すから……」
「……、その通り。脱力だ。そう言ってもらえると、私も教えやすい。……アクス、凄いな」
セナさんの凍りついていた顔に、ほんの少しだけ柔らかい色彩が戻る。
アクスは照れ臭そうに鼻の頭を掻きながらも、その目は確かな手応えに輝いていた。
(素晴らしいわ。アクスの泥臭い情熱とカウンセリング能力が、セナさんの眠れる超感覚を完全に言語化している。これによって作られる『SSS級戦闘マニュアル』。これが完成した瞬間、我がギルドの新人冒険者の生存率は爆発的に跳ね上がる。つまり、将来的に優秀な中堅冒険者が他国より圧倒的に早く、大量に育つという長期的かつ最大のアドバンテージに化けるのよ……!)
「……いやぁ、実に見事だ。実に面白いものを見せてもらったよ」
不意に、相談室の開け放たれた扉の向こうから、低く響くバリトンボイスが聞こえた。
上質なスーツを纏ったギルドマスター、バルドルさんが、いつの間にか廊下に立ち、パイプの煙越しに私たちのテストを眺めていたのだ。
「バルドルさん、いつからそこに……」
アクスが驚いて声を漏らす。
バルドルさんはゆっくりと室内に足を踏み入れると、眼鏡の奥の切れ長な目を細め、心底嬉しそうに、獰猛な笑みを浮かべた。
「最初からさ。……ミオちゃん。君のその、どこまでも底の知れない『貪欲さ』には、いつも私の心臓が跳ね上がる。まさか、他国で使い物にならなくなった不発弾を引き抜き、アクスという触媒を使って、ギルド最高の『育成システム』へと作り替えてしまうとはね」
バルドルさんはアクスへと視線を移し、その肩を大きな手でポンと叩いた。
「そしてアクス。君の持つ、泥臭いまでの『情熱』。私はね、君たち二人の将来性を、同じくらい期待していたんだよ」
「俺と、ミオさんを……ですか?」
アクスが驚いたようにバルドルさんを見上げる。
「そうさ。ミオちゃんの持つ、利益と優位性を徹底的に追い求める『貪欲さ』。アクスの持つ、目の前の人間にどこまでも寄り添い、可能性を諦めない『情熱』。どちらも、これからの新しいギルドを作るために不可欠な最高の持ち味だ。私はその二人が、同じ場所でいつか化学反応を起こすのをずっと見たかったんだよ」
バルドルさんは、私がアクスの「持ち味」を最高の方法で引き出し、同時にセナさんの「価値」を完璧に復活させたこの光景に、激しい歓喜を覚えていた。元・組織のトップとして、これほど合理的で熱い適材適所はない。
「ミオちゃんがその貪欲さでアクスの情熱に最高の『役割』を与え、二人の持ち味を同時に限界まで引き出した。……素晴らしいよ。私の目に、狂いはなかった。我がギルドの未来は、信じられないほどの優位性に満ち溢れているな」
バルドルさんは、注ぎ足されたばかりの温かいコーヒーを美味そうに啜りながら、クククと喉を鳴らした。
「よし、アクス。君の酒場を『特任育成拠点』とする予算申請書、今すぐ私のデスクに持ってきなさい。最高速度でサインをしてあげよう」
「ミオさん……! バルドルさん……っ、ありがとうございます!」
アクスが歓喜に顔を上気させる。セナさんもまた、しっかりと前を見据え、その凛とした表情に強い覚悟を宿していた。
私はそんな彼らをパーソナルチェアから見下ろし、扇子で口元を隠しながら、腹の底で邪悪に微笑む。
(ふふふ、これでギルドの新人生存率は跳ね上がり、酒場からの利権も、国からの補助金も私の懐に転がり込んでくる。セナさんという最強のカードも手に入れたわ。……さあ、私の完璧なホワイト不労所得ライフのために、みんな骨の髄まで働いてもらうわよ……!)
チサトちゃんはそんな私の考えを見透かしているのか、少し笑った。




