第11話ギルド改革 アクス編②
酒場の若き店主、アクスの切羽詰まった表情に案内され、私とチサトちゃんはギルド本部の一階奥にある医務室へと向かった。
白いカーテンを引いた一角。ベッドの上に、その人は静かに座っていた。
セナ・カノコク。
切り揃えられた黒髪に、凛とした涼しげな顔立ちの美人だ。だが、その瞳には一切の生気がなく、何より痛々しいのは、包帯で厳重に固定され、だらりと力なく下がった右腕だった。
その顔と名前を聞いた瞬間、私の脳内データベースがパチリと火花を散らした。
(セナ・カノコク……思い出したわ。隣国の大規模ギルド『黒鉄の防人』で、若くして頭角を現したトップクラスの天才剣士。たった一振りで上位魔獣の首を撥ねたエースじゃない。……だけど確か、半年前のダンジョン攻略で罠にかかって右腕の神経を完全に損傷し、一転して『お荷物』扱いされてギルドを追放されたって、情報屋の書類で見たわね)
間違いなく、全盛期はSSSランク級のチートキャラだ。今もただ座っているだけなのに、視線の配り方に一切の隙がない。
しかし、そんな彼女を前にして、アクスは悲痛な顔で、すがるように私に両手を突いて頭を下げた。
「頼む、ミオさん。こいつ、利き腕を完全にやられて、もう二度と剣が振れねぇんだ。前のギルドを追われて、遠い故郷に帰りたいらしいんだが金がない。せめて旅費が貯まるまで、俺の酒場の皿洗いでも雑用でもいい、ここで雇ってやってくれないか……!」
「……お断りよ、アクス」
ピシャリと言い放った私の声に、アクスが弾かれたように顔を上げた。
「なっ……! なんでだよ!? 皿洗いだぞ? 人手ならあって困らないはずだろ!」
「人手ならあって困らない? 冗談言わないで。酒場のピーク時がどれだけの戦場になるか、あなたが一番よく知っているでしょう。片腕が動かない人間に、あの大量の油汚れの皿をまともに持てると思うの? 運ぶ途中で落として割るのがオチよ。そうなれば、彼女が怪我をするか、他の従業員がその破片を片付ける羽目になる。その分のロスや周囲の負担は誰が穴埋めするの? あなたが自腹で弁償でもするつもり?」
「そんなの分かってるよ! でもなぁ、ミオさん……!」
アクスの声が、怒りと悔しさで激しく裏返った。彼はベッドの上のセナを庇うように一歩前に踏み出し、大粒の涙を堪えるように目を真っ赤にして叫んだ。
「こいつ、昨日裏路地で泥水啜りながら行き倒れてたんだぞ!? さっきまで天才だって持て囃してた周りの奴らが、腕一本動かなくなった途端に手のひらを返してゴミみたいに外へ放り出したんだ! 誰も見向きもしねぇ……このままじゃ、こいつ本当に野垂れ死んじまうんだよ! 俺の酒場だ、俺が死ぬ気で倍働くから! 頼むから見捨てないでくれよ……っ!」
必死だった。感情を剥き出しにして、目の前の理不尽に抗おうとしていた。アクスはどこまでも優しく、そして泥臭く食い下がってくる。
その張り詰めた空気の中、それまで黙って聞いていたチサトちゃんが、そっと私の袖を引いて小声で言った。
「あの……ミオさん。セナさんのこれまでの実績や、今の座り方を見ても分かります。彼女の戦術眼や身のこなしなら、新人冒険者たちの指導をする『教官』の仕事とかなら、向いてるんじゃないでしょうか……?」
「……。」
私はチサトちゃんの言葉をいったんわきに置いて、口を開く。
「……。アクス、またあなたの悪い癖が出たのね。バルドルさんがこれまで黙認してきたからって、私の体制でもそれが通ると思ったら大間違いよ」
私の冷ややかな視線に、アクスが顔を歪める。彼の経営する酒場の従業員は全員、彼がどこからか拾ってきた訳ありの女性たちだ。
「ここの酒場は、あなたの過去の負い目を洗い流すための聖域じゃないの。亡くなったお姉さんの身代わりに、行き場のない女性をコレクションして安心したいだけでしょう。片腕の動かない元天才剣士なんていう最大のリスクを、あなたの個人的な感傷で抱え込めるわけがないわ」
「コレクションだと……!? ふざけんじゃねぇ!!」
アクスが激昂し、医務室の机を叩いた。
「俺のせいで、姉ちゃんは死んだんだ……! あの時、俺がもっと強ければ、俺がもっと周りを見ていれば……っ! だから俺は、目の前で理不尽に潰されそうな奴がいるなら、絶対に手を離さねぇって決めたんだ! こいつをただの皿洗いにするのが無理だって言うなら、俺が、俺の命を懸けてこいつがもう一度輝ける場所を一緒に作る! そのための度胸も覚悟も、俺にはある!!」
チサトちゃんと、アクスのその言葉を引き金に、私の脳裏に最悪のフラッシュバックが起きた。
イライラする。猛烈に、虫酸が走る。
思い出すのは、前世のブラック社畜時代のことだ。
『あいつさ、家庭の事情で大変だから、このプロジェクトの枠に入れてやってよ』
『俺がちゃんと面倒見るし、フォローするからさ!』
そう言って、気持ちと熱意だけで無能や負傷者を招き入れ、結局数週間で『やっぱり無理でした』と投げ出し、その尻拭いをすべて私に押し付けて消えていった、あの職場の「優しい無責任なイイ子ちゃん」たちの顔が、アクスの姿に重なる。
あの時の地獄の残業。毎日終電、終わらないトラブル、理不尽な上司からの叱責。全部、他人の『優しい嘘』から始まったことだった。
優しさなんてものは、余裕のある人間が消費する娯楽だ。私みたいに魔法も剣も使えないノーチートの人間が、あの理不尽な地獄を二度と味わわず、完璧なホワイト環境でぬくぬくと生き残るためには、そんな見通しの甘い考えは一ミリだって許してはならない。
「いい加減にしなさい、アクス。チサトちゃんもよ」
私の冷徹な声が、一瞬で医務室の空気を完全に凍りつかせた。
「そもそも、私たちが彼女を助ける義理なんて一ミリもないわ。他国の、傷病兵のセーフティネットが整った別のギルドを手配してあげる。それが、私が提示できる最大の妥協点よ。アクス、あなたがどれだけ手伝ったって、彼女がここで成功する保証なんてどこにもない」
私はチサトちゃんの提案を一蹴するように、ベッドの上のセナを冷たく見下ろした。
「教官なんてお笑い草だわ。『自分が剣を振ること』と『他人に教えること』には、天と地ほどの圧倒的な差があるのよ。 天才が感覚でやってきたことを、凡人に言語化して教えられるわけがない」
言い捨てて、私は踵を返した。
アクスは絶望と悔しさで顔を歪めて立ち尽くし、無口なセナは、自分の存在が誰かに迷惑をかけている現実に、静かに目を伏せていた。
彼女は、少し、泣いてるように見えた。
医務室の重苦しい扉を閉めると、ホールの喧騒が遠くから鼓膜を叩いた。
私は無言で早歩きになり、その後ろをチサトちゃんがついてくる。いつもなら「ミオさん、お茶淹れますね」と柔らかく声をかけてくれるはずの彼女は、一言も発しない。ただ、後ろから伝わってくる足音が、やけに硬く、張り詰めていた。
相談室『パルフェ』の扉を開けて中に入る。
私は新調したパーソナルチェアに深く腰掛け、ふぅ、とわざとらしく大きな溜息をついた。
「全く、アクスも困ったものね。同情だけで組織を動かそうとするなんて、まだ若いわ。他国のギルドを手配してあげるだけでも、私としては破格の慈悲のつもりよ」
チサトちゃんは、デスクの前に立ったまま、一歩も動かなかった。その肩が、微かに震えている。
「……ミオさん。本気で、そんなこと思ってるんですか?」
静かな、低い声だった。
「何よ、チサトちゃん。私は現実を言っただけよ」
「現実って何ですか!? あの二人の必死な姿を見て、よくそんな冷たいことが言えますね! セナさんだって、必死に前を向こうとしてるのに!」
「冷たい? 組織を預かる身として、見通しの甘い感情論に付き合うほど私は暇じゃないわ。リスクが高すぎるのよ」
「リスク、リスクって……! じゃあ何、最初から成功する保証がなきゃ、誰も助けないっていうの!?」
ガタン!! と、激しい音が相談室に轟いた。
チサトちゃんが、抱えていた書類の束を、怒りのままに思い切り机に叩きつけたのだ。バラバラと書類が床に散らばる。
「最初から『無理』って切り捨てたら、キャリアアドバイザーなんてやってる意味ないじゃない! 確かにあの二人の言ってることは甘いかもしれない。アクスさんの優しさはお節介かもしれないよ! でも、自分の安全ばっかり気にして、目の前の人が必死に掴もうとしてる手を振り払うのが、ミオさんの言う『最高にホワイトな環境』なわけ!? そんなの、ただの冷酷な独裁者だよ!」
「あんた……私に向かって何て言い草よ!」
私も立ち上がり、机を激しく叩き返した。前世のトラウマが怒りをさらに加速させる。
「優しさだけで何とかなるほど、この世界は甘くないわよ! 私が前世で、どれだけその『優しい無責任』に苦しめられたか、あなたに何が分かるの!? 見通しの甘い熱意で現場が崩壊した時、最後に泣くのは私なのよ!」
「だからって、挑戦する前から誰かの可能性をゼロにしないで!!」
相談室の壁が震えるほどの怒鳴り合い。
初めて、私とチサトちゃんの「個人の思想」が真っ向から激突していた。
ゼェ、ゼェ、と肩で息をしながら、お互いを睨みつける。
だが、チサトちゃんの、怒りに震えながらも今にも泣き出しそうな、真っ直ぐな瞳を見ているうちに、私の沸騰していた脳が、急速に冷やされていくのを感じた。
(……ああ、そうか。私はセナさんが嫌いなわけじゃない。アクスの優しさを否定したいわけでもない。ただ、『熱意だけでなんとかなる』という見通しの甘さが、怖いだけだ……)
冷静さを取り戻した私のオタク脳とアドバイザー脳が、冷徹に、しかし建設的に回転を始める。
「……はぁ。分かったわよ。そこまで言うなら、ただの同情じゃなくて『ビジネスとして成立させるプラン』を、あんたが意地でもひねり出しなさいよ」
私が腕を組んで椅子に座り直すと、チサトちゃんも視線は逸らさずに言った。
「……プラン、なら、さっきアクスさんが言った通りだよ。アクスさんが一緒に勉強するって……」
「甘いわ。だから、それをシステム化するのよ。アクスには、これまで訳ありの女性たちを何人も社会復帰させてきた『他人に寄り添う力』と『高い傾聴能力』があるわ。逆にセナさんは天才ゆえに自分の超感覚的な技術を言語化できない。なら、セナさんの感覚を誰よりも深く聞き出し、それを凡人の言葉に通訳する『翻訳官』をアクスにやらせるの」
私は指をトントンと叩きながら、一瞬で弾き出した必勝ルートを提示する。
「アクスがセナさんの脳みそを翻訳して指導マニュアルを作れるなら、それはギルドの新人育成効率を爆上げするビジネスに昇華できる。これならリスクはゼロ、利益は最大よ」
私の提示した超具体的なハックプランに、チサトちゃんは呆気にとられたように口を半開きにした。
相談室に少しの沈黙が流れた後、彼女はぷっと吹き出した。
「……あはは! なんだ、ミオさん、怒りながら結局ものすごい解決策考えてたんじゃん」
「うるさいわね。あんたにそこまで言われたら、折れるしかないじゃない。ただし、やるからには私の安全と利権のために、二人には骨の髄まで働いてもらうわよ」
フン、と顔を背ける私に、チサトちゃんは呆れたように、でもいつもの安心感のある笑顔を浮かべて、ソファーの背もたれに体重を預けた。
「もう、ミオさんが頑固になるから本当に疲れちゃった。一時はどうなるかと思ったよ」
「それはこっちのセリフよ。全く、誰のせいでこんなに頭を使わされてると思ってるの」
「私の熱意と、ミオさんの強欲さのせいでしょ?」
そう言って悪戯っぽく笑う彼女のトーンは、これまでの境界線を軽々と飛び越えていた。
けれど、その空気は驚くほど心地よく、私たちが本当の意味での「相棒」になったことを物語っていた。




