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さよなら、オリーブビーチ  作者: 花守郁
第二章:凍れる空
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04.

 担任との話し合いが終わって、教室に荷物を取りに戻った。すると先に帰ったと思っていた澪と水斗が、まだ残っていた。

「あ、お疲れ。航…」

 澪がおそるおそるという風に話しかけてくる。その態度に、胸がざわついた。

「澪、もしかして聞いてたの?」

 咎めるように、声が鋭くなる。このタイミングでこの態度は、と確信してしまっていた。

 ザッと澪の顔が青くなる。横の水斗はものすごく苦い顔をした。

「ご…ごめん…」消え入る声で謝罪された。

 嗚呼。二人には黙っているつもりはなかったのに。こんな形で知られることになるとは思っていなかった。

 心の整理がついてから説明しようと考えていたけれど、もういいかと諦観の気持ちが沸いてくる。心が凪ぐようだった。

「航…。俺も聞いちゃって、ごめん…。航が先生に呼び出されるってかなりまずいことでもあったんじゃって心配になって…」

 多分、半分本当で半分嘘だ。心配になったのは本当で、聞いちゃったが嘘。

 指導室までついてきて、先生との会話を盗み聞きしたのは行動力溢れる澪の方だろうと察しがつく。乱入してこなかっただけ、よかったのかもしれない。澪は動揺しながら、教室で待っていた水斗に報告したのだろう。

 はあ、と深いため息を吐く。純粋に心配してなのだろうが、なんて浅はかな行為なんだろうか。悪気がないだけで不快な行動には変わりなかった。心配していればなにをしてもいいのだろうか。なんのために先生が場所を変えて、一対一で話す場を設けてくれたと思っているのだろう。

 ぐしゃぐしゃと頭を掻き、もう一度、今度は荒々しいため息を、長く吐く。肺のなかの空気を押し出し切っても、胸のもやもやと腹の奥で沸いてくるむかつきは薄まらなかった。

「…帰ろうか」

 目を合わせず、そう声をかけた。二人は断らず、黙って用意をしてついてくる。

 こうして、三人で帰路についた。



 カラカラカラカラ。三人分の自転車のタイヤの音が、静かに共鳴していた。

 自転車を押しながら、海辺の道を歩いていた。寒空の下、誰も喋ろうとせず、景色を見ながら黙々と歩く。

 今日は波が高くなく、ぴしゃぴしゃとまるで水たまりのような音を立てていた。この波を見ていると、すこしずつ頭が冷えてきた。苛立ったところで、知られてしまった以上、もうどうしようもないのだ。

 なら、ひとまず怒りを無視して、行動したほうが結果的には良い。

「…オリーブビーチ、行こうか」

 気まずい沈黙を破ったのは、僕だった。どうせ話さなければならない。なら番屋ではなく、落ち着けて、開放感のある場所で気負わず話したいと思った。



「ということで、僕の両親は離婚するそうです」

 ちゃんちゃん。経緯を簡潔に説明し、物語調で締めた。水斗がえぇっと引いた声を上げる。

「…そんな感じなの…」

「全然そんなんじゃないけど」

「すみません」

 鋭く即答すると、頭を下げられる。さすがにふざけているわけではないと理解したらしい。

 こんな調子じゃないと説明するのも馬鹿馬鹿しくなるからに決まっていた。だるくて、白けてしまうのだ。

「まだ一年以上先だけど。もう少しなんとかならないのかなーとか思っちゃうよな」

 なにも離婚まで決意することないんじゃないだろうか、と。大人の事情なんかまだ理解できるわけがなかった。理解したように見せているだけで、本当にしているわけないじゃないか。突然降りかかった理不尽にしか思っていない、と自覚する。

「僕も島を出たら、水斗は寂しくなるな」

 わざと、からかうようなトーンで言ってみた。

 水斗は顔を少し赤くして、何か言い返そうと口を開きかけていたが、結局はぐっと言葉を飲み込んで、目の前の押し寄せる波を見つめた。

 大きな背中が、見たこともないくらい小さく丸まっている。

「…なるよ」かすれて、小さな声だった。

 水斗は身を小さくして、ぎゅっと膝を抱えた。

「なるに決まってるだろ…。澪も高松に行くって言って、そのうえ航までいなくなったら。俺一人で高校でなにすればいいんだよ。そんなの、全然楽しくないだろ」

 いつもなら、バカだなと軽く笑い飛ばせるはずの言葉が、今の僕の胸には、鉛のように重く圧しかかってきた。

 水斗は単純で、いいやつだ。彼の言葉は直球である分、心の深いところを抉ってくる。

 寂しいのは、僕だけじゃなかった。置いていかれる水斗も、自分で選んで出ていく澪も、みんなこの冬の北風の中で怯えている。

「…そんなこと言うなよ」僕の口から、投げやりな、情けない声が出た。

「寂しいとか、一人になるとか、そんなの知らないよ。贅沢なんだよ、水斗は」

 澪が、高校から島を出ると聞いたときは、驚いた。そして、嬉しくもあった。

 出ていくのは自分だけじゃない、この三人の世界から抜け出すのは僕だけではないと知って、安堵した。形は違うけれど、同じ道を行こうとする人が身近にいる。それはとても心強くて、僕は孤独ではないと知って。噛みしめるほどに嬉しかったのだ。

 冷え切って、生きている感覚を失いかけていた体に温かな熱が灯った。指先まで血が通う感覚がしたんだ。

 それを、否定しないでほしかった。

「水斗はここに残って、親父さんの後を継ぐ。失敗したって自分のせいだって、胸を張れるだろ」

 なのに、僕は。大好きなこの場所から、ただ強制的に引き剥がされる。島に残る選択肢も、自分で選ぶ権利すら、僕には与えられていなかった。

「高校なんて、どこを受けたって同じだ。どうせ僕の行く先なんて、僕の意志とは関係ないんだから」

 こんな調子じゃないと、本当に心が壊れてしまう気がした。

 二人の前でだけは、惨めに泣き叫びたくなんてなかった。大人の都合に振り回されるだけの、空っぽで無力な子どもでしかない自分を思い知る。

「二人とも、もうやめなよ」澪が、口を開いた。

「…ねえ、水斗。夏の進路のとき、言い合いになっちゃったけど。私ね、この島が嫌いで出ていくわけじゃないんだよ。むしろ好きだから、一度外に出ようと思ったんだよ」

 澪は、沈黙する水斗との距離をすこしでも縮めようと、ゆっくり言葉を探していた。

 水斗は下を向いたまま、「分かってるよ」と低く、押し殺したような声で応じる。水斗なりに、澪を応 援しなければいけないと、なんとか自分を納得させようとしているのが伝わってきた。

 お互いを思いやるがゆえの、その独りよがりにも見える配慮が、今の僕にはたまらなく息苦しかった。二人が優しいのは知っている。それでも、息苦しかった。

 構わず、澪は続ける。

「でも、航は違うんだよ。居たいのに、居られなくなるんだよ。私とは違うの。水斗、そこはちゃんと分かってあげないとダメだよ」

「…うん」

 偽善。本人の前で言うことではないだろう、と反吐が出る気持ちになるが、表には出さなかった。

 対話につまづいた、今。懇切丁寧に言わなければ、水斗の性格から、納得できなかったこととしてずっと感情を残してしまう。そして、この先ずっと、僕に不満を言い続けるだろう。

 澪はそのことをよく理解していて、この場でしこりを残さないように、余計なことを僕に言わないように、水斗を教育してくれているのだった。

「航は、大丈夫?」

「……なんとか」

 母から告げられて時間が経っていることもあって、ずいぶん落ち着きを取り戻していた。まだ時間があるせいで、何もできないというのもある。宙ぶらりんで、行動できない。

「航は頭が良いから、私たちなんかより考えてるだろうし、何も言えなかったの…。ごめん」

「…もういいよ」

 心配してくれて、惜しんでくれている。そう思うと、何でもないような気がした。

 兄妹みたいに気にかけてくれる二人が大好きだと、思った。じんわりと胸が熱くなる。

 親にも言えないことも、二人になら話せる。抱え込んでいたのが馬鹿らしくなってきた。

 いつか来る終わりの時が、少し早くなっただけ。関わり方が変わるだけで、僕らの今までの時間がなくなるわけじゃない。そんな簡単なことも、見えなくなっていた。

「僕こそ、黙っててごめん」

 くしゃり。とりあえず笑ったら安心してくれるかなと、笑顔を見せようとすると、歪な表情になってしまった。

 それを見て、二人ははっと息を呑んだ。澪はふるふると首を振りながら、目の端に涙を浮かべ始める。

「そんな…。無理に笑うのやめなよ、航」

 澪が悲しそうに、止めてくる。

 なんで、泣くのを我慢していることも、表情一つで分かられるんだろうか。

「……っありがとう」

 僕を知ってくれている人が居てくれる。それだけで、救われる心地がした。

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