03.
第一回進路希望調査票。夏休み前に配られたそれを、僕は期限を過ぎていることを知りながら、ずっと提出していなかった。
それで、当然の結果だが、ついに見かねた担任に呼び出された。
「……。もう十二月だぞ」
「はい」
放課後の指導室。学校では優等生で通っているので、初めて入る教室だった。指導室というより、相談室のようだった。大きな机の周りに、ちょっとだけ作りのいい一人掛けの椅子が四脚。あとは布で隠された備品類が置いてあった。半分物置なのかもしれない。開放してくれたら、放課後のんびりできるのになと思う落ち着いた空間だった。
「大西のことだから、ちゃんと考えてると思って待ってたんだが…」
「一応、考えてはいるんですけど…」
僕は四つ折りのまま色あせた調査票を机の上に置いていた。太田先生はそれを開いて一瞥し、唖然としていた。まさか白紙だと思わなかったのだろう。書いたものを消した痕跡もなく、ただただ真っ新な白紙だ。
「…進路、決まらないのか?」
「決まらないというより、分からないんです」
「何か悩んでることでもあるのか」
「いえ。ただ、僕の卒業といっしょに、両親が離婚するらしくて」
「え……」
予想していない答えだったらしい。先生が絶句した。黙りこんで、言葉を探すように百面相しだした。見ていて、純粋に面白いと感じる。大の大人でもこんなに素直に感情を表に出す人もいるのか、と新鮮だった。
「…そ、れは…。進路を考える気にも、ならないかもな…」
「まぁ…そうですね…。他にいろいろ考えちゃって、まとまらないと言うか」
「…島を出るのか?」
「その予定です。母が本土の人なので、母の実家についていくことになると思います」
淡々と説明できたことに、僕自身、少し驚いていた。ここ数か月、ずっと頭の中に居座っている事実だが、初めて口にしたようなものなのに。よどみなく言語化できてしまった。
言葉にしてしまうと、なんて呆気ないものなんだろう。白けるような心地だった。
「……ご実家から通える高校で…ってことになるのか」
「多分、そうでしょうね。まだ調べてもいませんけど」
会話を重ねるごとに、心が冷えていく。意識が遠くなるようだった。僕の体のなかに別の誰かがいて、僕が傷つかなくていいように代わりに喋ってくれているような、体の操縦を担ってくれているような。そんな感覚がした。
「…大西」先生の声音が真剣なものへと変わった。先ほどまでのこちらをうかがうような、気遣うようなものではなく、芯のあるものだった。
「……。はい」
「気休めとか、そういうのは多分大きなお世話だと思うから言うのはやめておく。先生も口がうまい方じゃないから。ただ、現実のことだけ話しておきたい」
「…はい」先生の意図を理解し、気が楽になった。
慰めとか、そんなものいらないのだ。求めていなかった。子どもだからとあやすようなその場しのぎの生ぬるい言葉より、ただ事実として、客観的な話が出来ればそれがいちばん良かった。他人にどこまで推し量れるというのか。分かったような言葉を、今は聞きたくなかった。
「大西の成績と内申について、このままキープしていけばたいていの学校には行けるから、あまり心配せずに維持していけばいい。勉強には集中できているか?」
「そこは問題ありません」
「ならよし。学科についてだが、特にやりたいことがないなら普通科にしておけば、大学でも専門でも方針転換が効くから先生的にはおすすめしとく」
「…そうですね。それについては僕も同じ考えでした。普通科、もしくは特進があるところに行こうかと思っています」
「そうだな、それが今のところベストな判断だと思う」
建設的な、まさに生徒指導だった。僕としては不安要素はなかったけれど、大人に太鼓判を押してもらえたので、ほっと肩の力が少し抜けた気がする。
「来週から三者面談が始まるが、親御さんには出さない方がいい話題とかはあるか?」
「あー…」さすがの気のまわりようだった。
教師間にはトラブル回避の指南本でもあるのだろうか。感動すら覚える配慮だった。
「それは、離婚についてだけ。母の口から出てくるまで、いったん知らないことにしておいてもらえますか。僕から先生に言ったって知られると、どこまでの人に喋ったのかとか気にしそうだし。あの人」
「なるほど。分かった、気を付けるよ」
生徒指導の報告書らしきものに、さらっとメモ書きする太田先生。会話の記録をつけているのだろうか。カルテのような用紙に、要注意事項なんて書かれていて、すこし可笑しかった。
「お気遣いありがとうございます」
嗚呼、なんてめんどくさいんだろうかと、重々しいため息が出てくる。
せめて義務教育の間は、親の都合に振り回されなくていい生活を送りたかった。僕が成人してから判断してもよさそうなものなのに、どうしてだろう。考えても無駄だとは思っているのに、思考は止まらなかった。
なにより、先生に気を遣われて、惨めな気分だった。自分が築いてきた、手のかからない生徒枠から、逸脱してしまっていた。




