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さよなら、オリーブビーチ  作者: 花守郁
第二章:凍れる空
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01.

 夏にはあんなに輝いていたオリーブの丘も、十二月を迎える頃には、すっかり生気を失った灰色の空の下で凍えついていた。

 観光客の姿が消えたオリーブビーチには、空を映した灰色の波が寒々しく打ち寄せ、潮の匂いもどこか冷たく、刺すように硬かった。


「もう、この島にはいられないわ」

 ある夜、母が僕の部屋に入ってきて、静かにそう言った。僕が中学を卒業すると同時に、離婚するらしい。

 両親はそれぞれ出身地が違う。父が島で、母が神戸。馴れ初めは本土にある会社だったらしい。

 僕が小さいうちはまだ本土にいたけれど、小学生に上がるころには島に引っ越してきていた。父の強い要望と、子どもに自然のなかでのびのびと育ってほしいという親心からだった。よく聞く田舎への移住なのだが。

 結論から言えば、母に島の暮らしは耐えられなかったらしい。


 異変が起き始めたのは、僕が小学校高学年になる頃だった。僕が塾に行き始めたり、水斗や澪と過ごす時間が増えたりして、家にいない時間が多くなった。すると、こちらに来てからは専業主婦だった母の一人の時間も多くなった。子ども中心だった母の生活が激変したのだ。親離れに一安心するかもしれないが、母は違った。

 慣れない土地での生活。そのほとんどの時間を僕に費やしていた母は、暇を持て余してしまった。家でぼうっとするようになった母を心配し、父が外に短時間でも働きに出てはどうかと提案した。それで母は近所でパートを始めた。オリーブ公園のお土産屋さんで接客の仕事だった。最初は、楽しそうだった。久しぶりに働くことが、とても新鮮でやりがいもあり、充実していたらしい。でも、いつしか塞ぎ込むようになった。

 客層は、ほとんどが観光客だった。その相手をしていると、本土にいたときのことを思い出して、激しい帰郷の念を抱くようになったらしい。

 母には、他人と壁を作るところがあった。それは都会の人の特徴でもあると思っている。お互いに深いところまでは入り込まず、程よい距離を保つ。必要最低限のコミュニケーションというのだろうか。都会の人は、他人との距離が遠いのだ。人口が多い分、密度を下げているような、そんな距離感。

 島の人は小さなことを気にしないおおらかな人が多い。人が少ない分、距離も近い。みんなが親戚のような距離感で接してくる環境だった。都会とは真逆で、密度が高いといえる。

 母は島で生活をするには、生真面目で繊細な人なのだ。以前から、距離の近さに居心地の悪さを感じていた。単純に文化が違うのだろう。ただそれが、島での生活では決定的に、悪かった。

 我慢もしていたし、なじむための努力は母なりにしていたと思う。周りも、本土出身の人だと気遣って方言を控えたり、地域のことを教えてくれたり、優しかったと思う。

ただ、それでも、どうしても合わなかったのだ。


 そんな中で、僕が中学校に上がった。成績は常に上位層に食い込んでいた。それが、かえって悪かった。母は島にそこまでレベルの高い学習環境がないことを懸念して、島を出れば本土で相応しい環境に身を置ける、と事あるごとに言うようになった。それを口実に、本土に戻りたいだけだろとこちらが辟易するくらい、しつこかった。

 大学に進学したいと漠然と考えてはいたが、高校卒業後でいいと思っていた。それまでは島に居続けたい僕は、母に言われるたび、まだ早いと断っていた。父は僕の味方というより、彼にはもう本土に戻る意思はまったくないらしかった。ただ僕が進学する分には自由にしていい、本人に任せるという放任主義の体だった。このままの膠着状態が続くのだろうとうんざりしていたのだが、ある日突然、離婚の報告をされた。この場合、予告だろうか。

 僕は唖然とした。母は子どもの未来のためや子どもの都合ではなく、自分の心との折り合いを優先したのだと思った。

 どちらについていくかは好きにしていいと言われた。しかし、母からは近所に住む父方の祖母の体調の不安や、父との二人暮らしで背負うことになる負荷なんてことを、つらつらと述べてきた。

 つまりは、母を選んでいっしょに行くのが最適解と、暗に言われた。

 ただ、卑怯だと思った。

 子どもによりよい環境を与えてあげたいという親心なのだろうか、それとも子どもに捨てられたというレッテルを貼られたくない、危惧からなのか。どちらでも、自分を選ばせる口実じゃないか。

 条件で言えば、母を選んだ方が良いと思った。

 祖母はもう高齢だ。介護が必要になるだろう数年後には、僕は大学進学を考える歳で。島の医療や支援の環境では、その未来は頓挫してしまうかもしれない。

 父との二人暮らし。仕事一筋の父に生活能力を期待できるはずもなく、僕に負担がかかるのは明白だった。

 この条件だけ見ても、不安要素だらけで嫌になる。母の支えなく、受験期を乗り越えられる気がしない。

 母を選べば、ここよりは恵まれた環境を得られる。母の実家からなら高校も大学も、選択肢は多い。将来のことを考えたら、それがいいのは分かった。

 ただ、理解できることと、納得できるかは別の問題だった。

 腹の奥に、黒々としたものが生まれてきて、とぐろを巻くような気持ち悪さがあった。

 親付きで島を出るなら贅沢に見えるかもしれないが、家庭崩壊だ。なんて馬鹿らしい。

 心が乾いていくのが分かる。何かに没頭しようとして、勉強にのめり込んだ。今僕に出来るプラスの行動なんてこれだけだった。両親の関係はもう、終わっている。淡々と定めた期限まで、家族という形骸化した共同生活を送るだけ。

 苗字が変わる、どんな気分なのだろう。新しい生活、新しい苗字。馬鹿らしい。

 僕の中学卒業という節目は、家族の終わりという節目でもあった。

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