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さよなら、オリーブビーチ  作者: 花守郁
第一章:夏の色彩
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03.

 番屋を出て、西村の海岸の端にある岩場に移動した。夏はこの時間帯になると満ち潮で小魚が釣れるようになる。手土産に持って帰り、天ぷらにしてもらうと最高なのだった。

「あ、最悪。引っかかった」

 それぞれの場所で餌を垂らしていたが、すぐ後ろにいた澪が声を上げた。

 見ると、彼女が投げていた仕掛けが、数メートル先の浅瀬にある大きめの岩の根にがっちりと根掛かりしてしまっている。

 澪がふんふんと上下左右に振ってみるが、一向に外れる気配がない。むしろさらに食い込んでしまったように見えた。

「引っ張りすぎたら糸が切れるよ」

 荒ぶる澪の横からすっと竿を押さえた。彼女は口を尖らせ、恨めしそうに海面を覗き込む。

「これ、お気に入りのお魚型ルアーなのに…」

「待ってろ、俺が取ってきてやるよ」

 制服のハーフパンツを限界までまくり上げ、靴下とローファーを脱ぎ捨てた。そのままザブザブと海へ入っていく。夏の日差しで温まった海水が、太ももを心地よく包む。足の裏には硬い石の感触が沈み込んでくる。

「あ、ずるい! 私も行く!」

 澪も躊躇なく靴下を脱ぎ捨てて、白い足を水に浸しながら俺を追いかけてくる。スカートをたくし上げる素振りはなく、ぎょっと目を見張る。別に濡れてもお構いなし、といった様子だった。

「水斗! そっちじゃない、もっと右の石の隙間!」

 海面に顔を近づけた澪が、俺の肩を掴んで指をさす。少しだけ海水に濡れた澪の髪から、さっきのオリーブグミと潮風が混ざったような香りがして、ドギマギした。気にするような中ではないけれど、距離が近すぎた。

「…ここか?」

「そう、そこ! …あ、冷たっ!」

 俺が手を伸ばした拍子に大きな水飛沫が上がり、澪の顔にばしゃんと豪快にかかってしまった。

 澪はやり返してやるとばかりに、俺の背中にバシャバシャと水をかけてくる。

「おい、やめろって! 今取ってやるから!」

 きらきらと光る水面の中で、俺と澪は子供みたいに声を上げて笑い合いながら、必死に岩の隙間の針を外そうとしていた。

 しかし、なかなか深いところで引っかかったらしい。手では届かず、どうしようか思考していると澪が痺れを切らせた。

「もういい、見てくる!」

 ざぶん。制服のまま、澪が海の中にもぐりこんだ。俺の口から、バカと小さな声が出た。

「ぷはっ!」

 しばらくして、澪が浮かんできた。手にはルアーが握られていて、ほっとする。

「いきなり潜るなよ!」

「だって直接取りに行ったほうが早そうだったから」

 前髪をかき上げ、顔についた水滴を払う澪。大胆というか、無鉄砲というか。服が透けても気にしない。確かにそんなにきわどい感じの透け方にはなっていないし、体操服もあるからどうにでもなるのだが。慎みがなさすぎて本当に年頃の女の子なのだろうかと思ってしまう。見ているこちらがハラハラする無頓着ぶりだった。

 深い意味はないことは分かっているつもりだが、ここまで異性として意識されていないのは、それはそれで複雑だった。信頼されているだけかもしれないし、家族の延長で別に見られても困らないのかもしれない。

 一人悶々、もだもだしてしまう。

「無事取れたし、解決!」

「それはまぁ…。よかったけどさぁ…」

 疲れた。お気に入りのルアーを回収出来て安堵した澪は、輝かんばかりの笑顔だった。まあいいや、と息をつく。

 水を滴らせながら俺と澪が、竿を置いた方へ振り返る。すると防波堤の上に腰掛けたままの航と、まっすぐに目が合った。

 彼は釣竿を持ったまま、ピクリとも動かずに、ただ俺たちの様子を見ていた。

 日暮れとはいえ、まだきつい逆光のせいで、その表情の細かいところまではよく見えなかった。

 だけど、夏の日差しを全身に浴びて笑い合う俺と澪を、ただじっと、眩しそうに見つめているのは分かった。航はまるで、決して手の届かない遠くの街の景色でも眺めているようだった。

「航、何してるの? こっち来なよ!」

 澪が大きく手を振る。航はいつもの少し冷めたような、でも優しい笑みを浮かべていた。

「僕は足が濡れるの、嫌だから遠慮しておくよ」と、手を振り返してくる。

 ノリが悪いなと思いつつ、俺たちが馬鹿なことをしているだけだと合点も行く。綺麗好きの航が制服のまま海に飛び込むなんてしたがらないのは、当然のことだった。後片付けが大変なことはしたがらないのだ。

「澪。とりあえずお前は体操服に着替えてこい」

「了解でーす!」

 澪は軽く敬礼をしてから、服の水を出来るだけ絞り、竿を片手に番屋へと歩いて行った。

 その背中を、はぁとため息をついて見送る。

「澪はああいうところ、変わらないね」

「そうだな。姉ちゃんは普通なのにどうしてああなったんだろう」

 無頓着。その一言に尽きると、共通の意見だった。澪の警戒心のなさについては、心配になる。

 どうしてそう育ったのだろうかと考える、と。

「…僕らのせいかもね」

「…それはあるかも」

 本当に小さいころから一緒なのだ。俺たちに挟まれて、男所帯で育っているようなものなのかもしれない。

「俺たちが恥じらいを持つべきだったか」

「僕らが恥ずかしがってどうするの…」

 澪に見られてきゃあと叫べばよかっただろうか。分別が付く前から一緒にいるのも困りものかもしれない。今更、直せとも言いづらい。こんなことを思い悩むことになるとは。

「…思春期って感じだね」

「なにおう~」

 うんうん唸っていると、航が白けたような声音を漏らした。割と真面目に悩んでいるのに、と唯一の理解者からの突き放しにカチンときた。

 顔を上げると、航と目が合った。寂しそうな、羨ましそうな、読み取れないあいまいな表情を浮かべていた。

「航…?」

「釣れないし、今日はもうおしまいかな」

 手早く竿を片付けに入る航。はぐらかされた気がしたが、時間もちょうど帰るころ合いだった。

「またゆっくり、釣りだけしに来ようか」

「……そうだな」

その時の航の瞳に、どんな感情が映っていたのかを。どれほど、俺たちとのこうした日常が航を傷つけていたのかを、少しも知らなかった。


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