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さよなら、オリーブビーチ  作者: 花守郁
第四章:旅立ちの汽笛
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06.

 澪を見送った、次の日。今度は航を見送る日になった。

 澪はこの後、航をすれ違う形で帰ってくるけれど。航はもう、いつ帰ってくるのか分からない。長い休みの時に帰ってきてくれるとは思うけれど、かなり先のことになる。そんなに離れていた覚えがなくて、もう帰ってこないんじゃないかという怖さがあった。

「…水斗、今自分がどんな顔してるか分かってる?」

「わかんない…。げっそりしてる?」

「死にそうに青い顔してる。バス酔い?」

 にまにまとした含み笑いを浮かべつつ、航は余裕しゃくしゃくな様子だった。

 航は航のお母さんと、二人で本土へ向かう。今回は車で送迎してくれる人がいないので、池田港への移動はバスだった。

今日になって、なぜか食欲がわかず、ジュースで菓子パンを流し込むかたちで食事を済ませてていた。だって、寂しいもんと心の中でつぶやく。精神的に沈んでいる自覚はあったが、体にこんな影響するなんて思わなかった。お腹が空の状態でバスに乗ったこともほぼなく、この気持ち悪さはなんだと考えていたところだった。

「これが…バス酔い…」

「初めての経験おめでとう。苦しみを知ったから、今度から乗り物酔いした人にやさしくできるね」

「うぅぅ…」

 自他ともに認める健康優良児の俺。具合が悪そうな人をないがしろにしたことはあまりないつもりだが、航に関しては前科があった。

 航は今でこそ健康だが、小さいころは喘息を持っていて、季節の変わり目に寝込んだりしていた。俺が連れまわしてしまった後に寝込んだこともあって、親と一緒に野菜や果物を大量に差し入れしたこともあった。

 そのとき、あれぐらいで寝込んで…みたいな余計な一言を言ってしまったのだ。それが航の逆鱗に触れてしまい、かなり怒らせた。僕だって好きで体が弱いわけじゃないよ!と叫ばれ、泣かれ。回復したあとも、一週間は無視された。航は優しいから謝っていればそのうち許してくれると期待していた俺は、予想以上に長引く彼の怒りに、焦り絶望し号泣して人生で初めての土下座をした。つらい思い出だった。

「その節は一生、申し訳ございませんと謝らせていただきます」

「まぁさすがにもういいんだけどね。航は体が丈夫な分、他人のつらさとかに共感できなくて鈍感なところあるのを自覚しておいた方がいいよ」

「うん。俺が特別頑丈なだけなんだよな」

「中学生になっても冬で半袖半ズボンみたいな小学生スタイルだもんね」

「さすがに高校生になるし、やめるよ?」

「その方向も気を付けた方がいいと思う。女の子からは避けられると思うし」

「えっ」

 とりとめもないことをだらだら思い出を交えつつ喋っていると、あっという間に池田港に着いていた。


 慣れ、というわけではないけれど。見送る人が乗る予定のフェリーが見えてくると、なにを言っておきたいかとか、あと何分でお別れかとか。搭乗時刻から逆算して、思い残しがないように会話しようとしてしまう。

 預かっていた荷物が詰められたカバンを航に渡す。カバンはずっしりと重くて。彼の生活の拠点が変わってしまうのだなと、その重みがより現実感を引き立てていた。

「航、これ。船の中で食べなよ」

差し出したものは、澪が用意したお菓子だ。すれ違いで会えないから代わりに渡しておいてと預かっていたものだった。

俺たちが試食して、アドバイスして、一緒に改良を重ねた、あのオリーブのパウンドケーキだ。

「ありがとう。大切に食べるよ」

 お互い、毎週のように食べていた澪の手作りお菓子を、この春からは食べられなくなる。クリスマスケーキと同じくらいの頻度になってしまうのかなと思うと、かなり寂しくなりそうだった。澪のお菓子ばかり食べていたから、今流行っているお菓子の知識なんてない。何を食べればいいんだろう。不安になる。

「航」

「うん」

「卒業式には帰ってくるんだよな?」

「もちろん」

 二月に入ってから、登校はほとんどしなくて良くなっていた。受験を控えている人は特別授業に毎日登校していたが、希望者のみの自由参加。すでに合格して進路が決まっている人は、航のように引っ越しで忙しいだろうと、卒業式まで登校しなくていい人もいるような、個別の対応になっている状態だった。

「またすぐに会えるよ。たった一か月だ」

「…そうだけど」

一か月。それは、とても長いように感じられた。朝から夜まで毎日一緒だったのに。

「澪はまだ居てくれるだろ」

「…そうだけど」

でも卒業式の後は、もう、澪も、傍からいなくなる。俯いて、ぎゅっと手を握りしめた。覚悟していたはずなのに、その瞬間が迫ってくると、どうしようもなくつらかった。寂しかった。鼻の奥がつんとした。

「…みーなと」その声は、仕方ないなという響きを持っていた。

 ぐいっと引き寄せられる。航が、抱きしめてくれていた。

「僕だって寂しいよ。でも、三人でよくよく話しただろ?」

「…だってぇ…」ぽろ、と涙がこぼれた。

 寂しい。猛烈に寂しい。

「なにも二人いっぺんに行くことないじゃんかぁ」

「それはそれでごめん」航はぽんぽんとあやすように背中をたたく。

「ふ、二人がいないと宿題できないよ~」わーと悲痛な声が出た。実際のところ、いちばん不安なのはそこだった。

「そこはいい加減、自立しろ」

 ぴしゃりと怒られて、素直に謝った。航はくすりと笑い、離れていく。

「…じゃ、行ってくるよ」

 そう決意を込めたように言ってくる航は、眉間にしわを寄せて、目の端に涙を浮かべていた。

 彼のその表情に俺は涙をぬぐい、大きく手を振ってみせた。そして、努めていつものように、精いっぱいの笑顔を作った。

「いってらっしゃい!」

「いってきます」


 俺は、出港の汽笛を聞き届けて、帰りのバスに乗り込んだ。

 なんだかとても疲れてしまった。自分の入試は来週だからと余裕があるとみていたが、精神的な疲れがこんあに重いものだとは思わなかった。大打撃、というか。ヒットポイントがゼロというより、マイナス値。

「…さみし」

行きのバスの中では、航と話していてあんなに楽しかったのに。帰りはこんなにも静かで、退屈が胸を刺してくる。

しかし、二人が島を出るとこれが日常になるのだから、早く慣れないとつらいばかりだなと、ぼんやり思った。

 二人の見送りが、一緒にならなくてよかった。分散されたことで、段階を踏めた気がする。

 俺は窓の外の、日が落ちて薄暗くなった海を眺めながら、ゆっくり家に帰っていった。

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