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さよなら、オリーブビーチ  作者: 花守郁
第三章:内海の残響
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04.

 十月も中旬に差しかかった頃、雲ひとつない見事な秋晴れの空が広がっていた。

 その日、西村地区の神社の一帯は、まるで真夏かと錯覚するほどの熱気に包まれていた。

 小豆島の秋祭りは、一風変わった祭りだと聞く。

 太鼓台と呼ばれる、巨大な赤い屋根がついた神輿を、地域の男たちが人力で担ぎ上げる。ドン、ドドンと腹の底に響く太鼓の音と、地を震わせる男たちの雄叫びが響き渡るのだ。


 中学生になった水斗と航は、今年から正式に担ぎ手の端列に加わることを許されていた。

 お揃いの白い法被をまとい、頭には赤いねじりはち巻きを締めた二人の姿を、私は境内の特等席からじっと見つめていた。重さが二トンを超えるとされる太鼓台が、彼らの足元に鎮座していた。

「上げるぞ! せーのっ!」

 合図の笛が鳴り響き、男衆が一斉にしゃがみ込む。親棒に手をかけ、笛の音に合わせて持ち上げた。左右にバランスを取りながら、神輿の高さを少しずつ上げていく。ついに肩に乗せると、勇ましい掛け声とともに西村の太鼓台が動きはじめた。

 男衆の筋肉が悲鳴を上げ、顔が真っ赤に変色している人もいた。特に、花形といわれる先棒の場所を任された青年たちが、きつそうな顔で微笑みを浮かべていた。そのすこし後ろに、水斗と航は立っていた。

「わーっしょい! わーっしょい!」

 大きな掛け声とともに、左右に大きく動かされる。水斗と航は並んで、親棒を肩に乗せて、懸命に歯を食いしばっていた。

 その瞬間、私は息を呑んだ。二人の顔が、信じられないほど真っ赤で、雨に打たれたかのように濡れていたからだった。それは、滝のように流れ落ちる汗だけではなかった。二人は、涙を流しながら、声を枯らすように叫んでいた。

 水斗は押し潰されそうな重さに耐えながら、これから自分が紡いでいく伝統の重みをその肩で受け止めていた。

 そして航は、人々の勢いと熱量に押されていたが、それでも最初で最後の参列で悔いを残さないために、懸命に地面を踏みしめていた。

 二人の涙は、決して悲しいものではなかった。祭りという非日常の中で生まれる、感情の高ぶりそのものだった。

 今、この瞬間。私たちはここで生きているという、圧倒的な実感。

 そして、この瞬間はすぐに終わってしまうのだという、刹那への喪失感があった。

「眩しいなぁ」

 すこし、悔しかった。私だけ、なぜ女の子なのだろうか。男の子だったら、あそこに混ざって、一緒に笑いあえたのだろうに。あそこまで重いものを持ち上げられる気はしないけれど。ただ、楽しそうでいいなぁ、と羨ましかった。


 力強く、雄々しく舞うように揺れる赤い太鼓台。沸き立つ歓声。地元の人も、観光客も関係ない。迫力に感動して、みんなが一体となって祭りを盛り上げていた。その光景に私は、胸が震えて涙が溢れてきていた。

 ここが。私が生まれて、十五年生きてきた場所だった。

 なんて素敵な場所なんだろう、と。別れを思うと、急に切なくなった。この場所が大好きだった。退屈に感じるくらい当たり前に在ったせいで、見えなくなっていたことも多かったのだろう。

 新しい場所へ行く決断をしたことに後悔はない。ただ、ただ。この瞬間が終わることが切なかった。

 同じ島で生きて、同じ海を見て育った。なのに私たちは、春にはまったく違う場所へ行き、歩みはじめる。手渡された未来の切符は、それぞれ違う色をしているのだ。

 今、この瞬間に響き渡る太鼓の音は、私たちの心臓の音と重なっていた。ドン、ドン。激しく脈打つ音。この音と、この光景を。私は一生忘れないだろう。

 高松へ行っても、どんなに遠くの場所へ行こうとも、この記憶が私の礎になる。

 私は胸を張って、海の向こうの試験へ挑む覚悟を、その時新たにした。


 祭りが終わった、静寂の残る夜のオリーブビーチ。その片隅にある自動販売機の前に、私たちはたむろしていた。

 汗と砂にまみれた水斗と航が、冷たいスポーツドリンクを手に、私に向かって最高の笑顔を見せる。

「澪、見てたかよ。俺たち、ちゃんと最後まで担ぎ切ったぞ」

「うん、かっこよかった」

「え」なぜか固まった水斗。

「…今日だけは世界で一番、かっこよかったよ」心からの言葉だった。

 航が照れくさそうに微笑んで、私の頭を乱暴に撫でる。腕の感覚が麻痺していて、うまく力加減が出来ていないようだった。

 水斗がそれを見て、ずるいと笑った。

 夜空には、昼間の狂騒が嘘のような、静かな星空が広がっていた。もう少しで、見える星座がうつろうような空だった。

(第三章・了)


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