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さよなら、オリーブビーチ  作者: 花守郁
第三章:内海の残響
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02.

 十月。西村の空気は、一変する。朝と夕の冷え込みとともに、ゆるやかに張り詰めたものへと変わっていくのだ。

 ドン、ドドン。どこにいても、太鼓の地鳴りのような音がかすかに鼓膜を揺らしてくる。島の人々が太鼓の足音と呼ぶそれが響くたび、私の胸の奥は、締めつけられるような想いで静かに震えていた。

中学三年の秋。私たちは相変わらず、古い番屋に集まっていたが、少し様子は変わっていた。

 ただ駄弁るだけではなく、それぞれの進路に向けて持参した参考書が机に並んでいること。そして、お互いの未来について、腫れ物に触るような気遣いがすっぱりと消え去ったことだった。

「澪、ここ。公式の使い方、教えて。ほんとに分からん」

「え? …あ、そこは私も航に訊いたところだ。航、お願い」

「どれ? ああ、水斗これはね。お前にもう何回か説明してるんだけどね、毎回、忘れるやつ」

 航はいつもの涼しい顔で、少しイラついたように水斗のノートをペン先でトントンと叩いた。

 水斗はウッと喉を詰まらせて、消え入る声で謝罪をつぶやいていた。

 見ていてハラハラする、そのうち私もやりそうで怖い。航にイラつかれたらしばらくへこむかもしれない。


 航の家の事情を知ったあの日から、一年近くが経過していた。

 あのあと、すっきりした顔の航から、もう大丈夫と報告があった。離婚については当人たちの問題だからどうなるかは分からないけど、どんな結果であるにしろ進学のために神戸の祖父母宅へ行くつもりだと言われた。

 正直、そうなるだろうなと予想していたので驚きはしなかった。もともと向こう育ちで、こちらで暮らしてはいるけれど染まり切っていない航は、いつか本土に戻ると思っていた。それが、高校進学の今だった。それだけだ。航自身が納得できる形に落ち着いたのなら、それでよかったとほっとした。

 私たちは以前よりもお互いをずっと深く、真っ直ぐに、正しく見つめ合えるようになっていた。隠し事も壁もなく、黙っていても一緒にいるとなんとなくお互いが考えていることが予想できるような、そんな空気感があった。家にいるよりも、自然体で過ごしているのは私だけではないと思う。

 とても、居心地がよかった。番屋でもオリーブビーチでも、どこでも三人でのんびりしているだけで、心が穏やかで、たまになんとなくむずがゆくなる温かさがあった。楽しいなと過ごしていると、あっという間に時間が経っていた。春が散り、夏が暮れ、秋になっていた。

 秋になると、島は秋祭りでにぎやかになる。そして、島を出る予定の私と航は、これが終わると新生活の準備が本格化する。

 この秋祭りは、男性が中心となるものだった。腹掛けや股引きを身に着け、足袋を履いて、上半身は裸。法被を羽織る人もいるけど、暑くなるのか脱いでいる人がほとんどだった。目のやり場に困る格好をする男の人たちが、太鼓の音とともに神輿を担ぎ、地域を練り歩く。簡単に言えば豊穣感謝祭である。航にとって島での最後の行事であり、私と水斗にとってはこの島で航と過ごす最後の祭りだった。

 中学で部活に入らなかった私たちには、特別な意味のある祭りになりそうだなと、寂しくなってきた。

 ぼうっとしていると、横で水斗が背伸びをし始めた。んーと疲れを見せている。同じ姿勢で勉強していること自体、水斗にしては頑張っているなと思う。

 このタイミングかなとカバンを漁って、持ってきていたお菓子を取り出す。

「二人とも、休憩にしましょうか。こちら本日の新作です」

 私は紙袋から、新しく作ったオリーブの葉を使ったパウンドケーキを差し出す。ほんの少し醤油をカラメルソースに混ぜて隠し味としている自信作だった。

「…うまっ。 澪、これならそのまま売れるんじゃないか」

 水斗が、口の端に食べかすをつけながら感想を告げてくる。

 きっと好みの味だと思っていた。予想通りの反応に、そうだろうそうだろうと満足する。

「…うん、ふわふわしてて舌触りもいい。おいしいよ」

 航が小さく笑って、私のパウンドケーキに合格点をくれる。

 航の祖父母がいる神戸は洋菓子の街だと聞く。昔から洋菓子を食べ慣れているだろう航に褒められると自信になるし、純粋にうれしかった。

 二人の笑顔を見るたびに、私の食品開発の道へ進むという決意は、より強く、確かなものに変わっていっていた。

 この島にあるたくさんの良いものを、私は誰にでも喜んでもらえるお菓子にして、届けたい。


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