そこにあるはずのないもの
スマホのアラームがうるさく鳴り響いている。
「うっ……」
睡眠不足のせいなのか、それとも能力の代償なのか、身体がものすごく気だるい。
布団からモゾモゾと手を伸ばし、アラームを手探りで止める。
時刻は六時五十五分。
「ふわぁ……ねっむ!」
ベッドでそのまま横になりながら、天井を見つめる。昨夜のことがまだ鮮明に頭の中に残っている。
黒いカード、触れたときの熱、そして鼓動のような感触。
「さすがに夢じゃないよな?」
小さく呟く。
上体を起こした時、ベッドの下を見ると黒いカードがそこに落ちていた。
ゾワッ。
急に背筋が凍りつくような感覚。そっと手を伸ばし、カードを手に取ってみる。
何の変哲もない、ただのカード。
昨日のような熱はない。
「……だよな」
軽く息を吐き、カードを机の上に置いた。
――本当に、ただのカードなんだろうか。
考えを振り払うように立ち上がり、制服に着替えて部屋を出た。
◇◇◇
「おはよう」
キッチンから母さんの声。
「……はよ」
席に座りながら、ふと違和感に気づく。いつも聞こえるはずの湯飲みの音がしない。
「あれ? ……じいちゃんは?」
母さんが振り返る。
「珍しく寝てるのよ。いつも早いのにねー」
軽い調子で母さんは答えた。
「……まだ寝てるのか、めずらし……」
少し考えてから、立ち上がる。
廊下に出て、じいちゃんの部屋の前で足を止めた。
「……じいちゃん?」
返事はない。
ドアを少しだけ開ける。布団の中で、じいちゃんは静かに寝息をたてている。
「……寝てるだけだよな」
一瞬、声をかけて起こそうかと思ったけどやっぱりやめた。静かにドアを閉め、そのまま家を出た。
◇◇◇
通学路——
朝の空気が冷たい。歩きながら何げなくポケットに手を入れる。何も入っていないポケット。
そう思っていたら、指先に何かが触れた。
「ん?」
取り出すとそこにはさっきの黒いカード。一瞬思考が止まる。
「は? なんでここに?」
机に置いたはずだ。確かに置いた。
カードをじっと見つめる。
何の変哲もないただのカード。
次の瞬間、苛立ちが込み上げてくる。
「クソッ、わけわかんねー!」
思わず吐き捨てるように呟く。
「ログチー、説明しろよ」
腕時計に向けて話しかけたが返事はない。
「……おい」
沈黙。
「……寝てんのかよ」
小さくため息をつく。仕方なくカードをポケットに押し込んだ。
◇◇◇
教室——
「よ、紫音」
大地が手を上げる。
「……おう」
席に座る。
「紫音、お前大丈夫か?」
少し間を置いて、大地が言う。
「なにが?」
「いや……昨日なんか暗かったし?」
「あ、はは、昨日はわりぃ! なんかちょっと調子悪かっただけだ」
「……そっか。無理すんなよ?」
「ああ、サンキュ」
◇◇◇
授業中。黒板にチョークの音が響く。教師の声が、一定のリズムで流れている。
ノートにペンを走らせる。カリカリと、紙を擦る音。手は動いているけど、頭には全く内容が入ってきていない。
意識がポケットにいってしまう。
触れていないのにそこに『ある』とわかる。正直不気味で仕方ない。
ふぅ……と息を吐き、ペンを止める。ポケットからそっとカードを取り出そうとした瞬間、腕時計から眠そうな声が聞こえてきた。
「おはよぉ……シルバー」
「わっ!」
思わず立ち上がる。
先生がこちらを見て尋ねてくる。
「黒川、なんだ? 質問か?」
クラスの視線が一斉に集まる。
「な、何もないっす……」
席につき、小声でログチーに話しかける。
「お前いきなり喋んなよっ! びっくりするだろ!」
「大丈夫だよ。多分シルバーにしか聞こえないし」
「多分ってなんだよ! 曖昧すぎんだろ!」
つい声がデカくなる。
「黒川! さっきからなんだ?」
先生が少し苛立ちじみた声を出す。
「あ、えーっと……なんか虫がいたみたいで……」
「虫? こんな季節にか?」
「いやぁ? 勘違いっすかね? は、はは……」
頭を掻きながら、ぼそっと呟く。
「頼むから授業中はやめてくれ……」
◇◇◇
昼休み——
教室のざわめきの中、ポケットに手を入れる。カードはまだそこにあった。熱さはなく、むしろ冷たい。
けれど——
ほんのわずかに、違和感がある。
昨日の感覚がよみがえる。
熱、鼓動。
首をブンブンと振る。
「……クソッ」
指先に、力が入る。
「おいっ!」
声に反応して、我に返る。
視線を上げると大地が心配そうに顔を覗き込んでいる。
「紫音、どうした? また弁当忘れたのか?」
「ったく、そんな毎日忘れねぇって! それに金もねぇし、忘れたら水をカブ飲みするしかねぇよ」
大地が、思わず吹き出す。
「そん時は俺らがおかずぐらいは分けてやるって!」
ノブとナオ、いつものメンバーで昼飯を食べる。みんなと話しながらも無意識に俺はポケットばかり気にしていた。
「わりぃ、俺ちょっと今からサボる」
「昼からの日本史の小テストは?」
ナオが尋ねてくる。
「……まあ、どうせ補習受ける」
「補習前提にすんな!」
俺は席を立ち、三人に背中を向け、手を振った。
教室を出る瞬間、人のざわめきが一瞬遠くなった気がした。
「……?」
気のせいだと自分に言い聞かせながら、俺はそのまま教室を出た。
背後で閉まったドアの音。
その時、ポケットの中のカードがわずかに熱を帯び始めていた。
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