溢れた想い
バッティングセンターを出ても、左手にはまだじんとした痺れが残っていた。
「いやー、それにしてもすごかったな!」
ノブが興奮した様子で言う。
「何が?」
「何がって、120キロの球を素手で取ったやつに決まってんじゃん!」
少しため息をつきながら応える。
「もういいって……」
「普通できねぇって!」
ナオも呆れたように俺を見る。
「俺だって、できるなんて思ってなかったんだよ」
左手を開いて見る。
ボールを受け止めた掌は、まだ少し赤い。
100キロの球が遅く見えた。
120キロの球も、はっきり軌道が見えた。
そして何より――
考えるより先に身体が動いた。
あの時、アルジェントの言葉が頭をよぎった。
だからって、別にバットで打てばいいのに、何で俺は前に出たんだ?
「紫音、マジで大丈夫なのかよ?利き手だろ?」
大地が心配そうに俺の左手を見る。
「大丈夫だって、ちょっと痺れてるだけだし」
「それ大丈夫って言わねぇだろ!」
「うるせぇな」
そんな話をしながら歩いていると、分かれ道に差しかかる。
「じゃ、俺こっち」
ノブが手を上げる。
「おう、また明日」
「紫音、明日手ぇ腫れてても知らねぇぞー」
「縁起でもねぇこと言うな!」
「ははっ、じゃーな!」
ノブが去り、その少し先でナオとも別れる。
最後に大地が立ち止まった。
「じゃあ俺もこっちだから」
「おう」
「ちゃんと手ぇ冷やせよ?痛みが続いたら病院行けよ?無理はすんなよ?」
「お前は俺の母さんかよ!」
「心配してんだろがっ!」
「へいへい、わかってるっつーの!」
「ったく……じゃあな!」
大地が走っていく。
「おう、また明日」
さっきまで三人が騒いでいたせいか、急に静かになった気がする。
俺はもう一度、左手を見た。
昨日の修行。
ナイフの軌道、アルジェントの言葉、そして、さっきのボール。
(やっぱり、修行の成果……なのか?)
たった一日で?そんな変わるのか?
「……んなわけねぇよな」
呟きながら歩き出す。
その時だった。
「……?」
なんとなく、後ろに視線を感じる。
振り返ったけど、学生が数人歩いているだけで気になるものはない。
(気のせいか?)
そのまま歩き出したけど
「……っ!?」
(気のせいじゃ……ない?明らかに誰かに見られているような感覚。まさか——久我?正体はバレてないハズだ。そんなことあるわけがない。けどこの気配は確かに俺を見ている)
足を止め、今度は振り返らず、そのまま神経を集中させた。
——いる!!
後ろから小さな足音の気配。
「…………」
俺が歩くと、足音が近づく。止まると息を潜めるかのようにピタっと止まる。
タイミングを見計らい、勢いよく振り返った。
「ひゃっ!?」
電柱の陰から、誰かの肩がビクッと跳ねた。
「……」
見覚えのある制服。
見覚えのある黒髪。
「おいっ!」
「……っ!?」
「何してんだ、蒼乃」
ゆっくりと電柱の陰から顔が出てくる。
「……あれ?」
「何が『あれ?』だよ」
蒼乃は目を丸くして、俺を見る。
「紫音くん?」
「今気づいたみたいに言うな!」
「ぐ、偶然だね!」
「どこがだよ!」
思わずツッコむ。
蒼乃は何事もなかったかのように電柱の陰から出てきた。
「私も今、帰りなの」
「へぇー」
「うん」
「じゃあ、なんで俺が止まったらお前も止まるんだよ」
「てか、いつからつけてたんだよ!」
蒼乃がスッと目を逸らす。
「おい」
「……ちょっと前?」
「ちょっと前っていつだよ」
「……バッティングセンター?」
「最初からじゃねぇか!」
思わず頭を抱える。
「お前、何やってんの……?」
「ち、違うの!」
「何が?」
「ストーカーじゃないよ!」
「俺、一言もストーカーって言ってねぇけど」
「……あっ」
気まずい沈黙。
蒼乃の顔がみるみる赤くなっていく。
「ち、違うからね!?」
「何が違うんだよ……」
「たまたま紫音達を見つけて……」
「うん」
「声かけようかなって思ったんだけど……」
「うん」
「大地くんたちと楽しそうだったから……」
「それで?」
「……タイミングを見てた」
「バッティングセンターからずっと?」
「……うん」
「長ぇよ!」
俺の声が夕方の住宅街に響いた。
「だ、だって!」
「だって何だよ」
「邪魔したら悪いかなって思ったんだもん!」
「だったら帰れよ!」
「それは嫌!」
「なんでだよ!」
即答する蒼乃に、思わず言葉を失う。
「てかさ……アイツら(大地)とは別れたとこだしもう用はないだろ?」
「あ、あるもん!」
「何だよ」
「せっかく会ったんだから、一緒に帰ろ?」
「せっかくって……ずっとついてきてただろ」
「細かいことは気にしない!」
「細かくねぇし!てか、もうついてくんな!」
「……同じ方向だもん!」
「……勝手にしろ!」
蒼乃は俺の後ろから、何事もなかったようについてくる。
「たくっ!なんなんだよ」
「♪〜」
「鼻歌なんか歌いやがって、何か腹立つ」
俺はため息をつく。
そのまま少し歩いたところで、
「きゃっ!」
後ろから蒼乃の声がした。
「っ!?」
振り返ると、蒼乃が足をもつれさせて前のめりになっている。
危ない――!
そう思った瞬間、身体が動いていた。
「わっ……!」
倒れる寸前の蒼乃を抱き止める。
「……」
近いっ!
というか――
(ち、近すぎる!!)
気づくと、蒼乃を抱きしめるような格好になっていた。
「……こ、これは不可抗力だからな!」
慌てて言い訳する。
ふわっと石鹸の匂いがした。
腕の中から伝わってくる柔らかな感触に、顔が一気に熱くなる。
(は、早く離れろ俺)
蒼乃は一瞬きょとんとしていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。
「紫音くん、ありがと」
「……あ、ああ」
身体を離そうと左手に力を入れた瞬間――
「……いてっ」
「紫音くん?」
さっきボールを受け止めた左手に痛みが走る。
「手、大丈夫?」
「……こんくらい平気だし」
心配そうに俺を覗き込む蒼乃に、痛みを誤魔化すように少しだけ笑った。
◻︎◻︎◻︎
結局、並んで一緒に帰る。
「なあ、蒼乃」
「ん?」
「次から普通に声かけろよ」
「……いいの?」
「別に。つけ回されるよりマシだろ」
「そっか」
蒼乃が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、次からそうするね」
「ああ」
「見つけたらすぐ声かける」
「あ、ああ」
「絶対に声かける!」
「……あ?」
「毎日でも」
「待て」
「え?」
「お前、俺を探すところから始める気じゃねぇだろうな?」
「……」
「なんで黙るんだよ!」
夕暮れの道に、蒼乃の笑い声が響いた。
笑ってる顔を見てふと疑問に思う。
大地が気になってるくせに、何で俺を追いかけてくるんだ?
意味がわからん。
予行練習的な?あるいは、俺からアイツの秘密を聞き出す魂胆とか?
まあ大地の秘密は山ほどあるけども……。
「紫音くん」
「ん?」
「大好き……」
「ああ……」
「……!?」
「……お前、今何つった?」
「んー?」
蒼乃が俺を真っ直ぐに見る。
顔が赤い。
まさか——?
「紫音くん、着いたよ?」
気づくと駅に着いていた。
「いや、さっき何て言ったんだ?」
「ん?さっき?何も言ってないよ?」
(聞き間違い……?)
いや、待て。
俺は何を期待して――
(いやいやいやいや、なんなんだ今の!)
頭に浮かんだ雑念を振り払うように、俺は素っ気なく言った。
「じゃあな」
そう言って、俺は蒼乃に背を向け、駅の階段を降りた。
〜空side〜
(つい、ポロッと言っちゃった……!)
「恥ずかしい……!」
紫音の消えた階段を見つめながら、空は嬉しそうに呟いた。
「……大好き、だからね」




