夢?消えた記憶
朝。
いつもより、少し早く目が覚めた。
ぼんやりと天井を見つめる。
目は覚めているのに、頭が重い。
眠れていたはずなのに、どこか疲れが残っている。
ゆっくりと起き上がる。
昨夜のことが、断片的に浮かぶ。
白い影。
逆に動く時計。
ドアが、ゆっくり開く音。
はっきりとは思い出せない。
けれど——
ただの夢とは思えなかった。
妙に、現実に近すぎた。
「……」
腕を上げる。
時計を見る。
カチ、カチ、と——
何事もなかったように、普通に動いている。
「……だよな」
小さく息を吐く。
制服に着替えて、階段を降りる。
リビングから、味噌汁の香りが漂ってくる。
「おはよう」
母の声。
「……おはよ」
席に座る。
じいちゃんは、すでにお茶をすすっていた。
いつも通りの朝。
そのはずなのに、どこか落ち着かない。
「……なあ、じいちゃん」
紫音がぽつりと口を開く。
「んー?」
ゆっくりと顔を上げる。
少し間。
「昨日の夜さ、俺の部屋、入った?」
その瞬間。
母が先に反応した。
「え?」
くすっと笑う。
「なにそれ、怖いんだけど」
軽い調子。
「変な夢でも見たんじゃないの?」
さらっと言う。
紫音が少し眉をひそめる。
「……いや、でもさ……音がしたんだよ、廊下」
「気のせい気のせい」
母は気にした様子もなく流す。
「疲れてるんじゃない?」
トーストをかじる音。
少しだけ間。
じいちゃんが、ゆっくり口を開く。
「……夢と現実の境は、曖昧なもんじゃ……」
穏やかな声。
いつも通りの言い方。
けれど——
その言葉だけが、妙に引っかかる。
「……」
紫音がじいちゃんを見る。
じいちゃんは、いつも通りの顔でお茶をすする。
何も知らないように。
「……ただの夢……だよな」
それ以上、考えるのをやめて、家を出た。
———
通学路。
朝の空気が、冷たい。
家を出た瞬間、思わず肩をすくめた。
「……さむっ」
小さく呟く。
そのまま歩き出す。
いつもと同じ道。
見慣れた景色。
それなのに——
どこか、しっくりこない。
時計を見る。
7時58分。
(……まだ余裕だな)
視線を前に戻す。
横を通り過ぎた生徒の動きが、
ほんの一瞬だけ、遅れて見えた。
「……?」
足を止める。
振り返ると、さっきの生徒は、何事もなかったかのように歩いている。
普通の速さで。
瞬きをして、もう一度見る。
何もおかしくない。
小さく息を吐き、歩き出す。
信号が見える。
赤。
(……まだ変わらないな)
そう思った瞬間、
青に変わる。
「……っ!?」
一瞬だけ、“変わる前”の光景を、見た気がした。
周りの動きは自然だ。
違和感だけが、自分の中に残る。
その時。
キーンコーンカーンコーン——
学校のチャイムが鳴る。
紫音は足を止めた。
(……もうそんな時間か?)
思っていたより、早い。
時計を見る。
8時20分。
チャイムのタイミングとも、きちんと合っている。
間違ってはいない。
それでも——
こんなに時間が経っている感覚がない。
ふと、前を見る。
さっきまで、数人の生徒がいたはずだった。
けれど——
いつの間にか、誰もいない。
ただ、人の気配だけが消えていた。
気のせいにしては——確かにおかしい。
わずかに眉をひそめる。
疑問を抱えたまま、紫音はそのまま校門をくぐった。
———
教室。
ガラ、と扉を開ける。
いつもと変わらない、朝の空気。
数人の生徒が席に着いている。
話し声が、ぼんやりと広がっていた。
「よ、紫音」
大地が手を上げる。
「……おう」
軽く返しながら、席に着く。
特に変わった様子はない。
いつも通りの教室。
そのはずなのに——
どこか、噛み合っていない感覚。
ホームルームが終わる。
教師の声も、クラスのざわめきも、
すべてが普通に流れていく。
何も、おかしなことは起きていない。
ただ——
自分だけが、少し遅れているような感覚。
「……」
小さく息を吐く。
(……なんだ、これ)
———
放課後。
大地が声をかけてくる。
「なあ紫音、昼に話してたやつだけどさ」
何気ない調子で言う。
「……え?」
紫音の表情が、わずかに止まる。
一瞬、言葉が出ない。
大地が続ける。
「週末、カウントワン行くって言ってたじゃん?」
「……いや、聞いてないけど」
大地が眉をひそめる。
「は?」
少し間。
「お前、自分で言ってたじゃん」
横から佐藤が笑う。
「いやいや、普通に話してたぞ?」
山田も頷く。
「結構ノリノリだったし」
「……」
紫音が黙る。
そんな話——
した覚えがない。
大地が少し顔を近づける。
「お前、大丈夫か?」
「……別に」
短く返す。
その声は、いつも通り。
けれど——
ほんのわずかに、間があった。
佐藤が笑いながら言う。
「とりあえず行こうぜ、カウントワン」
山田も軽く頷く。
「どうせ暇だろ」
軽い空気が、教室に広がる。
その中で。
紫音だけが、笑えなかった。




