二十四話 寒風
その怪異に寒さなど関係ない。
雪国を中心に語り継がれる鎌鼬は、冷たいつむじ風とともに現れ、気づかぬうちに肌を切り裂いていく。
切られた瞬間に痛みはなく、血も出ない。
気づいた頃には傷だけが残っている
………
……
…
依頼人が事務所を訪ねてきたのは、二月に入ってすぐのことだった。
六十代ほどの男性で、日焼けした顔には深い皺が刻まれている。
クロが椅子を示すと、男は遠慮がちに腰を下ろした。
「で、要件はなんだ?」
「いや〜、最近おかしかとですよ」
クロが話を促すと、男は訛りの残る口調で話し始めた。
「私は養鶏場の経営をしとるんですが、最近どうも鶏たちが騒がしくて。ほんで周りば見てみたら、鶏舎の壁に軽い切り傷みたいなのが複数ついてまして」
「切り傷ねぇ」
「ええ。最初は熊かと思うたんですが、それにしては傷の位置や形がおかしいと。こら、もしかしたら鎌鼬かも知らんと」
「なるほど、公安に相談は?」
「しましたが、明確な被害が確認できんと人員は動かせないと言われてしまいまして」
「それで、俺のところに来たと」
そうなんです、と男は頷いてから、少し困り顔で話を続けた。
「鶏っちゅうんは、ああ見えて繊細な生き物でして、ストレスを感じると卵が取れなくなるとです。実際にやられてからじゃ遅かとですよ」
公安の言い分はわかる。
怪異による被害は大小問わず毎日のように発生している。
怪異と断定できない段階で人員を動かす余裕はないのだろう。
しかし被害が出てからでは遅いこともある。
だからこそ、クロのような探偵や野良の討伐隊が存在しているわけだ。
「場所はどのあたりだ」
「市の外れです。山の麓で、冬はよく風が通る場所でして」
「傷の形とかは覚えているか?」
「はい。スパッと綺麗な一直線の切り口が」
(確かに、鎌鼬っぽいな)
『鎌鼬』は冬の冷たいつむじ風に伴って発生し、群れで動く怪異だ。最初に獲物を突き倒し、次に皮膚を切り裂き、最後に血を吸う。
切られた瞬間に痛みはなく、血も出ない。
今のところ鶏への直接的な被害は出ていないようだが、鶏舎の周囲を縄張りにしているのなら時間の問題だろう。
「わかった。明日の早朝向かう」
♢♢♢♢♢
翌朝、空がまだ薄暗いうちにクロは養鶏場へ着いた。
依頼者の養鶏場は、山裾に沿って建っており、鶏舎が四棟、細長い敷地に並んでいる。
夜明け前の冷気が肌を刺し、山から下りてくる風が時折方向を変えながら渦を巻いていた。
(いるな)
鶏舎の陰に身を潜め、ナイフを手に周囲の気配を探る。
(三体か…面倒だな)
『鎌鼬』は連携で強みを発揮する怪異だ。
正面から仕掛ければ、一匹目と応対している間に残りの二匹が陣形を整え攻めてくるだろう。
だが、わざわざ敵の戦い方に付き合う必要はない。
クロは懐から古い暦を取り出した。あらかじめ事務所から持ってきたものだ。
暦を嫌う怪異は多いが、『鎌鼬』はその筆頭だ。
風とは、定まらぬ『今』の流転そのもの。
逆に暦は、過ぎ去りし時と訪れる時を定める。
鎌鼬という流動し、疾走する存在にとって、世界を固定する暦という物質は、概念的に動きを阻害する縛りとなる。
クロは暦を破り取り、鶏舎の入口付近の地面に広げて小石で押さえた。残りのページは近くの柱に貼りつける。
すると、漂っていた気配が乱れ始める。暦に近づいた一体が風の勢いを殺され、方向を見失う。連動して残りの二体も動きが鈍くなった。
その隙を見逃すクロではない。
最初に乱れた一体へナイフを走らせる。抵抗する間もなく霧散する鎌鼬。
二体目が反応して回り込もうとしたが、柱の暦を避けて迂回する形になる。その一瞬を逃さず、ナイフを振る。
残り一体。
単独では連携という強みを出せない。クロは間合いを詰め、鎌鼬が突っ込んでくる瞬間に半歩横へずれてナイフを薙いだ。
戦闘が終わった頃には東の空が白み始めていた。鶏舎の中から、鶏の元気な声が響いた。
♢♢♢♢♢
夜が明けて散らばった暦を片付けていると、依頼者が鶏舎へ向かってくるのが見えた。クロの姿に気づくと、手を振って近づいてくる。
「終わりましたか」
「ああ。しばらく様子見だな。古いカレンダーなんかがあれば貼っとくといい、鎌鼬が寄ってこなくなる」
「カレンダーですか?」
「鎌鼬は暦を嫌うからな」
「はぁー、そうなんですね。こりゃためになりました」
男は礼金を渡しながら、鶏舎の方を眺めた。
「しっかし、鎌鼬なんて久しぶりに見ましたよ」
「前にも出たのか」
「子供の頃の話です。あん頃は怖かったですよ、傷だけついて何もわからんとですから」
男はそう言って、懐かしむような目をした。
「じゃあ、対処法を知った今はもう怖くねぇな」
クロがそう言うと、男は少し目を細めて笑った。
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事件記録
場所 市外の養鶏場
怪異 鎌鼬
等級 三級
特徴 基本群れで行動
個体差があり、発生したての個体は三級に該当
特定の場所に居座る個体もいる
Wright/__です。
本作品を読んでくださりありがとうございます。
この話で10万字を越えたみたいです。
ちょっとだけ嬉しいですね。
ただ、文字数が多くても内容がつまらなければ意味がないので、なんか、こう、いい感じに頑張りたいです…。
あと、初期の話とかも時間を見つけて改稿したいですね。今読み返すと粗が多そうですし…。
次の話でもよろしくお願いします。




