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二十一話 古本屋

 日曜日、十六時過ぎ。

 紫苑は塾での模試を終え、帰路についていた。


 模試の手応えは悪くない。数学は少し不安が残るが、それ以外の教科は概ね解けた気がする。塾に来たのは朝だったのに、空はもう夕方の色を帯び始めている。


 通い慣れた道を歩いていたが、紫苑はふと足を止めた。


(こんな所に、本屋なんてあったかな)


 古びた木の扉、ガラス窓越しに見えた本棚には大量の本が並んでいる。色褪せた看板には、かすれた文字で店名らしきものが書かれているが、達筆すぎて読めない。


 しかし、どこかで見たことがある気がする。そう思って記憶をたどろうとすると、頭の中に薄い靄がかかったような感覚がある。


(変だな……)


 店の中に入ったら、何か思い出せるかもしれない。そう思い、紫苑は扉に手をかけようとした。


 その時。


 カラン、と音をたてて何かが地面に落ちた。


 足元を見ると、見慣れた御守りが落ちている。玖壱からもらった、怪異除けの御守りだ。それが、淡い光を放っている。


(あれ……この御守り、光ってたっけ)


 その光を見た瞬間、頭の中の靄が一気に晴れた。


──思い出した。


 この本屋だ。『隠し神』に取り憑かれる原因となった、あの本を買った場所。


 紫苑は素早く御守りを拾い上げ、携帯を取り出した。


 あの二人へ連絡するために


………

……


 駅近くの商店街は、夕方の人通りで賑わっていた。


 ペット連れの親子、友人との買い物を楽しむ学生、その他にも休日を謳歌(おうか)する人たち。

 そんな行き交う人々の中で、六人の男女が一角に集まっていた。


 紫苑(しおん)、クロ、玖壱(くいち)、そして時雨隊(しぐれたい)の三人。



「すみません、急に呼んでしまって」



 紫苑が頭を下げた。連絡してから三十分も経っていないが、全員がすぐに駆けつけてくれた。



「気にせんでええよ。それより、紫苑さんは初めましてやろ」



 玖壱が紫苑に向き直った。



「こちら、時雨隊のメンバー。左から (かがり) (じん)夜境(よさかい) (なぎ)夜境(よさかい) (みお)



 紹介を受けた三人が、それぞれ前に出る。



「篝 迅だ、よろしくな! 話は色々聞いてるぜ」



 布で顔を隠した男が、元気よく挨拶をする。その声には通行人が振り返るほど勢いがある。



「夜境 凪です。よろしくお願いします」


「澪です……は、初めまして」



 姉妹はそれぞれ会釈をした。二人の顔も布で隠れているが、声の調子からなんとなく二人の性格がわかる。凪はきっぱりとした口調、澪は少し控えめだ。初対面のはずなのに、二人の雰囲気にはどこか懐かしさを感じる。



「紫苑です。今日はすみません、急に」



 紫苑も丁寧に頭を下げて挨拶を返す。

 それが終わると、迅がクロの方を見た。



「こっちとも初めましてだな。あんたが、クロか」


「ああ」



 クロは短く答える。


 迅はしばらくクロを観察するように見て、それから笑った。



「玖壱から聞いてたが、優秀な探偵なんだってな。噂じゃ一級怪異(かいい)と一人でやり合ったらしいじゃねえか」


「それがどうした」


「いやいや、すげえって話だよ」



 迅が肩を叩こうとすると、クロは半歩引いてそれを避ける。迅は「お、避けられた」とまた笑った。


 紫苑はそのやり取りを見ながら、凪と澪の方に視線を向ける。


 そこで、二人が胸元にお揃いの徽章(きしょう)を付けていることに気がつく。


(この模様……)


 紫苑は自分の手の中にある御守りを見た。表面に刻まれた細工(さいく)は、二人の徽章の模様とよく似ている。いや、似ているというより、徽章をもとに作られた意匠(いしょう)だとわかる。



「あの……」



 紫苑は御守りを二人に見せた。



「これ、もしかして、お二人が作られたものですか?」



 凪と澪が、互いに顔を見合わせた。



「ええ、そうよ。玖壱副隊長から話は聞いていたけれど、貴女が無事でよかったわ」



 そう言って凪が頷く。澪もそれに続いた。



「ずっと持っていてくれたんですね……、ありがとうございます」



 紫苑は、御守りを胸元で包み込むように握った。

 貰ってからずっと大切にしてきたもの。

 その御守りには、まるで寄り添ってくれているかのような優しさと温かさがあった。



「御守り、効果あったみたいやな」



 玖壱が紫苑の手元を見ながら言った。



「はい。さっき、これが光って……たぶん、守ってくれたんだと思います」


「それは何より。ほんで、紫苑さんが『(かく)(がみ)』に魅入(みい)られた時の本屋があったってのはホンマなんか?」



 玖壱の確認に、紫苑は頷いた。



「完全に思い出したわけではないんですけど、間違いないと思います。あの本を買ったのは、あの店です」


「場所は?」



 クロが尋ねる。



「ここから、すこし歩いたところです。古びた本屋で……表からは、普通の古書店に見えました」



 クロと玖壱が、互いに視線を交わした。



公安(こうあん)の調査でも見つからへんかった店、か」


「慰謝料を払ってもらわねえとな」



 ♢♢♢♢♢


 紫苑(しおん)の案内で、一行は本屋へと向かった。


 夕暮れの商店街を抜けると、確かにそこに古びた店があった。木製の扉、年季の入った看板。先ほど見た風景と、寸分違わない。



「ここです」



 紫苑が指差すと、全員がその店を見上げた。


 店の中は明かりが灯っているが、人の気配はあまり感じられない。



「……まあ、確かに普通の古本屋にしか見えへんな」


「念のため、こちらで結界を張る準備をしておきます」



 (なぎ)はすでに結界の準備を始めていた。



「頼む。二人とも、紫苑さんのこと任せたで」


「わかりました」


「は、はい……紫苑さん、こっちで待ちましょう」



 道中の話し合いで、紫苑(しおん)(なぎ)(みお)の三人は、店から少し離れた場所に控えることになった。これは、紫苑の安全を最優先にした判断だ。彼女が再び『(かく)(がみ)』のような怪異の標的になる可能性がある以上、無闇(むやみ)に近づけるべきではない。



「クロ、(じん)、行くで」



 店に入るのは男三人。玖壱(くいち)が先頭に立ち、扉に手をかけた。


 ギィ……チリン……、と(きし)む扉とドアベルの音が響いた。


 ♢♢♢♢♢


 店内は、古紙の匂いに包まれていた。


 天井近くまで届く本棚が何列も並んでいる。並べられている本は、どれも年季が入っており、背表紙の文字が(かす)れて読めないものも多い。照明は薄暗く、店の奥はよく見えない。



「いらっしゃい」



 声がした。


 店内を進んでいくと、奥のカウンターに一人の老人が座っていた。白髪で、深い(しわ)の刻まれた顔。年齢は七、八十代か。眼鏡の奥の目が、三人を順に見回した。



「珍しいお客さんだね」


「ちょっと聞きたいことがあってな」



 玖壱(くいち)が口を開いた。



「この店、最近──いや、結構前からあったか?」


「さて、いつからやってますかね。それなりに長いことやってますよ」



 老人は微笑(ほほえ)んだ。だが、その微笑みには、どこか作り物めいた違和感がある。


 そのやり取りを横目に、クロは店内を見回す。本の量、配置、棚の高さ。どれも一見普通だが、何かが噛み合っていない。

 一定以上の冊数が同じ部屋に集まると、空間の気圧や空間そのものがわずかに歪むと言われることもあるが、そのどれでもない圧迫感がある。


 本の埃っぽさとは別に、空気が(とどこお)っている。まるで、外と切り離された空間のように。



「ふーん、まあええ。それで聞きたいことなんやけど」



 玖壱がとある本の表紙を写した紙を懐から取り出し、老人に見せる。



「『神隠(かみかく)し』の話が載ってる本を知らんか? 数か月前にこの店から買っていった人がおるはずなんやけど」



 老人の表情が、一瞬だけ変わった。


 ほんの一瞬。だが、クロは、その変化を見逃さなかった。



「さて、どの本のことでしょうかね」



 ゆっくりと立ち上がった老人に対して、クロが追及する。



「何か知っているようだな」


「……私は、ただの古本屋ですよ」


「そうかい?」



 (じん)が腰の刀に手をかけた。



「俺たちにはそう見えねえんだよな。ちょっと、公安本部までご同行をお願いしたいね」



 老人の笑みが消える。


 次の瞬間、老人の周りに煙が立ち込めた。老人の姿が、カウンターの奥に滑り込むように消えていく。



「逃げる気か!」



 迅が叫び、刀を抜いて追いかけようとする。



「迅、横や!」


「っっ?!」



 玖壱の叫びに反応し、側面から飛んできた燭台(しょくだい)を間一髪で叩き落とす。

 追跡を再開しようとしたが、煙のせいで老人の姿はもうほとんど視認できなくなっていた。


 その姿が完全に消える間際、老人の声が店内に響いた。



「公安の阿呆(あほう)どもに伝えろ!」



 声は、最初の柔らかな調子とは違う、低く(きし)むような響き。



「今回こそ百鬼夜行(ひゃっきやこう)の儀は成功し、『空亡(からなき)』様は完全復活なされるとな!」



 声が消えると同時に煙が晴れ、店内が大きく揺れだす。


 棚に並んでいた本が一斉に崩れ落ち、中から黒い何かがじわりと(にじ)み出てくる。鉤爪(かぎづめ)ような手をした人型の影が、本から()い出てきた。

 一体ではない。床のあちこちで同じことが起きていた。



「さっきの攻撃(燭台)は、コイツらの仕業か……!」



 そう言うと迅は刀を構えなおす。

 クロもナイフを抜き、いつ攻撃が来てもいいように構える。



「低級か」


「せやな。ただ、数が多い」



 あらかじめ罠を仕掛けていたのだろう。逃げた老人の代わりに、残された怪異が邪魔者を処理しようとしてくる。



「迅、出口を(ふさ)がれるな」


「わかってんよ」



 迅はすでに入口側へ動いていた。クロと玖壱もじりじりと入口の方へ移動する。


 影たちも、じわりじわりと三人囲うように集まってくる。


 最初に動いたのは迅だった。



「まとめてくたばれ!」



 刀を()いだ一撃で数体が霧散(むさん)する。霊力(れいりょく)をまとわせた刃は、低級の怪異には十分すぎる威力だ。

 しかし、崩れ落ちた本の山から新しい影が這い出てくる。



「さっきより増えやがった!」


「本が残ってる限り出続けるんやろ。大元を叩くで」



 そう言うと、玖壱が周囲の棚に向けて符を投げた。


壱之札(いちのふだ)(ほむら)


 符が棚に触れた瞬間、炎が弾け、這い出そうとしていた影の群れを本ごと焼き払う。炎は本棚には燃え移らず、本と怪異のみを焼き尽くす。玖壱という符術士だからこそ成せる技だ。



「迅、右の通路を頼む。クロは左を」


「任せろ!」

「了解」



 迅が右の棚際に向かって踏み込んだ。刀を横に走らせ、床を這う影を一掃しながら棚の端まで進む。這い出そうとする影が次々と現れるが、迅の刀は止まらない。勢いのある太刀筋(たちすじ)が、本ごと怪異を()いでいく。


 クロは左側を受け持った。

 ナイフを細かく動かし、棚の隙間から這い出る影を一体ずつ確実に仕留めていく。

 数は多いが、所詮(しょせん)は低級だ。

 怪異を切り裂くことに特化した呪具(ナイフ)の前では、無力も同然。触れた瞬間に霧散していく。

 本に対しては簡易の封印符を貼るなど、抜け目もない。



「残り、中央!」



 迅が叫んだ。店の中央に十体近くが集まり、玖壱へ向かってくる。



「まだ来るんか」



 玖壱は特に慌てるわけでもなく、符を一枚取り出す。


陸之札(ろくのふだ)陸離(りくり)


 符の使用者を中心とした範囲攻撃。

 玖壱を中心に術式が広がり、周囲の影が一気に吹き飛ぶ。

 衝撃が床を走り、積み上がっていた本が再び崩れ落ちてくる。

 崩れた本からまた影が這い出そうとしたが、すでに棚際を制圧したクロと迅がそれを許さなかった。


 最後の一体が、クロのナイフの前で霧散する。


 店内に、静けさが戻った。

 床には焼け跡と、影が消えた後の黒い染みが薄く残っている。本棚は半壊し、本だった紙片が散乱していた。照明だけが、何事もなかったかのように灯っている。



「……逃げられたか」



 迅が刀を(さや)に収め、息をついた。



「ちょっと先走りすぎたな」



 玖壱も服についた埃を払いながら店内を見回す。妖気の残滓(ざんし)はほとんど感じられない。



「玖壱」


「……クロ、考えとることは多分一緒や」



 玖壱の声は、いつもの調子から一段低くなっていた。



「『空亡(からなき)』……知ってる名前か?」



 クロが尋ねた。



「いや。少なくとも、うちは聞いたことない。ただ、『百鬼夜行(ひゃっきやこう)()』いうんは、前にクロが調べとった奴やろ」


「……ああ」



 クロは、図書館で読んだ古い文献(ぶんけん)を思い出す。

 怪異の活動が活発化する時期に、必ず流れる噂「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」。それが、ここで繋がってくるとは思っていなかった。



「外に出るで。紫苑(しおん)さんたちに状況を伝えなあかん」



 ♢♢♢♢♢


 店の外で待っていた三人に、玖壱(くいち)が手短に状況を説明する。


 紫苑(しおん)は、自分の知らない単語が並ぶ説明を聞きながら、表情を硬くした。



「あの本屋……やっぱり、普通じゃなかったんですね」


「せやな。すまんけど、ここからはうちら(公安)の仕事や。紫苑さんは、もうこの店には近づかんといてな」


「はい……」



 紫苑は頷きながら、自分の手の中の御守りを見た。


(大丈夫。私は、一人じゃない)


 そう思うと、心が落ち着いた。一人で抱え込まなくていい。頼れる大人がちゃんといる。


 それだけで、知らない言葉が並ぶ説明も、少しだけ怖くなくなった。


 商店街の方からは、夕方の賑わいがまだ聞こえている。買い物をする人、笑い合う家族連れ。何も知らないまま続いていく、いつもの日常。


 その日常のすぐ裏側で、何かが動き始めている。



 ♦♦♦♦♦



「まさか、こんなに早く見つかるとは…」


「いや、構わないよ。それより、『本』は持ってきたんだろうね?」


「ああ、もちろんだ。奴らを撒くために下級怪異の本は使ってしまったが、そう簡単に上級怪異の本は渡さんよ…」



お久しぶりです。Wright/__です。

本作品を読んでいただき、ありがとうございます。


なんとか六月中に二十一話を投稿できました(あまりにもギリギリすぎる…)。

次の話では、時雨隊以外の戦闘部隊がついに登場です。

次の投稿まで少し期間が空きますが、お待ちいただけると幸いです。

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