#20 放課後
学校が少しだけ早く終わった日の帰り道、自然とあの場所へ向かっていた。紫苑は塾があって先に帰ったし、別にどこかへ寄り道する予定もなかった。ただなんとなく、あの薄暗い路地裏にあるあの場所のことを思い出して、気がついたら近くまで来ていた。
(お仕事中だったら挨拶だけして帰ろ)
そう思いながら、琥珀はドアをノックした。
「……またお前か」
ドアを開けたクロは、琥珀の顔を見ても特に驚いた様子もなかった。呆れているというより、郵便受けを確認したら今日もチラシが入っていた、くらいの顔だ。
「こんにちは。暇そうだったので来てあげましたよ」
「勝手に暇だと決めつけるな。……はぁ、入れ」
ドアは開けたままにしてくれた。どうやら仕事中ではなかったようだ。
事務所の中は相変わらずだった。古びた机、積まれた資料、窓から差し込む午後の光が、良く言えば趣のある室内を照らしている。琥珀はすっかり慣れた足取りでいつものソファに座り、鞄を横に置いた。クロは部屋の奥に行ったのか姿が見えない。
しばらくして、お茶とお菓子が出てきた。
(そういえば、クロさんが依頼者にお茶出してるの見たことないかも)
そう思ったが、口には出さなかった。
しばらく、静かな時間が流れた。クロは何かの資料をめくり、琥珀はお菓子を食べながらその姿を眺める。この事務所の静けさは、来るたびに少しずつ心地よくなっている気がした。
「あ、そうだ。クロさんの式神の猫又ちゃんには、名前とかあったりするんですか?」
琥珀がふと気になったことをクロに問う。
「いや、無いな。そもそも式神とは言葉を交わさなくても意思疎通ができるから必要ない」
「えー、名前つけてあげましょうよ〜」
「だから、必要ないと言ってるだろ。だいたいそんな頻繁に呼び出すもんじゃない」
「でも、名前くらいあってもいいじゃないですか」
「俺が必要ないと思ってるんだから、必要ない」
取り付く島もない返事だった。琥珀はお茶を一口飲んでから、ため息をついた。
「あ〜あ。うちペット禁止だから羨ましいな〜」
「あのなぁ、式神をペットと一緒にするな」
「でも猫の姿してるんだから、似たようなものじゃないですか」
「全然違う」
そのとき、外から猫の鳴き声が聞こえてきた。短く、一声。路地のどこかから響いてきた声は、すぐに静かになった。
琥珀は窓の方を見てから、クロに視線を戻した。
「クロさんの事務所って野良猫たちがよく遊びに来てますよね。猫又ちゃんもそういう感じで出会ったんですか?」
「いや、アイツは依頼をこなしている時に、すぐ近くの虚鳴町で出会った」
「虚鳴町って」
琥珀は無意識に声のトーンを落とした。
「二十年くらい前にゴーストタウンになったって言われてるあの虚鳴町ですか?」
「そうだ」
クロは特に気にした様子もなく答えた。
クロの事務所は町のはずれにあり、近隣住民はほとんどいない。
というのも、すぐ隣の町がとある事件でゴーストタウンと化しており、誰もが薄気味わるがって近づかなくなったからだ。実際にゴーストタウンでは怪異が発生しやすく、町の周縁部は指定危険区域、町の中心部分は特別封鎖区域(いわゆる立入禁止区域)になっている。
こういった理由で家賃がほぼタダなレベルで安いため、ゴーストタウンに近いこの場所に事務所を構えたという経緯がある。
「まあ、あそこはいろんなもんが集まる場所になっちまったからな」
「へ〜……」
怪異の目撃情報が多いとは聞いたことがある。しかし、琥珀が生まれる前の出来事なので封鎖されて久しく、日常生活の中で意識することはほとんどなかった。
学校でも話題に上がることはなく、ニュースでも取り上げられない。
住民たちも触れようとしないため、隣町にありながらどこか"遠い場所"のように感じていたのだ。
だからこそ、実際にすぐ隣にその場所があると改めて認識すると、少し背筋が寒くなった。
「一応言っておくが、興味本位で近づいたりするなよ。公安ですら滅多に立ち入らない場所だからな」
クロの声はいつも通り淡々としていたが、有無を言わせない重さがあった。
「……わかりました」
素直に頷いた。冗談を挟む気にはなれなかった。
少しの間、沈黙が落ちた。琥珀は古びたクッションを抱えながら、窓の外を見た。町というある種の『日常』が消えた場所が、ずっと近いところにある。淋しいような怖いような、なんだか不思議な気持ちになった。
「ねえ、クロさん」
気持ちを紛らわせるように次の話題を考える。
「なんだ」
「えーと、猫又ちゃんと出会ったとき、どんな感じだったんですか」
クロは少し間を置いた。
「どんな、か。……最初は野良猫だと思ったな。すぐにただの猫ではないと気付いたが、関わる理由もないから放っておいた。気づいたら事務所までついてきてて、そのまま成り行きで【式神の契約】を交わしたな」
「気づいたら、って……あはは」
琥珀はそれを聞いて、なんとなく可笑しくなった。名前もない、成り行きで契約した式神。クロらしいといえばクロらしい。
でも、
名前がなくても、言葉を交わさなくても、意思が通じるならそれはもう十分すぎる関係なのかもしれない。言葉や名前は、相手との距離を埋めるためにあるものだ。最初からそんなものが要らないのなら、それはそれで別の羨ましさがある。
「運命だったのかもしれないですね」
「運命という言葉はあまり好きじゃないが……、表現するならそういう言い方になるのかもな」
窓の外でまた、猫の声がした。今度は少し近い。日も暮れ始めている。
琥珀は立ち上がり、帰り支度を始めた。
「猫又ちゃんのお話も聞けたし、そろそろ帰りますね。お茶とお菓子、ごちそうさまでした!」
「そうか、気をつけて帰れよ」
「はい、また来ますね!」
鞄を持ち、扉に手をかける。外気は来たときよりも少し冷たくなっていて、夕暮れの空が町の輪郭をやわらかく溶かしていた。
運命と呼ぶには味気なく、偶然と呼ぶには出来すぎている。そんな繋がりが、この町にはいくつも隠れているのかもしれない。琥珀はそんなことを思いながら、いつもより少しだけ軽い足取りで、暮れていく道を歩いていった。
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式神名 猫又 (個体名:なし)
契約者 クロ
特徴 尾が二股に裂けている。
長寿の猫が霊力を得て変化した姿とされている。
分類 独立具現型【探索特化】
能力 ・分身(最大十六匹まで)
・壁抜け
・暗視
・爪による攻撃
猫又は怪異の一種であり、クロが契約している猫又以外にも存在は確認されている。
しかし、式神として契約されている猫又は少なく、クロの猫又に関しては、扱える能力の強力さや自主性の高さから特殊個体である可能性が高い。
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お久しぶりです。Wright/__です。
初投稿から半年となりました。
更新ペースが遅いのは本当に申し訳ないです。
短編ならまだしも、連載ものを不定期で投稿してるのはよく考えなくてもイカれてますね。
なるべく期間が空かないように頑張りたい…
これからもよろしくお願いします。




