悪役令息
涙と鼻水で号泣しながらキーアに抱きつこうとしたネィトを止めたのは、ヤエだった。
「感動の再会のところを申し訳ないんだけど、その涙と鼻水で俺の服を汚さないでくれないかな? 芸術だから」
そのとおりでした!
ヤエに阻まれたネィトが、ちっちゃな手足で、ばたばたしてる。
かわいい。
「キーアおぼっちゃま」
しゃっと白いハンカチを差しだしてくれる、おじいちゃん執事のヨニが、輝いてる。
「ありがとう、ヨニ。ほらネィト、顔拭いて」
「うわぁあぁああん! きーちゃんだぁあぁあ──! ひぃいっくぅう──!」
号泣してるよ。
ひきつけ起こしてるよ!
だいじょぶか!
「どうどう。ほら、吸ってー、吐いてー」
ちっちゃなお背なをさすってあげたら、ネィトがしゃくりあげた。
「うわぁあぁん、きーちゃん、きーちゃん、きーちゃん、きーちゃんだぁあ──!
逢いたかったぁああよぉおおおう!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだよ。
拭いても拭いてもあふれてくるよ。
ヨニが貸してくれたハンカチが、びっしょりになってきたよ。
「キーアおぼっちゃま」
しゃっと白いハンカチを差しだしてくれるスーパー従僕トマが、輝いてる!
「ありがとう、トマ。ほら、ネィト、顔あげて。拭いてあげるから」
「うわぁあぁん、きーちゃぁああん!」
抱きつこうとするネィトを、ヤエが止めてる。
「だからその涙と鼻水を、俺の芸術にくっつけないで!」
そのとおりだよ!
「はいはい、どうどう。拭くのに前髪、邪魔だなあ。ちょっとあげるね」
もしゃもしゃのネィトの前髪をあげようとしたキーアに、後ろで見守ってくれていたティトが息をのむ。
「キーアちゃん、それは──!」
「……え……?」
きょとんとしたキーアの指は、そのままネィトの前髪をあげてしまった。
意外にふわふわだった闇色の髪の向こうには、紫苑の瞳が、きらめいていた。
息をのむほど、あざやかな瞳だった。
紫という色が、どちらかというと苦手だった紀太は、生まれて初めて、心惹かれる紫を見た。
蒼も、紅も、世界のひかりを、そのなかに閉じこめ、やわらかに、やさしくひらめく、星の瞳だ。
「……星の目だ……なんて、きれい……」
ささやきが、こぼれた。
見開かれたネィトの目から、涙があふれる。
「うわぁあぁあぁあん! きーちゃんだ、きーちゃんだ、きーちゃんだ! 初めて逢ったときも、今も、そう言ってくれたのは、きーちゃんだけだよ──!
僕の目を、きれいって言ってくれるのは……きーちゃん、だけ……!」
しゃくりあげるネィトに、びっくりした。
「……え、だって、こんなにきれいな目、誰だって──」
顔をあげたキーアは、このわずかな時間に、びっくりするほど距離をとるように離れてしまったティトを、キーアを守ってくれるためだろう、踏みとどまっていてくれるヨニとトマと、驚愕したように停止したヤエの、強張る頬に息をのむ。
「…………え…………?」
茫然とするキーアに、ヨニがささやく。
「キーアおぼっちゃまは、記憶がまだ混乱しておられるのかもしれません。……ロデア大公国では……紫の、瞳は…………」
口をつぐんだヨニに、続けたのはネィトだった。
「……魔物の目」
『…………はァ──!?』
叫びたくなるのを、必死でこらえた。
うつむいたネィトの指が、ふるえてる。
「……だから、皆、怖がるんだ。……僕のこと……魔物だって。……おとうさまも、僕を……殺そうと、して……お兄さまたちが、かばってくれて……きーちゃんが、僕の伴侶になってくれるって約束してくれたから、トリアーデ家を出ていくならって……僕は、何とか、生かされてきたんだ」
茫然と、キーアはネィトの言葉を聞いていた。
BLゲームでは、そんな話は、なかった。
ネィトが、魔物だと忌まれているとか、怖がられているとか、たったひとりで、みすぼらしい離れに押しこめられているとか、どうしてもしゃもしゃの前髪をあげないのかとか、どうして伴侶(予定)がいるのかとか、何も。
だって『悪役令息と決闘だ!』は、悪役令息と闘うゲームだ。
もしゃもしゃの冴えない悪役令息を、ぽこぽこにして勝つのを楽しむゲームだ。
悪役令息が哀しい目にあっているのが分かってしまえば、心置きなく、ぽこぽこになんて、できない。
悪役令息は、ださくて、もさくて、皆に、きらわれる存在、ただそうであればいい。
哀しい過去も、苦しい今も、何にもいらない。
ただぽこぽこにされて、悔しがって泣いてくれたら、すっきりする。
──ゲームの、世界では。
オンライン小説をたくさん読んできた紀太には、よくわかる。
たくさんの悪役令息に転生した子たちが、自分の境遇に泣いて、憤慨して、立ちあがり、攻略対象の愛をつかみとってきた。
悪役令息は、ゲームを楽しくするための、コマじゃない。
この世界では、ちゃんと、生きていて、考えて、泣いて、苦しむ、ひとりの人間だ。
「僕のこと、気持ち悪いって、魔物だって、こわいって、言わなかったの、きーちゃんだけだよ。……僕のこと、かわいーって言ってくれるの、きーちゃんだけだよ。……だから、僕、きーちゃんの伴侶になりたくて……」
ふわふわ紅く頬を染めたネィトが、うつむいた。
「……でも、きーちゃん、お菓子しか食べなくなって、どんどん、だるだるしてきて──僕とも、全然、お話してくれなくなって……まるで別人みたいに、虚ろな目で……おかしくなったきーちゃんを見るのが、辛くて──」
突き飛ばしちゃったと?
それで、ごちんと頭を打ったキーアが、もとに戻った?
首をひねったニューキーアは、前のキーアの記憶を思い出そうと頭をしぼる。
…………………………。
…………あれ?
不自然なくらい、どーなつを両手に持って食べて、食べかすをくっつけていた記憶しかない。
「……どーなつ、うますぎ……?」
「ご、ごめんなさい、キーアおぼっちゃま──! 喜んでくれるのがうれしくて、俺、作りすぎたかもしれません……!」
涙目なトマに、キーアはあわてて首を振る。
「いや、トマは何にもわるくない! 俺が作ってってお願いしたから、作ってくれてただけだから! トマとヨニが『身体にわるい』『野菜も食べて』言ってくれてるのを『どーなつだけで生きていく!』断言したのは俺だから!」
そういう記憶は、ちゃんとあった。
トマのせいにしなくて、よかった!
キーアはネィトに向き直る。
「ネィトの気もちは、よくわかった」
しゃっと手を伸ばしたヤエが、ぴしっと整えてくれた髪と顔で、紫苑の瞳を、まっすぐ見つめる。
「食べることしかしなくて、何にも頑張らなくて、伴侶(予定)として、ふさわしい人になろうとしなくて、ほんとにごめん」
丁寧に頭をさげた。
「……きーちゃん──!」
涙と鼻水の顔で抱きつこうとしてるネィトを、ヤエが止めてる。
「だから、だめ。芸術だから」
鉄壁の防御だよ。
「あ、あの、もしよかったら、こちらを」
ネィトの目にビクビクしながらも、トリアーデ家の従僕さんが、防水かっぽう着みたいなのを持ってきてくれた。
カレーうどんとか、焼き肉とかを食べるときに首から下げるエプロンの、かっぽう着版ね。水を弾くように魔法を付与された魔道具っぽい仕組みになっているみたいだ。
「おお! ありがとうございます!」
ヤエが、さっと上着を脱がせてくれた。
ヨニが、さっと汚れてもいいお古な上着を、寒くないように着せてくれる。
持ってきてくれたんだよ、さすがヨニ!
防水かっぽう着を、しゃっと装着してみた。
これで涙と鼻水がくっついても、だいじょうぶ!
よし、これで落ち着いてネィトと向きあえるよ!
自分も攻略対象たちといちゃいちゃというか、仲良くしてもらったり、手を繋いでもらったりしてたから、あんまり言えないんだけど……!
「あの、俺も悪かったけど、ネィトも、攻略対象たちと、いちゃいちゃしてたよね?」
突っ込んでみた。
そこ大事!




