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剣闘3


 決勝戦は三十分後に行われることになった。

 人気の絶えた控え室には、ルーペルとジュディ、そしてアーサーのみが残っていた。


「ま、あの銀の剣士様、ヤバそうな相手だったから、ここいらで負けてちょうどよかったのかな?」


 ジュディはさも負けてやったようなことを言った。


「お前はまた、そういう生意気な口をきくな!」

「あんたに命令される筋合いはないね!」


 またも睨み合う二人をアーサーは止めた。


「……そういうのは試合が終わってからにしてくれ……」


 アーサーは頭を抱えた。

 せっかく決勝まで残れたというのに、頭痛の種が増えてしまった。


「悪い。で、あの銀の鎧の……ザクセン公だったか、あいつ、お前に恨みでもあるのか?」


 アーサーは言葉に詰まりながら言った。


「……ものすごく恨まれていると思う」


 何しろ婚約したかった女性を奪い、公の場で得意の剣術で負かして恥をかかせたのだから、恨みは相当根深いだろう。


「どうして、わかったんだ?」

「いや、向こうがしょっちゅうお前の試合を気にかけているようだったから。すっごい怖い目でさ」

「……ルーペルの目から見て、ザクセン公の剣の腕前はどう思う?」

「俺なら勝てないことはないと思うが、お前、恨まれてるんだろう? つまりお前に対しては尋常でない力を発揮するかもしれないってことだ。未知数な相手だな」


 厄介な事態になったなとアーサーは思った。


「ま、向こうも決勝まで勝ち上がってきた猛者だ。一筋縄でいかないのは、誰が相手でも同じだよ。とにかく頑張れよ」

「ああ」


 アーサーは神妙な顔で頷いた。

 まもなくして、係りの人間が、アーサーを呼びに来た。試合が始まる、と。



 闘技場に上がると、小雨が降っていた。

 しかし、興奮した人々の熱気は雨などものともしなかった。


「……ようやく、ようやくこのときが来た。このときを待っていた」


 アーサーの目の前に立ったザクセン公が言った。憎しみを湛えた瞳でアーサーを睨み据えている。


「お前ごときにはわからないだろう。このわたしの受けた屈辱がいかほどのものか!」


 わからないと正直に言えば、この場で切り殺されそうな勢いだ。ザクセン公が剣を抜いたので、アーサーも剣を構える。試合開始の合図と共にザクセン公が切りかかってきた。アーサーは宙を飛んで攻撃をよけた。しかし、剣先がわずかにアーサーをかすめた。


「っ!」


 アーサーは顔をしかめた。騎士装束の腕に切れ目が入り、血が滲んでいる。アーサーは驚いた。彼は真剣を使っているのだ。ザクセン公が勝ち誇ったように笑った。


「今度は負けん。決してな。なんなら明日の朝日も拝めないようにしてやろうか」


 とっさに審判の方を見たが、知らぬ顔をしている。おそらく金銭で懐柔されているのだろう。正直、ここまで卑怯な真似をするとは思わなかった。アーサーは改めて剣を握り直した。しかし、刃を潰した剣は重いだけで、圧倒的に不利だった。アーサーが一歩踏み込むと、ザクセン公は二歩下がった。どうやら相当警戒されているようだ。おそらくアーサーの隙を狙って切りかかってくるつもりなのだろう。アーサーもまたザクセン公の隙をうかがっていた。ふいに雨足が強くなった。視界が一気に悪くなる。アーサーが目元を伝う雨粒を袖で拭ったときだった。ザクセン公が襲いかかってきた。アーサーは剣で幾度もザクセン公の攻撃をしのいだ。憎しみに取りつかれたザクセン公を前にして、アーサーは恨みや憎しみといった感情がどれだけ人を変えてしまうのかを実感していた。たった一度戦ったとき、勝てたことがどれほど運がよかったのかも、改めて身に沁みていた。ふいに後ろに下がろうとしたアーサーの身体が傾いだ。雨でぬかるんだ地面に足を取られたのだ。すかさずザクセン公が攻撃をしかけてくる。次の瞬間、アーサーの右腕に深々と剣が刺さり、激痛がアーサーを襲った。思わず剣を取り落としそうになるが、それでは負けになると思い、かろうじて両手で握り直した。肩で何度か息をして乱れた呼吸を整える。どしゃぶりの雨が降る中、緊迫する空気に、闘技場内は静まり返っていた。水を吸った騎士装束が重く感じられた。雨のせいで血が腕から滑り剣の柄にまで伝わって、地面にしたたり落ちていく。白の騎士装束の右腕は真っ赤に染まっていた。雨が少しずつ弱まっていった。アーサーとザクセン公の姿がおぼろげながら見えるようになった周囲は、息をのんでいた。アーサーの右腕が血まみれだったからだ。ザクセン公は余裕の笑みを浮かべると、アーサーに切りかかった。その剣をアーサーは震える腕で受け止めた。攻撃を受けるたびに、右腕が悲鳴をあげたが、負けたくないという思いだけが、アーサーを支えていた。アーサーが全力で攻撃を防いでいると、そのしぶとさに舌打ちしたザクセン公が地面の泥を蹴り上げた。泥はアーサーの顔にかかり、視界を奪った。


「くっ!」


 攻撃を跳ねのけたアーサーは、急いで顔の泥を拭った。その間に、またもザクセン公の刃がアーサーを襲い、わき腹を切り裂いた。


「!」


 じわじわと血の染みがアーサーの騎士装束を染めていく。地面に膝をつきかけたが、アーサーは剣を地面に突き立てて、自分の身体を支えた。そこでザクセン公の顔色が変わった。


「……貴様、正気か?」

「ええ、いたって正気ですよ」


 どれだけ血を流してもへこたれないアーサーを見て、ザクセン公がうろたえている。やがて彼は己を奮い立たせるように言った。


「……すべてはわたしのものだ」

「え?」

「エステルもこの国もわたしのものだぁ!」


 ザクセン公は大声で叫んだ。アーサーは力任せのザクセン公の斬撃をかろうじて受け流すと、返す剣でザクセン公の手元から剣を跳ね飛ばした。

 アーサーがザクセン公の喉元に剣を突きつけたとき、雲間から太陽の光が降り注いだ。陽光を反射しながらザクセン公の剣は空中で弧を描いて地面に突き刺さった。勝敗は誰の目にも明らかだった。審判が何かを言う前に、周囲の観客がわっと沸きあがった。みながアーサーの勇猛さを称え、その勝利を祝った。

 国王の命令で、剣闘を血で穢したザクセン公は、近衛騎士に引き取られて行った。止血の処置をと命じられたが、アーサーは拒んだ。貴賓席に向かって片膝をつき、傷の痛みに耐えながら騎士の礼を取る。

 国王は厳かに告げた。


「こたびの戦い、見事であった。勇猛なる剣闘の覇者に、栄誉を与えよう。さあ、望みをひとつ言うがいい」

「わたしの望みは……」


 息を途切れさせながら口を開くアーサーの視線がエステルに向いた。エステルは呼吸を止めてアーサーの言葉の続きを待っている。アーサーは言葉を紡いだ。


「……どうか、シェーンベルグ公爵令嬢に、自由を」


 場内にしっかりと響く声でそれだけ言うと、アーサーの身体はぐらりと傾ぎ、地面に倒れ伏した。ぬかるんだ地面に血が広がっていく。


 闘技場内は悲鳴に包まれた。



「アーサー様!」


 エステルは、思わずその場から立ち上がりかけた。


「エステル、だめだ。君はぼくの婚約者なんだよ」

 

 ヴォルフが静止の声をかけた。エステルの手をぎゅっと掴む。


「でも、アーサー様が!」


 少しためらったあと、ヴォルフが悲しげに目を伏せて訊いた。


「そんなに彼のところに行きたい?」

「お願いです。行かせてください!」


 悲鳴じみたエステルの声を聞き、ヴォルフはそっと手を離した。


「ヴォルフ、ごめんなさい」


 解放されたエステルは青ざめた顔でドレスの裾をたくし上げて、貴賓席からアーサーがいる方に向かって走った。二メートルはゆうにある闘技場の壁を飛び越えると、泥だらけの地面に降りた。そして、真っ先にアーサーに駆け寄ると、その身体を抱き締めた。アーサーの瞼がかすかに開いた。


「……エステル」

「アーサー様は馬鹿です。なぜわたくしのために……」

「ぼくはただ、あなたにはいつも笑っていてほしくて……。だから、どうか泣かないでください」


 言われて初めて、エステルは自分が泣いていることに気づいた。アーサーの無骨な指がエステルの頬を伝う涙を拭った。


「どうか笑ってください」


 だが、エステルは笑えなかった。アーサーの顔色がみるみる悪くなっていったからだ。そのまま、アーサーの腕は地面に落ち、再び意識を失った。


「アーサー様ー!」


 エステルの悲鳴が闘技場に響いた。





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