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剣闘

 薫風祭初日は、その日を祝福するように快晴だった。王都の北にある古い闘技場は、二百年近く前、当時のギディオンの王が建立した歴史ある建物である。黒ずんだ闘技場の前でアーサーはルーペルの前に立っていた。同じように周りには剣闘の参加者や見物客が集まって、活気に沸いている。ちなみにモルガンは朝から警備の仕事にかりだされている。ルーペルがアーサーの肩に手を置いた。


「アーサー、しっかりやって来いよ。観客席から応援しているからな」

「ああ」


 アーサーは真面目な顔で頷いた。

 闘技場の控室に入ると、粒ぞろいのツワモノたちが、アーサーを敵視する。参加者の三分の一が騎士団員で、あとは一般からのエントリーらしかったが、腕に覚えのありそうな人物がそろっていた。

ふと控室の入口でこちらを鋭く睨んでいる人間がいるのを見つけた。黒髪に雪のような銀の瞳の青年である。目が合った瞬間、アーサーは息を呑んだ。


「……ザクセン公」

「やはり貴様が剣闘に出るという噂は本当だったのだな」


 驚きのあまり言葉が出なかった。ザクセン公はアーサーに憎しみのこもる視線を向けた。


「この機会をどれほど待っていたことか。いいか? 今度こそ、わたしのほうが貴様より上であることを示してやる。覚悟して待っていろよ!」


 アーサーは言い返すべき言葉を持たなかった。どうやらザクセン公に深い恨みをかっていることだけは理解できた。その執念をアーサーはそら恐ろしく思ったが、負けるわけにはいかないのはこちらも同じだ。ザクセン公は王侯とそれに準ずる者にのみ許された控室へと消えていった。

 まもなくしてトーナメント式で行われる試合の対戦相手が発表された。初戦の相手は知らない名前だったが、アーサーは気を引き締めた。


***


 薫風祭の前日、エステルは王宮の晩餐会でバルサットの国王に引き合わされた。エステルをひと目みたバルサット王はほうと息を吐いて目を細めた。


「これは、なんとまあ、美しい令嬢だ」


 エステルはドレスを摘まんで優雅に礼をした。


「恐れ入ります」

「アンヌマリーの若い頃に瓜二つだ」

「……陛下は母のことをご存じなのですか?」

「ああ。親戚であったし、幼い頃から、舞踏会やガーデンパーティーなどの催しのたびに顔を合わせてきた仲だからな。アンヌマリーは、昔から観劇好きだったが、まさか本当に女優になるとは驚きであった」

「もし時間があったら、母の舞台を観にいらしてください。きっと母も喜びますわ」

「ああ、そうしよう。……だが、その前に、アンヌマリーには、シェーンベルグ公爵家に入ってもらわねば困る」


 エステルは眉を下げた。心配していたことが起きたと思った。


「……やはり、母は女優を辞めなければならないのでしょうか?」

「別に余はどちらでも構わぬ。アンヌマリーはすでにこの国に嫁いだも同然。どうするかは、ギディオンで決めるといいだろう」

「温かいお言葉、ありがとうございます」


 エステルはほっと胸をなでおろした。

 バルサット王は、次にヴォルフを見て笑った。


「我が娘も、実に惜しいことをしたものだ。一目貴君と顔を合わせていれば、喜んでギディオンに嫁いだだろうに」

「ご冗談を」


 ヴォルフは控えめに言った。

 しかし、内心、誉め言葉を聞いてまんざらでもなさそうなのは見てとれた。確認するまでもないが、ヴォルフは自分の容姿に自信を持っている。エステルは広げた扇の内側でそっと微苦笑した。

 その日は和やかに晩餐会を終えた。バルサット王は、明日の剣闘の試合の見学を控えているので、早々に食事を切り上げて王宮に用意された部屋に入った。エステルも、馬車でシェーンベルグ公爵家に戻った。


 ――そして翌日。

 夜明けとともに起きたエステルは、公の場に出るための支度を始めた。お風呂に入ってさっぱりしたあと、髪を乾かしてもらっている間に朝食を食べ、食後はドレスを身に着けた。この日のために国王が用意させた一級品だった。髪を結い上げ、化粧を念入りに施すと、馬車に乗って王宮に向かった。すでに馬車の降車口には、ヴォルフが待機していた。エステルが馬車から降りるとき、ヴォルフは手を差し出した。なんとか地面に足をつけると、ヴォルフは笑った。


「エステル、おはよう。今日もきれいだよ」

「お世辞は結構です……と言うのは婚約者として可愛げがないので、素直に受け取ります」


 するとヴォルフは少しだけ困った顔をした。


「殊勝な君は君らしくないね」

「わたくしにだって分別というものがありますから」


 ヴォルフはようやくといった様子で、笑顔を取り戻した。エステルはむっとした。


「笑いごとではありません。笑われるために言ったのではありませんのよ」

「そうだね。ごめん。さあ、行こう」


 王宮の馬車に乗り換えると、エステルはヴォルフと共に闘技場に向かった。

 黒ずんだ壁に蔦が絡まり合った長い歴史を感じさせる建物の中に入ると、王侯用の降車場で馬車を降りた。三十分ほど休憩を取ってから、貴賓席に向かうと、太陽が闘技場を強く照らしている。周囲は見物に訪れた市民の声が割れんばかりに鳴り響いている。試合はすでに始まっていた。ギディオンの国王とバルサット王も試合に見入っている。エステルたちは二人に頭を下げると、近衛騎士に案内され、隣り合った席に座った。


「あ、叔父上だ」


 ヴォルフがいくつか試合の行われている場所のうちの一角を指さした。騎士服を身にまとった茶色の髪の青年がザクセン公のすさまじい剣戟を受け、追い詰められている。試合に使われているのは、刃を潰した剣だったが、勢いで相手を押し倒すと、その顔に刃を向けた。そこで審判が入り、ザクセン公が勝利したことを告げた。途端にわあっと歓声が上がった。ザクセン公が白銀の鎧を着ていて、目立っているせいもあるのだろう。彼の試合は注目の的となっていた。

 ヴォルフが顔色を曇らせた。


「……剣闘に勝ってエステルが欲しいなんて言い出さないといいけどね」

「お断りですわ」


 エステルは手にした扇子を広げると、あおぐふりをしながら、苦いものでも食べたあとのようにそっと舌を出した。ふいに何気なく視線を右に向け、エステルは息が止まりそうになった。夜明け前の空の色を彷彿とさせる髪を持つ青年が、闘技場の端で戦っていた。皮の鎧を着こんだ相手の剣を危なげなく受け止め、弾き返している。


 ――アーサー様!


 はらはらしながらその試合を眺めていたが、すぐに決着はついた。圧倒的有利な実力差でアーサーが勝利したのだ。エステルはほっと胸をなでおろした。食い入るようにその試合を見つめるエステルの姿を見ていたヴォルフの瞳がわずかに陰ったが、彼は何も言わなかった。王太子付きの護衛であるアーサーが剣闘に出ることを、ヴォルフが知らないはずがなかったが、エステルは必死になりすぎて、そのことに気づかなかった。

 

 次の試合は、大柄な騎士との対戦だった。

 男性にしてはやや線の細いアーサーは、最初押されていたが、わざと隙を作って相手を誘い込んで地面に叩き伏せ、見事に勝利をおさめた。アーサーが動くたびに、騎士装束の白いマントが大きく揺れ、周囲の注目を集めた。あの強い騎士は誰だとみなが噂しあっている。ふとエステルはアーサーの動きに合わせて、黄色い何かがひらめいているのが見えた。


「……あれは」


 見覚えがあった。

 向日葵の刺繍が入った剣帯だった。エステルがアーサーに贈ったものだ。エステルがプレゼントした剣帯をつけて戦っている。その意味を考えると鼓動が高鳴った。期待してはいけないと思いつつも、願ってしまう。彼が戦う理由がエステルを得るためであることを。





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