決意
その日の午前中は、鍛錬の時間だった。アーサーは騎士団長のザックスの相手を命じられたがこてんぱんにやられてしまい、打撲のせいで、救護室に貼り薬をもらいに行ったほどだった。
「元気出せって、アーサー」
昼食時、食堂でモルガンに肩を叩かれ、アーサーは笑った。
「ぼくはいつもの通りだよ」
「強がるなって」
「別に強がってなんかいないさ」
「嘘つくなよ。お前、侯爵家を追い出されたときよりひどい顔をしてるぞ」
自覚がなかったので、アーサーは驚いた。
モルガンはアーサーの肩をぐいっと引き寄せた。
「明日、非番だろう? よかったら今夜飲みに行かないか?」
一瞬迷ったが、たまった鬱憤を晴らしたい気持ちもあったので、頷いた。
夕方、更衣室で着替えを済ませたアーサーは、モルガンに下町の酒場に案内された。
「ここ、鹿肉が美味いんだ。お前、お坊ちゃん育ちだから、こういう店、慣れてないだろう?」
「いいや、前に留学していたから、そのときに友達に誘われてよく下町の店に足を運んでいたから懐かしいよ」
アーサーが店内を楽しげに眺めていると、茶色の髪の店員の女の子が二人の前に立った。
「いらっしゃいませ。モルガン様、久しぶりじゃないですか!」
女の子は嬉しそうにはしゃいでいる。
「エリー、最近来れなくてごめん」
「騎士様が忙しいのはしょうがないですよー! さ、席にご案内しますね」
女の子は陽気に店内を歩いた。
それぞれビールとお勧めの食事を注文する。ビールが届くと、乾杯した。
「さっきの子、明るくて可愛いだろう? 俺、狙ってるんだ」
「そうなんだ」
「俺の実家は男爵家なんだ。俺は三男で継げる爵位も財産もないけど、無事に騎士団に入れたし、貴族の身分にこだわらず好きな子と恋愛できる立場は悪くないと思ってるんだ」
モルガンは騎士の立場を誇りに思っているようだった。むろん、大半の騎士はそうだが、中にはやはり、家を継げなくて屈折した思いを抱いている同僚がいることも知っているので、モルガンのさっぱりした考え方を好ましく思った。
「モルガン、君っていいやつだな」
するとモルガンが心底驚いた顔になる。
「はぁ? いやいやいや、それはお前のほうだろうが。元将来を約束された侯爵様だったのに、立場が変わっても貴族風を吹かせることも偉ぶることもなく現状を受け入れて、誰にでも礼儀正しくてさ。えらいよ。騎士団の中には俺の実家より爵位の高い奴がいて、そのことを鼻にかけて、居丈高に振舞ったりするんだぜ。継げる爵位もないのに笑っちまうよな」
「そうなのか」
モルガンはビールをいっきに飲み干すと、新たにワインを注文して、ため息をついた。
「お前、そういうところ、鈍いよな。お前も結構話題にことかかないから、陰でいろいろ言われてるのに」
「それは薄々は気づいてる。ただ、悩んでもしかたないから、考えないようにしているだけだよ」
「……シェーンベルグ公爵令嬢のことも?」
アーサーは沈黙した。モルガンは射るようにアーサーを見つめている。
「どうせ、今の自分じゃ彼女を幸せにはできないとか思って考えないようにしてるんだろう?」
アーサーはついイライラしてしまった。なぜみなそういう風に恋愛話に持って行こうとするのだろうか。
「……かりにそうだとしても、今のぼくにいったい何ができるというんだ。相手は、あの王太子殿下なんだぞ? 騎士団に所属する身で王太子殿下や国王陛下にたてついてどうする? 一介の騎士にすぎないぼくが王太子殿下より彼女を幸せにできるなんて考え、傲慢だろう?」
「でも、お前と公爵令嬢は好き合って婚約したんだろう?」
どうやらモルガンは新聞の報道を真に受けているようだった。
「……違うんだ。彼女とは利害関係の一致で一時的に婚約していたにすぎないんだ。互いに好きだったわけじゃない」
「だったら、どうしてそんなに毎日しけた面してるんだよ」
「え?」
「覇気がないっていうか、……まあ、それは元々だが、前より確実に士気が下がってるぞ」
そこでアーサーはとあることに気づいた。
「もしかして、団長に何か言われて、ぼくにはっぱをかけるつもりで誘ったのか?」
「違う。でも、今のままだと確実にそうなるだろうな」
黙り込むアーサーにモルガンは言った。
「お前、ザクセン公に勝ったそうだな。あれって本当なのか?」
「ああ。けど、向こうがぼくのことを侮っていたから勝てたようなものだよ。まぐれだよ」
「……知ってるか? ザクセン公はこの国でザックス騎士団長の次に優秀な剣の使い手だと言われている。まぐれで勝てる相手じゃない」
アーサーは驚いた。ザクセン公がそんなに強いとは思っていなかったからだ。
「ザクセン公も昔は騎士団にいたんだが、上にはいい顔するくせに、下の者には横柄でさ。見かねた騎士団長が、国王陛下にかけあって、辞めさせたらしいぞ。もう五年以上前、俺が見習い騎士だったころの話だけど、人物としてはともかく、あの剣の冴えは見事だったな」
「もう五年も前の話なんだろう? 鍛錬を怠れば腕も鈍るさ」
「いや、それはない。人となりはともかく、剣術には執着のある人で、未だにときどき騎士団の団員を邸に招いて、訓練してるって話だからな」
アーサーは探る目でモルガンを見た。
「君は何が言いたいんだ?」
「お前、騎士団に来た最初の日、団長に一太刀入れたよな?」
「それがどうした?」
「……正直、ヤバそうなやつが来たなと俺は思った」
「負けたのに?」
「お前、正式に剣を習ったのは、小さいときだけなんだろう?」
「ああ。あとは、自己流だよ」
「それなのに、ザクセン公を打ち負かして、団長に一太刀入れた。ずっと騎士を目指して鍛錬してきた俺でも不可能なことなのに。な、ヤバいだろう?」
「……話だけ聞いたらそうかもしれないけど……」
モルガンは苛立ったように鹿肉の煮込みにフォークを何度も突き刺した。
「だあああぁ、もう、どうしてお前はそういつも後ろ向きなんだよ! 自己評価が低いんだよ! お前は、すげえんだよ! ヤバいんだよ! 自覚しろ! そして努力しろ!」
アーサーはむっとした。
「努力ならしてる!」
「本気出せって言ってるんだよ!」
二人が睨み合っていると、怒鳴り合う声を聞いて、エリーが姿を見せた。
「モルガン様、うちのお店では喧嘩はご法度ですから。切り合うなら外でやってくださいね。でないと出入り禁止になりますよ」
「あ、ああ。ごめん、エリー」
たちまちモルガンは冷静になった。騎士団でも私闘は禁じられている。何より、感情のコントロールも騎士の鍛錬のうちだ。
一方で、アーサーは痛いところをつかれたなと思っていた。勉強も剣術も自分なりに頑張ってきた。だが、今まで本気で何かに取り組んだことがあっただろうか。答えは否だった。いつだって事なかれ主義で、流されるように生きてきた。今、そのツケを請求されているような気分だった。
「……本気になってぼくに何をしろって言うんだ?」
「……これはまだ極秘事項なんだが、近々、バルサットの国王が薫風祭に合わせてギディオンを訪問する方向で調整が進められている。アンヌマリー姫とシェーンベルグ公爵令嬢に会いに来るそうだ」
モルガンが何を言いたいのか、アーサーにはわからなかった。モルガンは続けた。
「予定では剣闘も視察されるらしい」
アーサーは慌てた。
「ちょ、ちょっと待て、モルガン。まさかぼくに剣闘に出ろと言ってるのか?」
「男なら欲しいものは剣で奪い取って来い!」
「そんな無茶な!」
「この国で二番目に強い剣の使い手に勝ったんだ。お前なら大丈夫だよ」
アーサーは焦った。
「だ、だけど……っ!」
「好きなんだろう? シェーンベルグ公爵令嬢のこと」
アーサーはぐっと唇を噛むと、ため息をついた。
「……正直、自分の気持ちがよくわからないんだ。女性に対して特別な感情を抱いたことがないから……」
「お前、今、もやもやしてるだろう?」
「あ、ああ」
「なんでだよ?」
「自分の気持ちがわからなくて」
モルガンは頭痛をこらえる仕草をした。
「アホか! そんなの、シェーンベルグ公爵令嬢を王太子殿下に奪われたからに決まってるだろうが! お前は令嬢のことが好きなんだよ!」
「!」
そう言われ、気持ちがすっきりするのがわかった。
ー——ぼくは、エステルが、好き、なのか?
自分の内側にそう質問しても、反論はかえってこなかった。むしろ、気持ちが晴れていくばかりだった。
「ああああ、もう!」
アーサーは大声で叫ぶと、ワインを一気飲みした。
気づきたくなかったこと、考えたくなかったことをついに暴かれてしまった気分だった。平穏な生活だけがアーサーの望みだった。周囲と波風を立てずに生きていくことだけを願っていたのに、どうして放っておいてくれないのだろうか。
それでも、エステルを好きだとはっきり意識した瞬間、湧きあがってくる思いがあった。もう彼女を泣かせたくない、彼女を守りたい、と。
本当はいつでも、最後に会話を交わした晩のエステルの涙が脳裏にちらついて離れなかった。いろいろ自分に言い訳してきたが、もう腹はくくった。
もう一杯ワインを注文したアーサーは、酩酊する頭で、答えた。
「出る」
「は?」
「ぼくは剣闘に出る」
アーサーの宣言を聞き、たちまちモルガンが破顔した。
「おう! それで優勝して、シェーンベルグ公爵令嬢を奪い返して来い!」
次の瞬間、アーサーは机に突っ伏して眠りに落ちていった。
そんなアーサーをモルガンは家まで送ってくれた。




