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きれいな嘘

 それから五日後の王族主催の夜会に、アーサーはまたも王太子ヴォルフの護衛として参加した。その日、会場を一番にわかせたのは、王太子ヴォルフがエステルをエスコートして現れたことだった。拍手する人々を国王は壇上から満足そうに眺めていた。二人の婚約の噂はすでに、新聞の報道を通じてみなに広がっていた。


「まあ、本当にお似合いですこと」

「特に王太子殿下のお幸せそうなことといったら」

「お二人は元から仲がよろしかったから」


 貴族たちの交す囁きはアーサーの耳にも届いていた。この場ではもうすでにアーサーとエステルの婚約はなかったものとされている。母親のアマーリエが高位貴族の令嬢だと公になった今、アーサーだけでなく誰もがエステルこそ王太子妃に相応しいと思っているのだ。アーサーはヴォルフとエステルの様子を会場の隅から見つめていた。エステルは相変わらずきれいな笑顔を浮かべて踊っていた。まるで世の幸福を一心に浴びたように幸せそうに笑っている。その完璧な笑顔がアーサーには逆に不自然に思えた。なぜなら、素の彼女はあんな風に笑わないからだ。怒ったりすねたりしながら時折見せる愛らしい笑顔をアーサーは知っていた。


「アーサーさん、助けてください!」


 突然、誰かに飛びつかれ、アーサーはぎょっとした。相手はマシューだった。前に見たときと同じように、立派すぎる服に着られた姿のまま、アーサーにすがりつく。


「マシュー、いったいどうしたんだ?」


 今にも泣きそうな情けない顔でマシューは言った。


「次期侯爵家当主なんて俺には無理です。……アーサーさんがいなくなってから、毎日毎日、ファビエンヌさんたちに、貴族の教育を受けているんですが、だんだん厳しくなっていて、ぼくには難解すぎてついていけません! アーサーさん、どうか侯爵家に帰ってきてください!」


 アーサーは憂鬱そうにため息をついた。今さら、家に戻るつもりはなかった。


「すまない、マシュー。今、仕事中なんだ」


 ひしとすがりつくマシューを引きはがそうとすると、別の声が聞こえてきた。


「マシュー、こんなところで何をやっているの?」


 姉のファビエンヌだった。たちまちマシューの顔色が青ざめる。


「ファビエンヌさん、すみません。でも、俺、もう限界で……。やはり、次期侯爵に相応しいのはアーサーさんです!」


「まあ、何を言っているのマシュー。あなたはアーサーよりもずっと優秀よ。さ、次期侯爵家当主としての務めを果たしてちょうだい。まだ挨拶周りをしていない家があるんだから、しっかりしてちょうだい。……わかったわね?」


 ぎろりとファビエンヌに睨まれたマシューはひっと息をのむと、ぎこちなく立ち上がり、その場を去って行った。

 なんだか昔の自分を見ているようで、アーサーは疲れた顔で嘆息した。

 ひとしきり貴族たちと歓談したヴォルフとエステルが国王を伴って退席する。その後ろにアーサーたち護衛も続く。人気の少なくなった廊下を歩いているときだった。


「国王陛下、お待ちください!」


 豪奢な金髪を結い上げた美しいドレス姿の女性が国王を呼び止めた。アーサーはそれが誰かはすぐにはわからなかった。


「そなたは……?」

「アンヌマリー・メンサドーラと申します。アテネ座のアマーリエと言えばおわかりになりますか?」


 アーサーは度肝を抜かれた。

 初めて会ったとき、気安い下町の女のようにしゃべっていたアマーリエが、気品溢れる貴族の婦人として目の前に現れたからだ。その背後には、付き添いなのだろう、シェーンベルグ公爵が立っている。


「……お母様?」


 まさかのアマーリエの登場に、さすがのエステルも驚いている。


「ほう、そなたがアマーリエか。して何用だ?」

「無礼を承知で申し上げます。どうかこのたびの王太子殿下と娘の婚約、なかったことにしていただけませんか?」


 国王は沈黙したまま、じっとアマーリエを見ていた。アマーリエは国王の威厳に身を竦めることなく堂々と言った。


「この結婚で娘が幸せになれるとは思えません」


 たちまち国王が不快そうに眉をひそめた。


「わしの息子との縁談の何が不満だ?」

「わたしは、ただ娘には自由に生きて欲しいんです。わたしの娘が王太子妃の地位など望むはずもありません」

「では、どうすると言うのだね?」


 アマーリエは自分の胸に手を当てた。


「結婚ならわたしがします。女優を辞めて、シェーンベルグ公爵家に入ります。シェーンベルグ公爵家は王家とは浅からぬ縁のある家です。バルサット王家の血を継ぐメンサドーラ公爵家とつり合いは取れているはずです」


 国王は厳しい顔で言った。


「これは、国と国との取り決めだ。もうわしの一存では覆せないのだよ。そなたが今さらシェーンベルグ公爵家に入ったところで、結果は変わらない」


 きっぱりと言い切られ、アマーリエが俯いた。

 悔しげに唇を噛むアマーリエの前に、エステルが立った。


「お母様、心配なさらないでください。わたくしとヴォルフは気心の知れた幼馴染なんです。結婚してもきっとうまくやっていけますわ」


 エステルはアマーリエの手を取ると、きれいな顔で笑った。


「だから、お母様は公爵家に入らず、女優を続けてくださいな。今度はヴォルフと一緒に観劇に参りますから」

「……エステル」


 アマーリエの目に悔し涙が浮かぶ。母親として娘の強がりを見抜いたのだろう。エステルはアマーリエの瞳に浮かんだ涙を手袋をした指で拭った。


「お母様、ドレス姿、とってもきれいですわ。せっかくだから、今夜はお父様のそばにいてあげてくださいな。お父様はずっとお母様のことを待っていらしたのですよ」


 アマーリエは激しく頭を振った。


「わたしはお前を犠牲にして自分だけ幸せになろうなんて思っていないよ!」


 エステルは口角を弓の形に持ち上げて笑顔になった。


「お母様、勘違いをなさっては困ります。わたくしは幸せになるためにヴォルフと結婚するのです」

「……でも、エステル、お前は……」


 アマーリエの視線がアーサーに向けられる。エステルはそれに気づいて、また笑った。


「アーサー様との婚約はもともと一時的なものでした。お母様が考えているような事情はありません」

「エステル、お前は本当にそれでいいのかい?」

「きちんと自分の意思で決めたことですから、お母様は心配なさらないでくださいな。それにヴォルフと一緒になれるとわかって、今はお母様には感謝しているくらいなのですよ」


 きっぱりとそう言い切るエステルの肩に、ヴォルフが触れた。


「さあ、エステル、もう行こう」

「ええ」


 エステルは舞台女優のように優雅に一礼すると、ヴォルフの手を取り、その場から立ち去った。

 アーサーも無言でヴォルフとエステルの背後に付き従った。


***


 階段のところで国王とヴォルフと別れると、エステルは自分のために用意された控室に向かった。部屋に一人きりになると、エステルから笑顔が消えた。こらえきれずにその場に蹲り、両手を顔に押し当てた。アーサーは先ほどのエステルの発言を聞いてどう思っただろうか。鈍感な人だから、真に受けたかもしれない。嘘に嘘を重ねて心が悲鳴を上げていた。数日前のあの夜、アーサーへの未練は断ち切ったはずなのに、今もアーサーのことを考えるだけで心は激しく揺れ動いた。

 と、扉がノックされる音が室内に響いた。

 室内に使用人はいない。

 エステルが対応に出ると、扉の外にはヴォルフが立っていた。エステルの顔を見た瞬間、その表情が苦痛に歪む。


「エステル、泣いていたの? 目が真っ赤だよ」

「泣いてなんかいません。昨夜は寝るのが遅かったので、欠伸をしていたんです」


 ヴォルフは沈痛な面持ちで言った。


「ごめん。あんな嘘をつかせて。本当はなんとかしてあげたいんだけど、わたしは……」

「嘘なんかついていません。わたくしはあなたの誠実な人柄をよく知っています。あなたなら全力でわたくしを幸せにしようとしてくれるでしょう? だからわたくしは必ず幸せになれます」


 エステルが微笑むとヴォルフはそっと華奢な身体を抱きしめた。それは親愛の抱擁だった。


「君は本当に強がりだな」


 エステルは弱り切った顔で眉を下げた。




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