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いたずらな約束

 アーサーは王太子の護衛というよりは、小間使いのような毎日を送っていたが、それでも日々はめまぐるしく過ぎていった。その日の夜は、新しく赴任してきたバルサット王国の大使夫妻を歓迎するための夜会が開かれることになっていた。


「大使夫妻は、何をしにギディオンに来ると思う?」


 ヴォルフに質問され、アーサーは答えた。


「それはもちろん外交のためではないのですか?」

「そうなんだけど、今回のメインは、自国の王女の肖像画をわたしに届けることなんだよ」


 ヴォルフは面倒臭そうに肩をすくめた。


「つまり、見合いのための肖像画ですか?」

「ああ。今、バルサットとの関係が微妙だから、家臣の中からもこの縁談を歓迎する声があってね。参ったよ」


 つくづく王太子とは大変な立場だなとアーサーは思った。かつてはアーサーも侯爵家の後継ぎ息子の地位

を狙われて、年頃の娘を持つ貴族の親から見合いの標的にされていたが、ヴォルフの苦労は、アーサーの比ではなかった。王太子ともなると、結婚話ひとつを取っても、相手の女性や関わる人たちが王族や高位貴族なので無下にはできないのだから。


「そういえばアーサー、今夜の話、聞いてる?」

「はい?」

「実は今夜、わたしがエスコートする相手をエステルに頼んであるんだ。いつもなら妹のリンゼイに頼むんだけど、今日は婚約者と踊るらしくてね」

「なぜ、エステルなのですか?」


 アーサーは純粋な疑問をぶつけた。


「そりゃ、あの美貌、気品、堂々とした立ち居振る舞い。エステル以上にわたしの隣を任せられる令嬢は他にいないからね」


 その口ぶりから、エステルを信頼していることがわかる。


「そういうわけだから、今夜はエステルを借りるよ。安心して。今日だけだから」

「……はい」


 頷きながらも少しだけ胸がもやっとした。

 昼餐のときにヴォルフは、バルサットの大使と席を共にしていた。


「我が国自慢のアクアローズ姫は気に入っていただけましたか?」

「たいそうお美しい姫で、驚きました」


 ヴォルフは、先ほど、応接室でアクアローズ姫の肖像画と対面したばかりだった。


「アクアローズ姫は、読書と刺繍を嗜む大変奥ゆかしい姫なのです。両陛下から、掌中の珠として大切に育てられましたが、気働きのできる方でもあるので、そこは王妃様にそっくりでしてね」

「でもまだ御年十四歳とか。すでに二十歳半ばのわたしにはもったいない方だと思っています。姫もあまり夫となる人物と年が離れていては不安に思われるでしょう」

「何をおっしゃいますか。我が国の陛下と王妃様は二十も年の差があるのです。姫はそんな二人を見て育っているのですから、不安に思うはずもございません」


 大使は力説した。

 昼餐のあと、着替えをしながら、ヴォルフはため息をついた。


「あの大使、何がなんでも縁談をまとめてこいと言われて来たな」

「そのように見受けられます」


 アーサーも頷いた。

 実際、大使は始終アクアローズ姫を褒めちぎり、いかにヴォルフに相応しいかを語っていた。


「十四歳のお子様を押し付けられるなんて冗談じゃないね。てっきり、アクアローズ姫の姉にあたるプリシラ姫との縁談を持ってくると思っていたのに」


 プリシラ姫は御年十八歳の大人びた姫らしいが、最近、東の国との縁談が決まったのだという。


「ですが、あの肖像画を見る限り、アクアローズ姫なら殿下の隣に並んでも見劣りすることはなさそうですが……」

「君は加工されていない見合いの肖像画なんてあると思うのか?」


 返す言葉もなかった。

 たしかに今日見た肖像画の姫君は、十四歳に見えないほど大人びていた。湖畔のベンチに座って優雅に読書する姿を描いた肖像画だったが、その憂い顔は十四歳の少女がかもしだせる雰囲気ではなかった。

 日暮れ前になると、アーサーも着替えを命じられた。夜会に護衛として出席するので騎士の正装に身を包むのだ。白を基調とした服は、アーサーの端正な顔立ちを引き立てるものだった。しかし、王太子ヴォルフの盛装は、美しいと表現するのがふさわしいくらい似合っていた。粒ぞろいの美形を集めた近衛騎士団の姿もかすむほどである。


 ダンスホールに足を踏み入れると、他の令嬢と談笑するエステルを見つけることができた。相変わらず輝くように美しかった。王太子の登場に、令嬢たちは一歩身体を引いて、礼をした。ヴォルフは、エステルのそばに立った。


「エステル、今日の君の相手はわたしなんだよ。わかっているのかい?」

「もちろん、わかっています」


 エステルは面倒臭そうに答えると、ヴォルフが差し出す手を取った。


「相変わらずお似合いですこと」


 どこからともなくそんな声が聞こえてきた。


「お母君の血筋さえよければ、今すぐにでも王太子妃になれたものを」

「残念ですわね」


 アーサーの耳にはエステルを惜しむ声が次々に届いた。

 すでに会場入りしていたバルサットの大使夫妻に、ヴォルフたちが歩み寄ると、エステルはドレスを摘まんで淑女の礼をした。


「ごきげんよう。バンクス大使、カテリーナ様」

「殿下、こちらの美しい令嬢は?」


 大使の言葉にヴォルフが答えた。


「エステル・フォン・シェーンベルグ公爵令嬢です」


 すると大使の妻のカテリーナがまじまじとエステルを見つめた。


「……本当にお美しくていらっしゃる」

「恐れ入ります」


 聞きなれているのだろう。エステルははにかみながらも受け流した。その姿は王族にも引けを取らないほど堂々としていて、ヴォルフの隣に並んでも遜色がなかった。

 エステルを上から下まで眺めたカテリーナは首を傾げた。


「不思議だわ。初めてお会いした気がしませんわ。わたしたち、どこかで顔を合わせていませんか?」


 エステルは首を振った。


「残念ですが、わたくし、ギディオンの外に出たことはありませんの」

「そう、そうよね。急に変なことを言ってごめんなさいね」


 カテリーナが頭を下げたとき、ダンスホールに音楽が鳴り響いた。それぞれ男女が輪になって、優雅に踊り始める。


「エステル、わたしたちも行こう」


 ヴォルフに手を取られながら、エステルたちがダンスの輪に加わった。するとエステルは水を得た魚のように華麗なダンスを披露した。踊るのが楽しいのか、エステルの唇には笑みが浮かんでいる。壁際に下がったまま、アーサーはその光景を眩しく思った。やはりエステルにはこういう華やかな場所がよく似合う。


「あら、アーサーじゃない」


 はっと我に返って顔を上げると、ファビエンヌが立っていた。扇子をひらめかせながらこちらを見つめている。


「さっさとシェリジアに帰ったものだと思っていたのに、騎士になったって噂は本当だったのね」


 アーサーはふいっと視線を逸らした。


「姉上には関係のない話です」

「どうせ、王太子殿下とエステル様を見て嫉妬でもしてたんでしょう?」


 羞恥にかあっと頬が熱くなる。


「ぼくは仕事で来ているんです。用事もないのに話しかけないでください」


 ファビエンヌが扇子をひらひらさせながら含み笑いをしている。


「アーサー様、お久し振りです」


 ファビエンヌの背後にはマシューが控えていた。


「ああ、マシュー。……なんだか少し痩せたような気がするが、大丈夫か?」


 そこでファビエンヌが眉を吊り上げた。


「アーサー、勘違いしないでちょうだい。あなたは、一介の騎士にすぎないけど、マシューは次期ジーニアス侯爵なのよ? もっと礼儀をわきまえてちょうだい」

「いえ! とんでもありません! いいんです、アーサー様! 普通に接してください!」


 アーサーは苦笑した。

 そんなマシューを見て、ファビエンヌは肩を竦めた。


「さあ、マシュー、もう行きましょう。わたしの夫が会場に来ているの。会わせたいから一緒に来て」


 マシューはまるで犬のような従順さでファビエンヌに付いて去って行った。

 アーサーはどっと疲れを感じ、深々とため息をついた。もう次期侯爵の座に未練はないが、マシューの頼りない姿を見ていると、一抹の不安が胸をよぎった。いや自分にはもう関係のない話だと頭を振ったとき、ダンスが終わって、頬を薔薇色に染めたエステルが戻ってきた。遠くを見ると、ヴォルフが、大使夫妻とにこやかに会話している。アーサーを見つけたエステルは、ぱっと花が咲いたように可憐に笑った。


「今日はアーサー様にお目にかかれて嬉しいですわ。せっかくのダンス、アーサー様と踊りたかったのに」


 エステルが嬉しそうに駆けてきてそう言ったので、アーサーの唇が自然と綻んだ。


「そういえばまともな夜会に一度も一緒に出たことがありませんでしたね」


 夜会に出るたびに騒動に出くわしたので、結局、一度も一緒に踊れなかった。そのことが今はひどく悔やまれた。何しろ今のアーサーは、招待客として夜会に出られる身分ではないのだから。


「アーサー様、裏で少しだけ涼みませんか?」

「お誘いは嬉しいのですが、今は仕事中ですから……」

「大丈夫です。ヴォルフの許可は取ってありますから」

「……ですが」


 すると会場の警備をしていた騎士仲間のモルガンが言った。


「ちょっとくらい行って来いよ。こっちは大丈夫だから」


 少しの逡巡の末、アーサーは首肯した。


「では、少しだけ……」


 アーサーはエステルに手を引かれ、テラスに出た。


「やっと二人きりになれましたわね」


 嬉しそうにエステルが言った。


「……貴女はずいぶん王太子殿下と仲がよいのですね」

「ただの腐れ縁ですわ。昔、王太子の遊び相手として、それなりに地位のある貴族の子息や令嬢が集められたことがあったんです。そのときに知り合ったんです」

「でも貴女は王太子殿下の妃にと望まれたことがあったとか」

「そのときはわたくしの血筋が問題視されて、話はすぐに立ち消えになりましたし、それに二人とも兄妹みたいに育ったんです。将来の相手としてなんて、お互いに考えられませんでしたわ」

「そうだったんですか」


 なぜかほっとしていると、エステルが悪戯っぽい目をアーサーに向けた。


「少しはやきもちを焼いてくださいましたか?」

「! あ、あなたは何を言って……っ!」


 否定しつつも、顔が熱くなっていく。ここが大広間ではなく、薄暗いテラスであったことに感謝した。


「実は今日、アーサー様にお渡ししたいものがあったんです」


 エステルは大きくひだを取ったドレスのたもとから、何かを取り出した。皮製品で、表に細かな刺繍が施されている。


「これは……」

「剣帯です。わたくしが手作りしました。こう見えても刺繍は得意なんですよ」

「え、貴女が?」

「はい。この間、ティリさんのお宅にお邪魔したときに、サイズを測らせてもらったではありませんか。お気づきになりませんでしたか?」


 剣帯に刺繍された向日葵を見て、あの日、同じ色をしたリボンをエステルがアーサーに巻き付けたことを思い出していた。


「よかったら、受け取ってください」


 嬉しい、と素直に思った。


「……ありがとうございます」


 ありがたく受け取ると、エステルは幸せそうに笑って、アーサーの隣に寄り添った。エステルの体温を直に感じて、アーサーは緊張した。


「そういえば、アーサー様は剣闘にはお出にならないのですか?」

「……騎士団の中でもぼくの実力は下っ端なんです。勝てるわけがありません」

「まあ、残念。闘技場で戦うアーサー様を是非拝見したかったのに。わたくし、優勝者に花冠を差し上げる役目を陛下より仰せつかりましたのよ」


 本気で残念そうに眉を下げるエステルを見ていると、剣闘に出てみようかと一瞬思ったが、すぐに自分には無理だと言い聞かせる。すでに腕に覚えのある猛者が何人も名乗りを上げているのだ。とてもではないが勝てるはずもないのは、自分が一番よくわかっていた。


「……ご期待にそえず申し訳ありませんが……」

「では、約束をひとつわたしにください」

「約束?」


 エステルは悪戯っぽい目でアーサーを見た。


「……もし、わたくしたちが一緒になれない事態になったら、わたくしを連れて逃げてくださいますか?」


 まさかの申し出にアーサーは息を止めた。

 エステルがくすっと笑った。


「――冗談です」


 アーサーはほっとした。





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