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ピクニックに行こう

「薫風祭? ああ、もうそんな季節なのか」


 昼食のときに、同僚の騎士にそんな話を振られ、アーサーは今さらのように思い出していた。薫風祭とは初夏に行われるギディオンのお祭りで、毎年、王都を賑わせている。


「まあ、我々騎士団には縁のない行事だがな」


 騎士団は毎年祭りの警備に駆り出されるので、余程の事情がない限り、誰一人休むことなど許されないのだという。入団して以来、アーサーと気安く接してくれる、騎士仲間のモルガンがやれやれといった顔になる。


「……去年は暴れる酔っ払いや痴話げんかの仲裁で大変だったよ」

「市民は気楽でいいよな。祭りの警備に出るくらいなら、一人で鍛錬でもしたほうがマシだよ」


 皆、一様に疲れたような顔をしている。王太子の護衛である自分にはどんな役目が課されるのだろうと不安になっていると、騎士団長のザックスが食堂に入ってきた。雑談に興じるみなを手を叩いて黙らせると、ザックスが口を開いた。


「みなに知らせだ。国王陛下の提案で、今年の薫風祭で剣闘が行われることになった。出場希望者は、わたしに申し出るように。なお、出場者は祭りの一週間前から警備の任を免除する」


 たちまち周囲がざわついた。騎士の一人が質問した。


「優勝すると何かもらえるんですか?」


 ザックスは重々しく頷いた。


「優勝者には、国王陛下から望みをひとつ叶えてもらえることになっている。もちろん常識の範囲でだぞ」


 この場にいる半数近くが目をむいた。無理もなかった。騎士団に入る者の多くは、兄弟が多くて、家を継げる見込みのない貧しい貴族ばかりだからだ。自立のために入団した者が多いのだ。彼らが一番に願うとしたら、爵位を持つことだろう。


「我こそはと思う者は、よくよく鍛錬に励むように」


 ザックスが去ると、食堂は一気に騒がしくなった。


「聞いたか、なんでも願いを叶えてくれるんだとよ」


 モルガンがテーブル越しに身を乗り出した。


「アーサー、お前、出ろよ」

「え、ぼくが?」


 何の冗談だと言いたかった。


「そりゃ、お前が失った侯爵クラスの爵位は無理だろうが、それでも爵位持ちになれるんだぞ? いい話だと思わないか?」

「……それは優勝したらの話だろう?」

「お前ならいいせんいけるって」

「今のぼくの実力じゃ無理だよ」

「じゃあ、シェーンベルグ公爵令嬢のことはいいのかよ」


 アーサーはぐっと言葉に詰まった。

 アーサーが家を追い出され、騎士団に入ったことはすでににぎにぎしく新聞に報じられ、みなが知っている。同時に、エステルがアーサーを諦めないと宣言していることも記事にされていた。おかげでアーサーとエステルは身分違いの恋仲だと世間では認識されていた。爵位をもらえるとしたら、男爵や子爵あたりが妥当だろうが、その地位程度ではとてもではないが、エステルと結婚なんてできないだろう。


 侯爵の地位ですら、娘はやらんと言っていた父親もいる。天地がひっくり返っても気が変わることはありえない。それに自分は仮初めの婚約者なので、気にかけるだけ無駄だ。


「とにかくぼくは剣闘に興味はないよ」


 アーサーはそれだけ言うと、スプーンを使ってスープを掬い始めた。


***


 エステルがアーサーの仮住まいにやってきたのは、前に会ってから二週間が過ぎたころだった。


「アーサー様、ごきげんよう。――今日はピクニックのお誘いに参りました」


 エステルはいつもと違って絹のドレスではなく、木綿の服を身に着けている。まるで街娘のような恰好をして、腕にバスケットを下げている。長い金髪は、輪の形にして頭の後ろにまとめていた。またも不意打ちの訪問だったが、エステルは確実にアーサーの仕事が休みの日を狙って来ていた。もちろん休日を把握しているのだろう。今日は本でも読んで過ごそうと考えていたアーサーの思いが顔に出ていたのだろう。


「お嫌ですか?」


 いつもの負けん気の強い表情ではなく、どこか不安そうに訊かれ、すっかり断れなくなってしまった。


「いいえ、大丈夫ですよ」


 ついそう答えてしまったが、「ありがとうございます」とエステルが嬉しそうに笑ったので、後悔する気持ちはなくなった。アーサーは一度部屋に戻って着替えを済ませると、エステルの乗ってきた馬車に揺られて、道を進んだ。


「どこに向かっているんですか?」

「内緒です」


 馬車は、王都から離れているようだった。だんだんと人気がなくなり、建物すらまばらになり、外の景色は人よりも緑のほうが多くなる。馬車は森の入口で止まった。外に出ると、ひんやりとした涼しい風が頬をなでる。目の前に翡翠の色をした湖が広がっていた。木々に囲まれた湖の傍は、空気が澄んでいた。


「王都の近くにこんな場所があったんですね」

「わたくしも来るのは初めてです。話には聞いていましたが、素敵な場所ですわね」


 アーサーは新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「アーサー様、先にお昼にしませんか?」


 言われて初めてお腹が空いていることに気づいた。エステルは籐のバスケットをこれみよがしに持ち上げ

てみせた。敷物を用意しようかと思ったが、目の前に爽やかな草の絨毯が広がっていたので、直に座ることにした。エステルはやや緊張した面持ちでバスケットを開いた。中身を見たアーサーはびっくりした。サンドイッチが詰まったバスケットは、どれも形がいびつで、パンに挟まれた具も焼け焦げていたり、うまく切れていなかったりと悲惨なものだった。アーサーは恐る恐る訊いた。


「これ、手作りですよね?」

「はい」

「新しい料理人でも雇われたのですか?」


 するとエステルがむっとした顔になる。


「悪いですか?」


 きつく睨まれて、アーサーは何も言えなくなる。怖々、焦げたベーコンサンドを取り上げて、勇気を出して一口食べてみた。すると、炭を食べているような苦みは感じたものの、食べられないほど酷くはなかった。もう一口食べると、塩加減とソースの味加減が絶秒で思わず顔がゆるんだ。


「美味しい」


 するとエステルが頬を薔薇磯に染めた。


「本当ですか?」

「ええ。何度も噛みしめていると、この焦げた部分もそれなりに味わい深く感じます」

「よかった」


 心底ほっとしている様子が気になった。


「まるで貴女が作ったような顔をされるのですね」

「当然です。わたくしが作りましたから」

「はい?」


 アーサーは混乱した。


「え、どうして貴女が料理を……?」

「アーサー様がこの間おっしゃったではありませんか。料理はできないよりはできたほうがいいと」

「それは、確かにそう言いましたが、あれは貴女には関係のない話です」

「なぜです?」

「ぼくは今の暮らしになってしみじみ思ったんです。人生は何が起こるかわからないと。だから、自分のことは自分でできるようにならなければと思ったから言ったんです。公爵令嬢の貴女には無縁の話でしょう?」

「あら、わたくしだって父の庶子です。お兄様が家を継がれたら、追い出されてしまうかもしれません。この先、何があるかわからないのはアーサー様と同じです」

「いえ、貴女は大丈夫です」

「なぜ、そう言い切れるのですか?」

「……なんとなくあなたならどこに行っても今のようにたくましく生きていけそうな気がします」

「まあ、それはどういう意味ですか⁉」


 エステルが憤慨したので、アーサーは黙ってサンドイッチを摘まんだ。卵サンドに、卵の殻が入っていたのはご愛敬だ。アーサーの後から卵サンドを食べたエステルはやや情けない顔をしていたが、黙々とたいらげた。


「次はもっと精進しますわ」


 またやる気かとアーサーは呆れた。


「……別にそんなに頑張らなくても」

「わたくしだって、アーサー様のために美味しい料理を作りたいんです。ただでさえ毎日騎士団の任務で大変なんですから」

「騎士団には、専属の料理人がいますし、うちには、今のところフィアリーがいるから大丈夫ですよ」


 アーサーの言葉を聞いて、エステルがむくれながら言った。


「……どうせ、今のわたくしではフィアリーさんには敵いませんわ」

「なぜ、貴女とフィアリーを比較する必要があるのですか?」

「だってアーサー様、他の社交界に出るような女性とは距離を置きたがるくせに、フィアリーさんには壁を作っていないじゃありませんか」


 言われてみれば、たしかにそうだった。フィアリーにはなんの気負いもなく接することができていた。でもそれは――。


「フィアリーは既婚者ですよ?」

「寡婦だと聞いていますが」

「子供がいるんですよ?」

「それがフィアリーさんに恋をしない理由になるのですか?」

「ちょっとまってください。それではまるであなたがフィアリーに……」


 そこでアーサーは言葉を止めた。さすがにこの先を言うのは失礼だという意識が芽生えたからだ。だがエステルは深いため息をついた。


「そうです。ただの嫉妬です。……呆れましたか?」


 次の瞬間、アーサーは弾けるように笑った。


「貴女でも、こんなに可愛い真似をなさるのですね」


 料理上手のフィアリーに嫉妬し、対抗するために料理を作るなんて、公爵令嬢のすることとは思えなかった。アーサーが笑いながら隣に視線をやると、エステルは真摯な瞳でアーサーを見つめていた。その不安に揺れる、濡れたような色を見て、ふいに鼓動が高鳴った。甘酸っぱい感情が胸に押し寄せてくる。心の奥で未知の感情がうごめくのを感じ、なんだが急に恥ずかしくなって、アーサーは急いでエステルから視線を逸らした。


「フィアリーは、真面目な人です。それに子育て中の動物は、普通は、異性に心を向けたりしませんから」

「つまり、相手にとって自分は恋愛対象外だと思ったから、意識していなかっただけなのですか?」


 アーサーはしばらく考えると頷いた。


「……言われてみれば、貴女の言う通りですね。意識する必要がなかったから、普通に接することができていたのでしょう」


 エステルはまたため息をついた。


「……なんだか、自分のやっていることが馬鹿らしくなってきましたわ」


 次にエステルは、説教するように口を開いた。


「アーサー様、フィアリーさんは動物ではありません。人間ですよ」

「? もちろんわかっていますが」


 なぜかエステルは悩ましげに頭を抱えている。

 アーサーはふと思いついたことを口にした。


「そうだ。今日のお礼に、今度、ぼくが手料理をご馳走しますよ」

「まあ、アーサー様は料理ができるのですか?」

「留学していたとき、ほぼ、一人暮らしだったので。ああ、でも簡単なものしか作れませんから、貴女が満足できるようなものは作れないかもしれませんが」


 エステルは頬を紅潮させながら言った。


「アーサー様が作ってくださるのなら、どんなものでも構いません」

「貴女は何が好きですか?」

「昔、母が作ってくれたオムレツが大好きでした」

「自己流ですが、チーズオムレツならご馳走できると思います」


 エステルはにっこりと笑った。


「楽しみにしています」


 それから二人で、静かに湖畔の景色を眺め続けた。疲れた心が澄んでいくようだった。しばらくすると、アーサーは肩に重みを感じた。顔を向けると、エステルが健やかな寝息をたてながらアーサーにもたれて眠っている。起こそうかと思ったがやめておいた。おそらくエステルは、今日、お弁当を作るために早起きしたのだろう。きっと会えない間、料理の練習もしたに違いない。その証拠に、彼女の手は傷だらけだった。アーサーはくすぐったいものを感じながら、その微笑ましい光景をいつまでも見つめていた。




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