平凡な余暇
翌朝、仕事を終えたアーサーは、徒歩でティリの家まで帰っていた。留学経験があるので一人で街を歩くことに抵抗はなかった。むしろ、ギディオンの王都を馬車以外で移動した経験がなかったので、毎日新鮮だった。途中で市場に寄り道して、甘い焼き菓子を購入すると、アーサーは家路についた。
「ただいま」
「アーサー様、お帰りなさいませ」
待ち構えていたかのようにフィアリーが顔を出した。
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
もちろんジョゼも一緒だ。
「ジョゼ、お土産だぞ」
そう言ってアーサーは、焼き菓子の包みをジョゼに渡した。包みを手にしたジョゼはその匂いだけで中身を言い当てた。
「わあ、お菓子だ! やった!」
「アーサー様、お気遣いいただき、ありがとうございます」
フィアリーがぺこりと頭を下げてくる。
「気にしないでください」
「アーサー様、今日も一日、お疲れ様でした」
ティリが自室から出て来て、アーサーを出迎えた。
「アーサー様、食事の支度ができておりますが、いかがなさいますか?」
「ああ、いただく」
アーサーは一度、自分のために割り振られた部屋に入って着替えを済ませると、食堂に向かった。テーブルの上には素朴な料理が並んでいた。しかし、フィアリーの料理の腕はずば抜けていた。椅子に座って、律義にお祈りをすると、スープをスプーンですくった。
「うん、美味い」
一日の疲れも吹き飛ぶような美味しさだった。先に食卓に座っていたティリも、うんうん頷きながら満足そうな顔をしている。給仕をしながら、フィアリーは嬉しそうにしている。もちろんジョゼも食事に夢中だ。
その光景を眺めながら、アーサーはこの暮らしも悪くないなと思い始めていた。騎士団での鍛錬は苛酷だが、最近ではついていけるようになっていたし、周囲からもその努力を認められつつある。それに、侯爵家にいたときのように誰かに理不尽な命令をされることもない。アーサーはこの平和な暮らしをしみじみと噛みしめていた。
***
翌日は、非番だった。
朝から、剣の鍛錬に励んでいると、思いがけない訪問者が現れた。
「アーサー様、ごきげんよう」
エステルがにこにこと笑顔でティリの家にやってきたのだ。だが、家の玄関に立つ前に、庭で剣を握っていたアーサーを見つけ、垣根越しに声をかけられた。
「こんな朝早くにどうかなさったのですか?」
するとエステルは少しだけ不満そうな顔をした。
「用がないと来てはいけないのですか?」
「……そんなことはありませんが……」
エステルには就職先を斡旋してもらった恩義がある。それにまだ、一応婚約者であるので、無下にはできない。
「上がってください。今、お茶を淹れてもらいますから」
客間に足を踏み入れたエステルは、カウチに腰を落ち着けると、アーサーに訊いた。
「騎士団はどうですか? もう慣れましたか?」
「ええ、まあ。なんとかやっています」
「それを聞いて安心しました。アーサー様ならきっと務まると思っていました」
実際、鍛錬についていくだけで精一杯が現状のアーサーは、苦笑した。そこでエステルは荷物から長いリボンを取り出すと、おもむろに立ち上がって、アーサーの隣に移動した。怪訝に思っていると、エステルは何かを確かめるようにアーサーの腰に向日葵の色をしたリボンを巻く。吐息がかかる距離まで顔が近づいたので、アーサーはぎょっとした。
「! エステル、何を」
「ご協力ありがとうございます」
エステルはあっさりと身体を引くと、席に戻り、大切そうにリボンを荷物に入れた。
「いったい、何の真似ですか?」
「それは、これからのお楽しみです」
居間の扉が丁寧にノックされた。
「失礼します」
フィアリーがお茶を運んで来たのだ。
それまでにこやかに笑っていたエステルから笑顔が消えた。
「……あなたはたしか、リトンの街にいらした……。どうして、あなたがここに……?」
フィアリーが恐縮するそぶりを見せたので、アーサーが説明した。
「彼女が職を探していたので、この家を紹介したんですよ。もっとも今ではぼくもお世話になっていますが……」
「もしかして、住み込みで働いているのですか?」
「ええ」
「つまり、一緒に住んでいるのですよね?」
「はい」
当たり前のことを訊かれ、アーサーが頷くと、エステルはたちまち不満を燻らせた顔になった。フィアリーはお茶とお茶菓子をテーブルの上に置くと、ぺこりと頭を下げて出て行った。アーサーはいつものように菓子を摘まむと、ぱくりと口に放り込んだ。
「うん。美味い」
その姿をエステルは、唇を尖らせて見ている。
「美味しいですよ。あなたもどうですか?」
少しだけ躊躇っていたエステルは、恐る恐るといった様子で手を伸ばすと、クッキーを口に運んだ。サクサクのクッキーを咀嚼すると、エステルは悔しげに言った。
「……美味しい」
「でしょう?」
「アーサー様は料理ができる女性のほうがお好きですか?」
「それは、できないよりはできたほうがいいんじゃないでしょうか。いざというときのために」
侯爵家を追い出されてアーサーはしみじみと思ったのだ。今はティリの家に厄介になっているから、住む場所の心配をしなくて済んでいる。留学先で一人暮らしの経験があるのである程度のことは自力でできるが、またいつ住む家を失う羽目になるとも限らない。そのときのために、せめて料理くらいできたほうがいいのではないかと。
アーサーの言葉にはそんな想いが込められていたのだが、エステルの顔に笑顔はない。唇をきゅっと噛んだエステルは、さっと立ち上がった。
「わたくし、今日はこれで失礼します」
「……ああ、はい」
突然来て、突然帰ると言われ、アーサーはただ頷くしかなかった。玄関先でエステルを見送ると、ティリが部屋から出て来た。
「アーサー様、お嬢様は帰られたのですか?」
「ああ」
ティリは困惑した様子で言った。
「侯爵家の後継者ではなくなったアーサー様にいったい何の用事がおありなんでしょうね」
「? さあ、暇なんじゃないのかな?」
「……まあ、暇つぶしにアーサー様の相手をなさっているということですか?」
アーサーは首を傾げた。
「うん。まあ、そういうことになるのか、な……?」
正直、なぜエステルが今もアーサーに関り続けるのか、自分でも理由がわからなかった。
「まあ、わがままなご令嬢ですこと。どうせ満足にお茶ひとつ淹れられないのでしょうね。控えめなフィアリーさんとは大違いだわ」
攻撃的なティリの言葉にアーサーは苦笑するしかなかった。




