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新しい生活


「ほら、そこ! 脇が甘いぞ!」


 激しい剣戟が訓練場のあちこちから響きわたる。アーサーの目の前で騎士たちが鍛錬に汗を流している。アーサーの隣で練習を見学していた騎士団長のザックスが、快活そうに笑った。


「まさか、侯爵令息を騎士団にお迎えできるとは思っていませんでした。それにしても、大変な目に遭われましたな」


 ザックスはすべての事情を知っていた。


「……敬語は止めてください、ザックス殿。あなたはわたしの上官なのですから」

「では、失礼して。アーサー君、これからよろしく頼む」


 ザックスはにかりと笑ってみせた。


「こちらこそよろしくお願いします」


 エステルがアーサーに紹介した就職先はなんと騎士団だった。エステルがどこかから持ち出したコネを利用して、アーサーを騎士団にねじ込んだのだ。アーサーとしてはもっと静かな仕事がよかったのだが、元侯爵令息を雇ってくれる職場は限られていた。それに騎士団は市井で働くよりも給料が破格によくて、結局、エステルに言われるままに就職を決めたのだ。またザックスは、その昔、父アドルフの依頼でアーサーに剣を教えたことのある人間だったので、顔見知りだったこともあり、安心できると思った。


「では、さっそくだが、ザクセン公を打ち負かしたというその腕を見せてもらおうか」


 ザックスがアーサーに剣を投げて寄越した。


「え、待ってください。わたしの仕事は、内勤だと聞いていましたが」

「まさか。君を遊ばせておくほど、わたしは愚かではないよ。君は、わたしがその昔、百年に一人の逸材と見込んだ存在だからね」


 先に剣を抜いた百戦錬磨のザックスを前にして、アーサーは冷や汗をかいていた。ここ数ヵ月、ろくに鍛錬もしていないのに、勝負になるわけがない。自分の剣の腕がここで通じるのか、正直、自信がなかった。それでも、この戦いから逃げたら仕事を失う羽目になる。覚悟を決めたアーサーが剣を構えると、鍛錬に励んでいた騎士たちが手を休め、興味津々に注目するのがわかった。


「国王陛下の懐刀の腕前が見られるぞ」


 揶揄するような声に、アーサーの緊張は増した。どうやら自分を歓迎していない人間も少なくなさそうだと思った。当り前だ。見習い期間を経ずに騎士団に入れたのだから。無様な姿は見せられないと冷や冷やしていると、ザックスが先に踏み込んできた。容赦なく剣を叩き込まれ、アーサーは受け止めるだけで精一杯だった。剣を持つ腕が痺れた。そのまま、幾度も攻撃を繰り出されたが、ザックスには隙がなく、反撃することは難しかった。だが、剣を払われそうになったとき、ザックスの踏み込みが深くて、一瞬の間が生まれた。アーサーが攻勢に転じると、周囲が息を呑んだ。刃がぶつかり合う音が訓練所内に激しく響く。やがて、アーサーの攻撃をザックスは軽やかに受け流し、剣を斜めに振るった。強烈な一撃に、アーサーの手から剣が弾け飛び、床を滑った。


「やれやれ、この程度か。もっと鍛える必要がありそうだな」


 肩で息をするアーサーを尻目に、ザックスは息ひとつ乱さずに言った。完敗だと思った。悔しさが胸にこみ上げてくる。ザックスが去ったあと、落ち込むアーサーに、声をかけてくる者がいた。


「そんなに気を落とすなよ。あの騎士団長に初手で一太刀入れられる人間は、この騎士団には半分もいないんだぞ」

「だが、今のままでは国王陛下の懐刀の名が泣くな」


 みながどっと笑った。

 歓迎の温かい空気に包まれて、アーサーもようやく笑うことができた。剣を鞘に納めると、アーサーは騎士団員のほうを向いて深々と頭を下げた。


「若輩者ですが、これからよろしくお願いします」


 元侯爵令息の礼儀正しい姿を見て、みなほうとため息を漏らした。


***


 一ヵ月、鍛錬の日々が続いたあと、アーサーの配属先が決まった。なんと恐れ多いことに王太子殿下の身辺警護だった。


「……なんでぼくが……」


 新人騎士にとっては荷の重い仕事だった。だが同僚の騎士たちは意外そうな顔はしなかった。


「王太子殿下の護衛になる第一条件は、容姿の端麗さだからな。大丈夫だ。腕の立つ護衛なら、もう他に何人もいるから」


 自分の容姿が優れているという自覚はアーサーにはなかったが、そう言われても嬉しくなかった。ザックスに連れられて、着任の挨拶に行くと、王太子ヴォルフはアーサーを見た瞬間、にこりと笑った。


「やあ、君がアーサー君か。会いたかったよ」


 面白がるように見られ、アーサーは身についたばかりの騎士の礼を取りながら、怪訝に思った。ヴォルフとはほぼ初対面なのに、向こうはアーサーのことをよく知っているような口ぶりだった。疑問が顔に出ていたのだろう。ヴォルフが言った。


「エステルから何も聞いていないのかい?」

「え?」

「ああ、知らないのか。わたしとエステルは幼馴染なんだよ。エステルに頼まれて君を騎士団に推薦したのもわたしだ」


 ぎょっとした。エステルがそんなに強力なコネクションを持っているとは思いもよらなかった。


「これでも、一度は婚約話が浮上した仲でもあるんだよ。婚約者としては焼けるだろう?」

「……はあ」


 反応の薄いアーサーを見て、ヴォルフが大笑いした。


「なるほど。今のところエステルの一方通行というわけか。気の毒に」


 そう言いながらもヴォルフは笑いをかみ殺している。どうやら自分は遊ばれているようだ。なかなか一筋縄ではいきそうにない人物だというのが、アーサーがヴォルフに抱いた感想だった。アーサーは自分の騎士生活が前途多難なものになることをひしひしと感じていた。


***


 王太子ヴォルフは、非常に多忙な人だった。

 朝は侍女や従僕たちよりも早く起きだして、自力で身支度を整えると、各国にいる大使から届いた近隣諸国の政情に関する書類に目を通し、朝食を食べながら官吏とその日の打ち合わせを行う。そして、昼食を摂る暇もなく、謁見を行い、貴族たちの陳情に耳を傾け、公正な判断を下す。夜は執務を切り上げると、休むことなく、父王との晩餐で情報交換を行っている。アーサーは自分が侯爵家にいたとき、よく自分は忙しいと思っていたが、ヴォルフの苦労は、アーサーの比ではなかった。容姿も整っており、完璧な貴公子として近隣諸国にもその名をとどろかせていたが、そんな彼の唯一の欠点はもう二十歳を過ぎているのに、いまだに婚約者がいないことだった。彼の伴侶が務まる令嬢は、この国にはおらず、よその王室から花嫁を迎える話も出ているらしいが、周辺諸国との兼ね合いを考えると、誰に決めたらいいのか周囲も気を揉んでいるということだった。


 深夜、ようやく寝衣に着替えると、眠るのかと思いきや、ヴォルフは夜勤の任についていたアーサーに質問した。


「ねえ、アーサー君、どの姫君がいいと思う?」

「……失礼ながらわたしにはわかりかねます」


 ヴォルフの前には、いくつもの肖像画が並べられていた。彼に娘を嫁がせたいと願う王室から届けられたものだった。テラスにそっと寄り掛かる姫君の肖像画から、読書をしている肖像画、ダンスをしているものまであった。


「どの姫も麗しいけど、性格は本人に会ってみないとわからないしね」

「では、お会いになればよろしいのではありませんか」


 ヴォルフはため息をついた。


「アーサー君はわかってないな。わたしの立場で直接顔を合わせるということは、縁談を受け入れることと同義なんだよ」


 たしかにそうだと思い、アーサーは沈黙した。肖像画を眺めながら、ヴォルフは眉間に皺を寄せている。とてもではないが、未来の花嫁を選んでいる顔ではなかった。


「殿下、もうお休みになられませんと、明日に支障をきたしますよ」

「……ああ、わかってる」


 ヴォルフが寝台に入ったので、アーサーがランタンの火を消そうとすると、彼はぽつりと言った。


「アーサー君は、自由に恋ができていいね。羨ましいよ」


 アーサーは返す言葉に困った。

 ヴォルフはふっと笑った。


「冗談だよ。おやすみ」


 ヴォルフが目を閉じるのを確認すると、今度こそアーサーはランタンの灯を吹き消した。


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