敗残者の行方
「まあまあ、アーサー様。どうなさったのですか?」
「すまない、ティリ。しばらく家に置いてほしい。事情があって邸に帰れなくなった」
いきなりシェリジアに戻れるはずもなく、行き場を失ったアーサーが頼ったのは、乳母の家だった。
「事情って?」
どう話していいか迷っていると、家の奥から若い女性が姿を見せた。てっきり、嫁に行ったティリの娘が遊びに来ているのだろうと思ったら、別人だった。
「アーサー様、お久し振りです」
フィアリーがぺこりと頭を下げた。
そういえば騒動が続いてすっかり忘れていたが、フィアリーには、ティリの家で働くための紹介状を渡していた。
「アーサー様、いい子を紹介してくれてありがとうございます。最近、足腰がすっかり弱くなっていたので、助かってるんですよ」
「そうか。それはよかった」
「とりあえず、アーサー様、あがってください。フィアリーさん、アーサー様にお茶を淹れて差し上げて」
「かしこまりました」
フィアリーの姿は、キッチンの奥へと消えていった。
居間に案内されると素朴な家具がそろっていた。侯爵家のような華美さはないが、逆にほっとするものを感じた。
くつろいだ気分でソファーに座ると、ティリに訊かれた。
「それで何があったんですか?」
「実は……」
アーサーは異母兄が現れて、侯爵家の後継ぎの地位を譲ることになったと話すと、ティリは憤慨した。
「まあ、あんまりな話じゃありませんか! アーサー様の何が不満だというのです!」
「ティリ、違う。ぼくが不甲斐なかっただけだよ」
ファビエンヌに言われた、家を嫌ってシェリジアに逃げたという言葉が鋭く胸に突き刺さっていた。――事実だったからだ。
「正直、重荷だったからこうなってほっとしている」
だがそれと同じくらい失望していた。
家族に必要ないと言われたのも同然だったからだ。
「アーサー、済まない」
結局、父も最終的にはマシューを後継ぎにすることを了承したのだ。だから、別れ際、アーサーに謝罪した。自分から家を捨てるのと家族から見放されるのとでは重みが違った。
留学から帰ってくるとき、あれほど嫌がっていたのに、今では家を離れたことを寂しく思っていた。
アーサーの言葉を聞き、ティリは泣いた。
「アーサー様は本当に昔からお優しいから……。そういう事情なら仕方ありません。好きなだけ、この家にいてください」
「すまない、ティリ」
「謝らないでください。また、アーサー様のお世話が焼けるのなら光栄です」
そうは言ってもティリは、アーサーを侯爵家の跡取りとして育てるべく働いてきた人間だ。誰よりも悔しいに違いなかった。
と、控えめに扉がノックされる音がした。フィアリーがお茶を運んできたのだ。アーサーがこの家に来てから、だいぶ時間がたっていたので、恐らく会話がひと段落するのを見計らって入ってきたのだろう。気の利く女性だ。
「香草茶です。疲れに効くんですよ」
自分は今、よほど疲れた顔をしているのだろうと思った。
「ありがとう、フィアリー」
カップを持ち上げて香草茶を口に含むと、全身から力が抜ける感覚がして、不思議と気分が落ち着いた。
「フィアリー、客間を片付けてきてくれない?」
ティリの言葉にフィアリーは頷いた。
「どなたかお客様がいらっしゃるのですか?」
「違うのよ。アーサー様が泊まるの。今日から一緒に暮らすことになったから、大変だろうけど、アーサー様は手のかからない方だから安心してちょうだい」
「え!」
フィアリーはなぜか赤くなった頬を両手ではさんで、ひどく驚いた様子を見せた。
***
それから三日後、ティリの家を訪れたのは、エステルだった。
「手紙をいただいたときは何事かと思いましたわ」
侯爵家を出たときは呆然自失の状態だったので失念していたが、自分には仮初めの婚約者がいたことをアーサーは一日たってから思い出したのだ。
簡素な客間でアーサーと向かい合わせに座ったエステルは、買い物に出かけたフィアリーの代わりにティリが淹れた紅茶を口にしながら言った。
「……手紙にも書いた通り、事情が事情ですから、これ以上、婚約を続けることはできません。幸いザクセン公は大人しくしていると聞いていますので、そろそろ、お役御免のいい機会かと思って……」
「―——それは受け入れられません」
「は?」
「アーサー様には、公爵家が肩代わりした借金の分まで働いてもらわないと困ります」
「いや、ですが、次期侯爵家の跡取りではなくなったぼくと、公爵令嬢である貴女とでは不釣り合いにもほどがあります」
するとエステルは意味深に笑った。
「お忘れですか? わたくしは父の庶子です。釣り合いなど考えていただく必要はありません。婚約も解消するつもりはありません。……ところで、手紙には、シェリジアに戻る予定だと書いてありましたが、失礼ながら一度退学した大学にはもう戻ることができないのはご存じですよね?」
アーサーは言葉に詰まった。それは最初からわかっていたことだった。おまけに自分一人では学費を支払うあてもなかった。
「……たしかに大学に復学することはできませんが、向こうには知り合いも多いし、仕事には困らないだろうと思っています」
いつまでも隠居したティリに甘えることなどできない。とにかく身の振り方を決めなければとアーサーは考えていた。
「あら、お困りなら、わたくしにいい考えがあります」
「え?」
「わたくしがアーサー様に相応しい就職先をご紹介しますわ」
エステルは、にっこりと笑った。




