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アマーリエの秘密

 翌日、バルサットの大使夫妻は、王太子ヴォルフの案内で、劇場を訪れていた。ギディオン王国で話題の舞台、『ビオレッタ』を観にやってきたのだ。観劇が好きなようで、カテリーナは、遠眼鏡を手にわくわくしていた。もちろんアーサーは、王太子の護衛として、付き添っていた。


「ここの劇団の舞台はたいそう素晴らしいと評判なのよ」


 興奮するカテリーナにヴォルフが言った。


「アマーリエという名のギディオンでも屈指の女優が主役なんです。昨夜、ご紹介したシェーンベルグ公爵令嬢の母親でもあるんです」

「まあ、昨夜のお美しいお嬢さんのお母様の舞台だなんて、それはますます楽しみだわ」


 どうやらバルサット王国には、女優の娘という偏見はないようだ。やがて舞台の幕が開いた。アーサーも一度見たことのある物語が、目の前で繰り広げられている。カテリーナは食い入るように舞台を見つめていた。だが、やがて貴賓席から身を乗り出さんばかりに、前のめりになったので、バンクス大使が慌てて止めに入った。


「お前、もっと大人しく観れんのかね?」


 すると必死な形相でカテリーナは言った。


「あなた、それどころじゃないのよ!」

「これ、静かにしなさい。いったいどうしたというんだい?」

「あの舞台に立っている女優、アンヌマリーにそっくりなのよ!」


 ヴォルフが怪訝な表情でカテリーナを見た。


「アンヌマリーとは……?」


 血走った目で舞台を観るカテリーナに代わって、バンクス大使が答えた。


「……たしか、カテリーナの従姉で、王家に準ずる家柄の令嬢のはずですが、でもそんなまさか……」

「いいえ、わたしがアンヌマリーを見間違えるものですか! 姉妹のように育った仲なのよ」


 ヴォルフは思案する顔になると、こう言った。


「では、舞台が終わったあと、彼女にお会いになりますか?」

「ぜひ、会わせてください!」


 こうして舞台のあと、大使夫妻は、アマーリエの楽屋を訪れた。従者の一人が扉を開けると、カテリーナが室内に駆け込んだ。


「あなた、アンヌマリー、アンヌマリーでしょう⁉」


 驚いた様子でアマーリエが振り返った。大使夫妻が面会を申し込んでいるとしか聞かされていなかったので、驚いているようだ。


「……カテリーナ」


 アマーリエは小さく呟いたあと、はっと自分の口を抑えた。だが、遅かった。


「やっぱりあなたはアンヌマリーなのね。ああ、あなたがバルサットを出奔してから、どれだけ会いたかったことか!」


 カテリーナがアマーリエをひしと抱きしめた。


「なんて偶然かしら。でも、あなた、ずっと女優に憧れていたものね。あなたの舞台、見せてもらったわ。とっても素晴らしかった」


 アマーリエは従妹をなだめながら言った。


「……カテリーナ、わたしも会えて嬉しいわ。でも、お願いがあるの。どうかここでわたしと会ったことは内緒にしてちょうだい」


 カテリーナが少しだけ哀しそうな顔をした。


「……そう、そうよね。貴女は夢を叶えたんだものね。わたしと今さら会っても迷惑よね」

「そういうわけじゃないのよ、カテリーナ……」


 アマーリエは心底弱り切っている。カテリーナは目じりに浮かんだ涙を拭きながら言った。


「大丈夫。約束するわ。あなたと今日会ったことは、秘密にするって」

「ありがとう、カテリーナ」

「でも、これから手紙くらい書いてもいいでしょう?」


 アマーリエははにかむように頷いた。


「ええ、もちろんよ」


 数十年ぶりに再会した二人は、その夜、心ゆくまで語り合った。

 だが、一週間後の新聞が状況を一変させる。


***


『独占情報! 謎多きアテネ座の女優アマーリエの正体は、バルサット国のアンヌマリー・メンサドーラ公爵令嬢だった!』

 

 その新聞をアーサーは、早朝に早出で出勤した騎士団で目にした。どこから情報が漏れたのだろうかと驚いた。バルサットの大使夫妻はすでに帰国していた。


「……これは、大騒ぎになりそうだな」


 このときアーサーが抱いた感想はそんなものだったが、後々、この事実はギディオンを震撼させる出来事へと発展する。


***


「お父様、これはどういうことですの?」

 

 朝早く新聞を手にしてエステルが父の寝室に駆け込むと、同じように新聞を手にしたシェーンベルグ公爵がベッドの上で呆然としていた。その反応を見て、エステルは確信した。


「……お父様もご存じなかったのですね」

「ああ、たった今、初めて知った」


 公爵は手を小刻みに震わせている。


「……これは何かの間違いではないのか……?」

「ギディオン日報は、多少話を盛ったりしますが、嘘は書きませんわ」

「そうか。では、アマーリエは本当に……」


 エステルは目をすがめた。


「お父様、まさかこれを機にお母様を正式に公爵家に迎え入れようだなんて思ってませんよね?」


 公爵の手の中で新聞がくしゃりと歪んだ。


「それの何が悪い⁉ これで反対する親族の声を抑えることができるのだぞ!」 


 エステルは盛大なため息をついた。


「そんな真似をしてお母様が喜ばれると思いますか?」


 女優はアマーリエの生き甲斐なのだ。公爵家に入れば、夢を奪ってしまうことになる。


「いや、だが、しかし……」


 公爵はしばしの逡巡の末、ベッドから起き上がると、ガウンを脱いだ。


「とにかく、アマーリエに会ってくる」


 着替えるから出て行けと追い払われ、エステルは素直に従った。


「まったくお父様ときたら、諦めが悪いんだから……」


 エステルはやれやれと肩を竦めた。

 自室に戻ったエステルはもう一度新聞を眺めた。まさかアマーリエが実は高位貴族の出だったとは、さすがのエステルも驚きだった。なぜならアマーリエは完全に市井の女性になりきっていたからだ。


「お母様の演技も筋金入りですわね」


 メイドにお茶を淹れてもらったので、エステルは新聞を脇によけ、朝餐に手をつけた。


 それから数日は、何事も起きずに平和に過ぎていった。

 夜会に参加しても、他の貴族たちは、どこか遠巻きにエステルを見ている。


「……アーサー様とご一緒できたらよかったのに……」


 こんなに寂しい気持ちになることもなかっただろうに、とエステルは嘆息した。

 事態が急変したのは翌々日のことだった。

 その日、国王に呼び出されたエステルは、寝耳に水の話を聞かされる。


「わたくしとヴォルフの縁談?」


 国王は頷いた。


「バルサットの王から直々に打診を受けている。今、バルサットと我が国の関係があまり思わしくないのは、そなたも知っているだろう?」

「はい」

「実はその原因になったのは、わが弟の愚行なのだよ」


 エステルは息をのんだ。


「……まさか、ザクセン公ですか?」


 国王は頷いた。


「弟が酒に酔って暴れて、バルサットの貴族に怪我を負わせたのだ。バルサットの王もさすがに捨て置けぬ事態だと判断したようだ。だが、今、小競り合いをしている場合ではない。我が国とバルサット王国が争えば、南のカシムール王国が我が国に攻め寄せる可能性がある。だから、両国の架け橋となる存在が必要なのだ。そなたがヴォルフの幼馴染で、二人がたいそう仲がいいこととアンヌマリー姫のことを帰国した大使が王の耳に入れてしまったらしい。それなら自国の姫を嫁にやるよりは、准王族のアンヌマリー姫の子供と縁を持たせたほうがいいのではと判断したようだ」


 エステルは手にした扇子を握りしめ、毅然と答えた。


「申し訳ありませんが、お断りします。わたくしには、すでにアーサー様という婚約者がいますから」

「だがまだ、正式な婚約ではないはずだが?」


 はっとした。失念していたが、貴族の結婚には国王の許可が必要なのだ。自分とアーサーの婚約はまだ正式に認められてはいなかった。いつもはエステルに気安くしてくれる国王も、このときばかりは厳しい為政者の顔をしていた。


「聡いお前なら、わかってくれるな? これが国にとって最善の選択だということを」

「ですが……!」

「そなたもヴォルフのことを嫌っているわけではあるまい?」

「それはそうですが……」

「この話を断ったら、シェーンベルグ公爵家は王家を敵に回すことになるぞ。もちろんジーニアス侯爵家もな」

「っ!」


 その後、エステルは自分がどう答え、何を口にしたのか覚えていなかった。ただ、国王の意思に逆らえる立場ではないと思ったので沈黙し続けたが、気がつくと、ヴォルフとの縁談がまとまっていた。エステルを可愛がっている父にもどうすることもできない問題のようで、アーサーのときのように「娘はやらん」とは言ってくれなかった。ただ、外的には良縁のはずなのに、その顔に喜びはなかった。


「アーサー様……」


 夜、一人の部屋で、窓辺に立ったエステルは恋しい人の名を呼んだ。




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