本当の後継者
リトンの街から邸に戻ってから、半月が過ぎた。
アーサーは、読んでいた本のページを閉じて欠伸をした。もう邸の中を自由に動き回れる程度には回復しており、仕事にも復帰していた。しかし、父もアーサーを気遣って、早めに仕事を切り上げるように命じてくるのだ。急ぎの用事もなかったので、アーサーは父の命令に従って、余暇を過ごしていた。
久しぶりに本に目を通していると、扉をノックする音がした。入室を許可すると、なんと現れたのはアドルフだった。アドルフの顔色を見た瞬間、アーサーはなぜか父の話を聞きたくないと思った。嫌な予感がし
たからだ。しかし、父の顔色は青ざめ、その表情が話を聞いてくれと訴えている。
「アーサー」
「…………」
「聞いてくれ、アーサー」
アーサーは必死に目で本の文字を追った。だが、アドルフは聞こえないふりをしている息子に、泣きそうな顔で告げた。
「お前に大切な話がある」
アーサーはしかたなく本のページを閉じ、アドルフに視線を向けた。
「なんですか、父上」
「そう嫌そうな顔をするな。……まあ、いい話でもないんだがな」
「だから、何の用ですか?」
「——お前には生き別れの兄がいる」
「……は?」
寝耳に水の話に、アーサーはぽかんとなった。しばらくして我を取り戻すと、アーサーは口を開いた。
「え、兄とは、母上の子供なのですか……?」
アドルフの顔色が曇ったので、アーサーは表情を険しくした。
「どういうことですか、父上?」
「……そう責めるような目を向けないでくれ。わたしだって困惑しているのだよ」
「……どこの女性との間の子供なのですか?」
「……その昔、まだわたしが若かりし頃、落ちぶれた男爵家の娘と恋に落ちたのだよ。その娘とわたしは愛し合っていた。だが、わたしの次期侯爵としての立場がそれを許さなかった。同じころ、メリッサとの結婚も決まって、わたしと彼女は泣く泣く別れたのだが……」
アーサーはため息をついた。
「で、その娘との間に、子供がいたと?」
アドルフはしゅんとした顔で頷いた。
「父上の子供だという確証はあるのですか?」
「……ある。わたしは娘に、もし子ができたら、その証にと短剣を渡していた。エメラルドが象嵌された立派な剣だ。お前がリトンの街で手に入れたやつだ。……わたしはどうしたらいい、アーサー」
そんなこと侯爵家当主の父に聞かれても困るというものだ。アーサーにどうにかできる権限はない。
「父上はどうなさりたいのですか?」
「できたら正式に引き取りたい」
「——無理ですね。母上と姉上たちが許すとは到底思えませんから」
「だ、だが、わたしが唯一愛した人との間の忘れ形見なのだぞ? 放っておけるわけがないだろうが!」
アーサーは頭が痛くなった。今の話をメリッサが聞いたら、さぞかし怒髪天の勢いだろう。メリッサがアドルフをどう思っているのかアーサーはよく知らないが、母は貴族としてのプライドの高い女性だ。すでにアーサーという後継ぎをもうけているのに、婚外子など許せるはずもなかった。
「お前には血も涙もないのか!」
アーサーは頭痛をこらえる仕草をした。相談されて逆切れされたのだから当然だった。
「……その父上の昔の恋人はどうしているのですか?」
子供がいることを盾に取り、何か要求されたら困ったことになると思った。しかし、アドルフは首を振った。
「彼女は、エバーリーンは十年前に流行り病で亡くなったそうだ……」
さすがに気の毒になった。アドルフが手を出さなければ、亡くなった女性ももっと楽な生き方があったかもしれないのにと思った。没落した貴族の娘で未婚で子供がいたら、さぞかし大変だっただろう。
「とりあえず、その女性の子供に会わせてください。それからどうするか考えましょう」
「おお、アーサー、ありがとう! さすが我が息子! 頼りにしてるぞ!」
アドルフの調子の良さに、アーサーは内心ため息をついた。
***
アドルフの婚外子との再会は、郊外にある侯爵家の別邸で行われた。
「おお、その青い瞳、エバーリーンに生き写しだ!」
アドルフは自分の子供を見た瞬間、感動の涙を流した。
「君、名前は?」
「マシューです」
「そうか、マシューというのか。エバーリーンはわたしたちの子供に、そんなにも深い思いを込めて名付けてくれたんだな」
マシューという名は、古代セフィロ語で「神様の贈り物」という意味があった。一方のマシューのほうは、怯えるようにアドルフを見ていた。その顔かたちは、アドルフに似ていないこともなかった。おそらく母親似なのだろう。
「わからないのかい? わたしが君の父親だよ」
「あなた様のような貴族様が本当に……?」
「エバーリーンはわたしのことは何も話していないのかね?」
マシューはまごつきながら言った。
「母は昔のことはあまり話したがりませんでしたから……」
マシューの言葉を聞いて、アドルフは寂しそうに俯いた。
「ただ、この短剣だけは大切に持っておくようにとは言っていました」
マシューが短剣を取り出すと、次の瞬間、アドルフは表情を切り替えた。
「この短剣は本当に君のもので間違いないんだね?」
「はい。母が死の間際に渡してくれたものです」
アドルフはうっすらと涙ぐむ、驚くべきことを告げた。
「これまで苦労をかけてすまなかった。もう今後の生活の心配はしなくていい。わたしが全責任を持とう」
「! ちょっと父上!」
背後からアーサーは父の肩を掴んだ。そして小声で言った。
「話が違います。父上の隠し子と会ってからどうするか、決める約束でしょう?」
「お前は、この子の様子を見ても胸が痛まないのか!」
たしかにマシューはやや薄汚れた格好をしており、ひどく痩せていた。今までの苦労がしのばれる姿だった。
「ですが、母上たちにはなんと説明されるおつもりですか⁉」
アドルフは、ぽんとアーサーの肩を叩いた。
「アーサー、任せたぞ」
父の言葉を聞き、アーサーは激しく脱力した。
おかげでその日から、この話をメリッサたちにどう切り出すべきか悩むことになった。
だが、マシューと会ってから一週間後、朝餐の席で、メリッサが思いがけないことを口にした。
「あなた、郊外にこじんまりとした一軒家を購入したと聞きましたよ。妾でも住まわせるおつもりですか?」
ぎくりとアドルフの顔が凍り付いた。まさかこんなに早くメリッサに情報を掴まれるとは思っていなかったのだろう。
「妾を持つことに別に反対はしませんが、そういうときは事前に相談してくださいと前に言ったはずですが?」
ぴしりと言われ、アドルフの顔が目に見えて青ざめていった。
「いや、そのことについては……」
「それとも、どこぞの女に産ませた子供でも住まわせるおつもりですか?」
―——見抜かれている、とアーサーは思った。母の厄介ごとを嗅ぎつけるか勘の鋭さにアーサーは恐れおののいた。
口をあわあわさせるアドルフに苛立ったメリッサは、食事もそこそこに席を立った。
「わたし、実家に帰らせてもらいます」
つんと顎を逸らしたまま、部屋を出ようとするメリッサをアドルフが追いかける。
「待ってくれ、メリッサ」
メリッサの肩に手をかけようとしたアドルフは、だが振り返った妻にぎろりと睨まれ、その場に立ち尽くしてしまった。メリッサが退席した後、シェリーが言った。
「やだ、お父様に隠し子がいるなんて。不潔」
「男なんてそんなものよ、シェリー」
モーリオンが肩を竦める。
「じゃあ、モーリオンお姉さまは、将来の旦那様がよそに女性を囲っても許せるの?」
「あら、ジュリアス様はお父様と違って誠実な方よ。妾なんか作らないわ。てか、作らせないし」
「―——妾ではなく、結婚前の恋人との子供だそうですよ」
アーサーがパンをちぎりながら話を遮ると、シェリーとモーリオンが互いに顔を見合わせた。
「アーサー、あんた、その隠し子と会ったの?」
「はい。三日前に」
たちまちモーリオンが興味津々になる。
「どんな人なの?」
「マシューという名の二十歳くらいの男性で、母親とは十年前に死に別れて、下町で暮らしてきたそうです。性格はよくわかりませんが、面立ちは少しだけ父上を彷彿とさせます。相手の女性は一応貴族ですが、家は没落していたそうです」
「ふーん、だから結婚できなかったってわけね」
「でも、だからって、結婚前の女性をはらませるような真似をするなんて、お父様、サイテーね」
シェリーは本気で怒っていた。
そのあとも、モーリオンとシェリーにいくつか質問されたので、アーサーは知っている限りのことを話した。おかげで朝餐は長引いたのに、食事はあまり進まなかった。
昼過ぎ、いつものようにアドルフと仕事をしていたアーサーは、だが幾度もため息をつく父を見て、嘆息した。昼前にメリッサがさっさと荷物をまとめて出て行ったから、アドルフは落ち込んでいるのだ。正直、家格のつり合いだけで結婚したはずの母が、隠し子騒動にあれほどの怒りを見せたことは思いがけないことだったし、メリッサに出て行かれて父が落ち込んでいることも意外だった。書類をめくる音だけが響く部屋にメイドがやってきて、ファビエンヌの来訪を告げた。アーサーを呼んでいるらしかった。渋々、居間に行くと、モーリオンとシェリーも一緒だった。深刻な雰囲気を察してメイドが部屋を出て行くと、ファビエンヌが言った。
「アーサー、お父様の話は聞いたわ。で、お前に大切な用事があるの」
正直、嫌な予感しかしなかった。
「その隠し子に会わせなさい」
やっぱりかとアーサーはうなだれた。面倒事の予感を感じて、口をつぐんでいると、ファビエンヌが声を低くした。
「まさか、嫌なの?」
否やを許さない声に、アーサーの背筋に寒気が走った。この姉たちが一度言い出した命令を引っ込めたことは今までなかった。
「いえ、その嫌というか、……父上には内緒でってことですよね?」
「当たり前でしょう? お父様なんているだけ邪魔よ」
本当にジーニアス侯爵家の男は立場が低い。だが、たしかに父がいたら、マシューを庇うのに必死になって会話にならないかもしれない。だからといって、この狂暴な姉たちにあのか弱い青年を会わせることには抵抗があった。相手は隠し子なのだ。何をされるかわかったものではないと思った。
「で、案内してくれるの、しないの、どっち?」
腹の底から響く声を聞いて、アーサーはうっと声を詰まらせた。どの道、アーサーがここで話を突っぱねても、姉たちがマシューの居所を突き止めるのは時間の問題だろう。それなら自分が立ち会ったほうがマシに違いない。
「……わかりました。ご案内します」
満足そうに笑う姉二人と妹を見て、アーサーは深々とため息をついた。




