王太子ヴォルフ
「最近、ご機嫌みたいだね、エステル」
華麗な花が咲き誇る庭園でお茶をしていると、茶化すように言われた。
「まあ、ヴォルフったら、理由を知っているくせに意地悪なことを言いますのね」
ヴォルフと呼ばれた青年はくすくすと笑った。
「長い付き合いだからね。――例の婚約者のことでも考えてたんだろう?」
エステルはうきうきと語りだした。
「アーサー様は素晴らしい方ですわ。見た目は麗しく、紳士的ですし、性格も控えめ、加えて剣術の才能もおありなのですよ」
「ああ、そういえば叔父上を剣で撃退したらしいね。新聞に書かれていたのを読んだよ」
「あのときの、アーサー様の剣さばき、あなたにもお見せしたかったですわ。それはそれは見事でしたのよ」
エステルが手を振り回して、その場を再現すると、ヴォルフはくつくつと笑った。
「叔父上には少しはいい薬になったかな? あの人は目的のためなら手段を選ばないところがあるからね。わたしの父も言うことを聞かせるのが難しいくらいだからね。……叔父上の暴挙から守ってあげられなくて悪かったね」
「おかげでアーサー様と出会えたのですから、今では逆に感謝したいくらいですわ」
ヴォルフは拗ねた口調で言った。
「なんだか悔しいな。幼馴染を取られたようで。君はわたしの婚約者になってもおかしくない立場だったのに」
エステルは肩を竦めた。
「あなたが欲しいのは、あくまで王太子妃にふさわしい女性でわたくし自身ではありませんでしょう?」
ヴォルフは苦笑した。
「しかたないよ。わたしは女性を気軽に選べる立場ではないから」
エステルはかつてギディオンの王太子であるヴォルフの婚約者にと望まれていた時期があった。しかし、エステルの母の血筋の低さが問題視され、話はすぐに立ち消えになった。
「本当に惜しいよ。これほどの美貌、教養、知性、気品を兼ね備えた女性は、このギディオンを探してもどこにもいないのに。君以上に王太子妃にふさわしい女性は他にいないのにね」
「愛のない結婚なんてごめんですわ」
「でも、わたしたちは互いに気心の知れた幼馴染だ。パートナーとしては立派にやっていけたのではないかな?」
「お断りですわ。あなたの腹黒さは信用できません」
ヴォルフはお腹を抱えて笑った。
「相変わらずはっきり言うね。腹黒いのはお互いさまなのに。でも君のそういうところがわたしは好きなんだけどね」
エステルは会話を無視して澄ました顔でお茶を口にした。
「……まあせいぜい君の本性を知られて婚約を破棄されないように気をつけることだね」
「余計なお世話です」
突っぱねながらも痛いところを突かれたと思った。
なぜならアーサーは、エステルから一歩引いて接していると思えるところがあるからだ。最初は本当に一時的な婚約のつもりだったのだが、エステルはアーサーがすっかり気に入ってしまった。彼と一緒なら人生を楽しく過ごせそうだと思うようになっていた。せっかく口うるさい父を説き伏せて婚約まで持ってきたのだから、エステルとしてはぜひ、このまま結婚までこぎつけたかった。しかし、アーサーがあからさまに乗り気でないのは見ていてわかった。あんな手紙をくれたのにどうしてと思ってしまう。やはり素の自分を見せたのが悪かったのだろうかと頭を悩ませていた。
扇子を口元に寄せため息をついたエステルがお菓子を摘まんでいるときだった。壮年の男性がヴォルフのそばまでやってくると地面に膝をつき、何事かを耳打ちした。男性は近衛騎士団の制服を着ていた。
「……え、ジーニアス侯爵が?」
聞き逃せない名前を耳にして、エステルはお菓子を食べる手を止め、ヴォルフを凝視した。
「参ったな。父上は明日にならないと王宮には戻られないし、主だった騎士も父上の視察に付いて行ってしまったし……」
「ジーニアス侯爵家がどうかしたのですか?」
思わず身を乗り出して話に加わると、ヴォルフがエステルのほうを見た。
「ジーニアス侯爵領で火災が発生したそうだ。侯爵は応援を寄越してほしいと父上に嘆願しているそうだ」
エステルは瞳を瞬いた。次の瞬間、いたずらを思いついた子供の顔になる。
「そういうことでしたら、わがシェーンベルグ公爵家の兵を派遣するようお父様にお願いしますわ。――婚約者ですもの。助け合うのは当然ですわ」
エステルはにっと人の悪い笑みを浮かべた。
それはとりあえず売れる恩は売っておこうという打算的な決断だった。




