波乱の予兆
その日の早朝、アーサーの眠りは激しく扉を叩く音で破られた。
「アーサー! アーサー!」
自分を呼ぶ声で覚醒する。
「アーサー、起きるんだ!」
執事のフェントンかと思いきや、なんとアドルフの声だった。急いで起き上がって扉を開くと、息せき切ったアドルフが叫んだ。
「アーサー大変だ。リトンの街で火災が起きた!」
「え!」
リトンの街とは侯爵領で一、二を争うほど栄えた街である。
「すでに鎮火したんですか?」
「詳細はまだわからん。これからリトンの街に向かう。お前も来なさい」
「わかりました」
アーサーは手早く乗馬服に着替えると、アドルフの後を追って、厩舎へと急いだ。使用人たちが二頭の馬に急いで鞍をつけている。準備が終わると、数人の共を連れ、アーサーはアドフルと一緒に馬に乗り夜明けの王都を疾走した。途中で休憩らしい休憩を取れないまま半日馬を走らせると、昼過ぎ、遠くにリトンの街が見えてきた。街全体に黒い煙がもうもうと立ち込めている。街を見降ろす丘の上には着の身着のまま逃げて来た人たちが不安そうに燃え盛る街を眺めていた。
と、一頭の馬が坂を登ってアーサーたちの元へと駆け付けた。
「侯爵様!」
騎乗したまま男が叫ぶ。
馬を操っていた男は、警備隊の恰好をしていた。
男はアーサーたちの前で素早く馬を降りると、地面に片膝をついた。
「わたしはリトンの街の警備隊長をしております、ロッカと申します」
「挨拶はいい。街はどうなっている?」
アドルフが口を開く。
こういうときは腐っても侯爵だなとアーサーは思う。これでも家の外では頼りがいのある主なのだ。
「……現在も数十名の隊員が消火にあたっていますが、風が強く、延焼を防ぐだけで精一杯の状況です。幸い避難が早かったので死者は出ていませんが、怪我人が多数でているもようです」
「わかった。すぐに医師と食料の手配をしよう。国王陛下にも兵を派遣してもらえるよう打診をしてみる。また侯爵家の別邸を解放し、そこに被災した民を集めるように指示を出せ」
「は。かしこまりました」
ロッカは素早く馬に乗ると、難民を誘導するために、街へと戻っていった。アドルフは付き従ってきた侯爵家の兵の一人を王都へと向かわせると、再び馬に乗った。
「アーサー、我々も行くぞ」
「はい、父上」
アドルフに従って、アーサーもまた街へと向かった。
それからアドルフは警備隊の指揮を取るために、領主の館へと向かった。そこには侯爵家の分家筋にあたる一族が住んでいた。
「これは侯爵! いらしてくれたのですか!」
頭の禿げあがった男が、アドルフを見つけて破顔した。
「無論だ」
「なんと心強い!」
アドルフは真顔でアーサーを振り返る。
「アーサー、お前には街の様子を見てきてほしい。危険だが、やってくれるか?」
「わかりました」
アーサーは馬首を返すと街の中心に向かって走り出した。
裏道に入ると、二人の男がもみ合っているのが見えた。
「頼む、見逃してくれ!」
「ふざけるな! 盗んだものを返せ!」
あたりにだんだんと煙が充満していくのが見え、アーサーは馬から降りると二人の間に入った。
「何をやっているんだ! 早く逃げないと死ぬぞ!」
すると商人といった風情の男が怒鳴った。
「冗談じゃない! こいつは火事場泥棒だぞ! うちの商品を盗みやがったんだ! 逃がしてたまるか!」
「違うんだ! これはもともと俺のものなんだ! 母の形見なんだ! ちょっと物入りだったから質に入れていたものなんだ!」
貧しい身なりをした年若い男が叫ぶ。
「……理由はどうあれ、盗みはよくない。で、君はいったい何を盗んだんだ?」
「あんたには関係ない! あんたいったい何様だよ⁉」
「ぼくは、ジーニアス侯爵家の者だ。立場上、犯罪をみすみす見逃すわけにはいかない」
二人の男は同時に短い悲鳴をあげた。アーサーの身なりと所作から、只者ではないと思ったのだろう。
「く、くそ!」
男は、アーサーに盗んだものを投げつけると、走って逃げだした。アーサーはすぐに後を追った。だが男の逃げ足は素早く、入り組んだ裏町で見失ってしまった。
ため息をついたアーサーが元いた場所に戻ると、商人の男もすでにその場から立ち去っていた。アーサーの手に男が投げつけていったものだけが残った。
「これは……」
思わず見惚れた。見事な細工の短剣だった。柄にエメラルドがはめこまれている。とてもではないが、一般市民が持てるような品には見えなかった。しかたなくアーサーは懐に短剣をしまうと、再び馬に乗った。
そして複数の警備隊が集まっているところで、馬を止めた。
どうやら警備隊の男たちは、古い建物を取り壊そうとしているところのようだった。すぐそばに火が迫っている。
「お願いです。待ってください!」
若い女性が悲鳴をあげている。女性が今にも建物に入ろうとしているところを男たちが押しとどめているところだった。
「あんた、危ないよ! もうこの建物は倒壊寸前だよ」
「でも、でも、息子がまだ中に!」
「諦めるんだ。早くこいつをぶち壊さないと、火の手が回っちまう」
そのときだった。
建物の中から子供のか細い泣き声が聞こえてきた。建物を取り壊そうとしていた警備隊の手も思わず止まった。困惑したように皆で顔を見合わせている。誰が助けに行くのかと目で探り合っているのがわかった。
アーサーは勢いよく馬から降りた。
「ぼくが行く」
アーサーは斜めに傾いた建物の中に飛び込んだ。
「あんた、危ないよ!」
誰かに肩を掴まれたが振り払った。
母親が叫んだ。
「二階の一番奥にいます。お願い、あの子を助けて!」
アーサーは頷くと、いっきに階段を駆け上がった。建物のあちこちにヒビが入り、今にも床が抜け落ちそうになっていたが、構わず走った。アーサーが通り過ぎたあと、いくつか床板が抜けた。言われた通り、一番奥の部屋の前までたどりつき、入ろうとしたが、壁が歪んでいて扉が開かなかった。何度か足で蹴ったが、無駄だった。今度は身体ごとぶつかると、扉がわずかに開いた。子供の泣き声が大きくなる。二度、三度とぶつかると、ようやく人一人が通れるほどの隙間が開いた。隙間を通って中に滑り込んだアーサーは、ベッドの上で泣きべそをかきながら膝を抱えて蹲る男の子を見つけた。アーサーが思わず抱き寄せると、男の子はアーサーにしがみついて泣きじゃくった。
「よしよし、もう大丈夫だよ」
アーサーは自分にすがりつく男の子を抱きしめた。
そのときだった。
「倒れるぞ!」
外から男の大声が聞こえてきた。アーサーは身体が傾ぐのを感じた。どうやら建物が限界を迎えたようだ。アーサーは男の子を抱えたまま、窓まで走ると倒壊する建物から身を躍らせた。男の子を庇うように落ち、強い衝撃を身体に感じた瞬間、アーサーは、意識を失った。




